2,000件めを記念する物語記事は、いまの下落合の出来事から……。
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7月3日の月曜日、下落合の中村彝Click!アトリエには生誕130年記念を祝う人たちが参集した。のべ200名ぐらいの方々が、アトリエに集っただろうか。こちらでも何度か書いているけれど、当時の郊外に住んだ画家たちは落合も長崎も高田(目白)も池袋も、郡町村の境界に関係なく往来して居住している。それら画家たちの物語や軌跡を描くのに、現在の新宿区も豊島区も関係がない。わたしが、このお話をうかがったとき、真っ先に考えたのがそのことだった。
最初に中村彝生誕130年記念会(パーティー)のお話をうかがったのは、元・新宿区議の根本様Click!からだった。さっそく、彝アトリエで開かれた打ち合わせに出かけると、前・新宿区議会議長の深沢様と元・NHKプロデューサーの葉方様がみえ、記念会のコンセプトと催しの内容の打ち合わせがはじまった。わたしの頭の中には、2つのことしかなかった。ひとつは、上述のように落合地域に居住し往来した画家たちに、「新宿区も豊島区もない」ということ。つまり、この催しに豊島区の高野区長もお呼びしよう……という企画だ。
豊島区では毎年、「池袋モンパルナス」Click!の「まちかど回遊美術館」で街歩きをする際、いつも下落合に現存している中村彝アトリエと佐伯祐三Click!アトリエを見学ポイントとして含めてくれている。だから、今度はこのような催しには、豊島区側にもぜひ声をおかけしたいという思いがあった。高野区長であれば、文化・芸術に関することなら必ず注目してくれるだろうし、気さくに「近所のオジサン」Click!のノリwで彝アトリエまできてくれるだろうという感触もあった。高野区長とは目白美術館の刑部人展Click!以来で、同区の文化事業全般のご担当である小林様ともども、ちょっとお話したいこともできたのだ。
わたしの頭の中にあったもうひとつのテーマは、こういう催しで一度はあつかってみたかった中村彝と「カルピス」Click!の関係だ。中村彝は、1920年(大正9)4月ごろからカルピスを飲みはじめ、おそらく死去するまですっかりカルピスが病みつきになっている。きっかけは、彝が手紙に書く「中村パン屋のオヤヂ」こと新宿中村屋Click!の相馬愛蔵Click!が、病中見舞いに前年(1919年)に発売されたばかりのカルピスを、下落合のアトリエへとどけたことからはじまる。当時のカルピスは、滋養強壮や健康保全を効用にして売られていた飲料だった。以来、友人の証言によれば、多いときは1日1本を空けてしまうほど、彝はカルピスフリークになってしまったらしい。カルピスは作品のモチーフとしても登場し、彝アトリエの東側には1923年(大正12)に制作された『カルピスの包み紙のある静物』(レプリカ)も架かっている。
当時のカルピスは、今日のようにカルピスウォーターとかカルピスソーダなど、あらかじめ水やソーダで割ったものではなく原液のままだ。わたしが子どものころまで、カルピスといえば原液のままだったが、最近は希釈しないですぐに飲める製品のほうが主流になっている。そこで、『カルピスの包み紙のある静物』の横に、中村彝とカルピスに関する新しいパネルを用意することと、カルピス本社の広報室に連絡してご協力をお願いするのがわたしのマターとなった。同社の広報室ではすぐに快諾いただけ、カルピスウォーター150本ぶんをお送りいただけることになった。
当日は33℃を超える猛暑となったので、新宿中村屋さんが用意してくれたコーヒーやカルピスウォーターが、熱中症予防の水分補給には役に立ったのではないだろうか。ただし有志が集まり、そもそも予算ゼロで手弁当の催しのため、カルピスウォーターが常温のままだったのがちょっと残念な点だ。彝アトリエのスタッフのみなさんが、小さな冷蔵庫に入れて冷やしてくれてはいたが、もちろん少ない本数だったので間に合わなかった。持ち帰った方々は、おそらく冷蔵庫でよく冷やすか氷を浮かべるかして、中村彝とカルピスの時代に想いをはせながら味わっていただけたのではないかと思う。
生誕130周年記念パーティーには、吉住新宿区長をはじめ高野豊島区長、新宿中村屋の鈴木社長、彝が新宿中村屋を出た直後に旅行した伊豆大島ゆかりの方、旧・中村彝会の代表で鈴木良三Click!の弟子であり医師で画家の野口様、新宿歴史博物館のみなさんなど、多彩な方々が来られた。そして、吉武東里Click!が設計した島津一郎アトリエClick!を保存されている中村様がおみえなので、さっそく豊島区の高野区長と小林様へ改めてご紹介し、金山平三アトリエClick!が壊されてしまったいま、豊島区側の街歩きにも島津一郎アトリエを加えていただきたい旨をお話した。聞けば小林様は、街歩きのとき同アトリエへすでに立ち寄ったことがおありとのこと。島津一郎アトリエは、アビラ村Click!の金山平三Click!や刑部人Click!などに関連した美術的な側面にとどまらず、建築のテーマからもきわめて重要な存在だ。
それともうひとつ、わたしの大収穫は、中村彝の弟子だった清水多嘉示のお嬢様・青山様にお会いできたことだ。洋画家であり彫刻家でもある清水多嘉示は、1923年(大正12)3月に渡欧するまで1917年(大正6)6月28日から中村彝アトリエへ頻繁に通い、写真が趣味だったのか中村彝のスナップ風の日常写真を撮影していること、彝アトリエの周辺で風景を写生しており、その中には「下落合風景」とタイトルされた作品も混じっていること、彝アトリエへ通いながら日記をつけていること、フランスでは佐伯祐三といっしょに撮られた集合写真をお持ちなこと、そして中村彝から清水多嘉示にあてた手紙類を数多くお持ちで、それらの私信類は1926年(大正15)に岩波書店から出版された中村彝『芸術の無限感』Click!には未収録のものばかりなこと……などなどだ。未収録となったのは、もちろん清水多嘉示が1928年(昭和3)まで滞仏中であり、『芸術の無限感』が編纂されたときには日本にいなかったからだ。
特に気になったのが、パリに滞在する清水多嘉示あてに、中村彝はおそらくモチーフのひとつに使いたかったのだろう、フランス製のタペストリーを早く送るよう督促する手紙を、1923年(大正12)に銀座伊東屋の原稿用紙に書いて送っている。壁掛けのタペストリーですぐに想い浮かぶのが、彝アトリエの西側ドアClick!に描かれていたとみられる、なんらかの幾何学模様のようなデザインだ。1924年12月24日に中村彝が死去した直後、翌1925年(大正14)の2月までドアの模様は視認できるが、その後はまったく確認できないなんらかのペインティングと思われる図柄だ。1929年(昭和4)に、彝アトリエが鈴木誠アトリエClick!になってからは、当該のドアは早い時期に外され別の用途に使われたものか、あるいは上部をガラス付きのドアに改造され、塗り直されて居間用のドアに流用されてしまったものか、いっさいが不明のままだ。
中村彝が、清水多嘉示あてにタペストリーを送るよう書いているのは1923年(大正12)の手紙なので、その後フランスから送られたのかどうかは不明だが、壁ないしはドアにフランス製のタペストリーを架け、静物画か人物画の背景にしようとしていた可能性がある。しかも、それは彝の最晩年のことであり、ドアの幾何学模様の織物のような、まるで壁掛けのようなデザインとなんらかの関係がありそうな予感が強くしている。清水多嘉示に関するテーマと、彝が愛飲していた当時のカルピスについては、また機会があれば改めてご紹介したい。
さて、中村彝生誕130年記念会のパーティーでは、アトリエ内部に鈴木良三Click!をはじめ画家たちの作品(実物)が展示され、昼すぎからは箏とギターの演奏会や、中村彝をめぐる新宿歴史博物館のレクチャー、子どもたちの写生会などが開かれたはずだが、わたしはウィークデーなので仕事を途中で放り出してきたこともあり、1時すぎには失礼させていただいた。同記念会には、TVカメラや取材の記者たちも来ていたようなので、どこかで報道されたのかもしれない。
今回のような美術的なテーマのもと、画家の記念行事が下落合に現存するアトリエで開かれたのは、わたしの記憶する限り初めてのことだと思うが、今年の7月3日が中村彝の生誕130年なのにつづき、来年2018年4月28日は佐伯祐三の生誕120年記念日だ。全国各地で佐伯祐三にちなんだ展覧会が企画・予定されているのかもしれないけれど、佐伯アトリエを抱える下落合でも、またちょっとなにか催したくなる大盛況の中村彝生誕130年記念パーティーだった。最後に、いろいろご面倒をおかけしました。ありがとうございました。>彝アトリエのスタッフのみなさん
◆写真上:背後に架かる『カルピスの包み紙のある静物』(1923年)と特設パネルの前へ、久しぶりにカルピスウォーターを持って登場した中村センセ。w
◆写真中上:上と中は、午前10時30分ごろ記念会準備中の中村彝アトリエ。アトリエ内には、たくさんの作品が展示された。下は、「中村彝のカルピス好き」の特設パネルで、制作には豊島区側にお住いの美術家の方にご協力いただいた。
◆写真中下:上と中は、午前11時の開会と同時に数多くの人々がアトリエに集まってきた。下は、新宿区の吉住区長(左)と豊島区の高野区長(右)のあいさつで、これからも新宿区と豊島区の文化行政において交流・協力関係を築いていくことが確認された。
◆写真下:アトリエ内に展示された、めずらしい清水多嘉示の資料類。アトリエの中村彝をとらえた3枚の写真のうち、右下の藤椅子に座る姿はめずらしい1葉。いちばん下の写真は、アトリエで配られた新宿中村屋の月餅と、伊豆大島のツバキの実を彩色した鈴つきのストラップ。