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安藤広重Click!の『富士三十六景』は、死後に刷られたこともあり、昔から比較的注目されにくい地味なシリーズとなっている。親父の話によれば、うちでもこのシリーズは収集してなかったらしい。彼自身が刷りの現場に立ち合っていない(アートディレクションしていない)からだが、その中にはずいぶん面白い構図の斬新な作品が多いように思う。
同作は、広重が甲州へ幕絵を描きに出かけた際、あちこちで写生した風景も含まれているのだろう。もちろん、『富士三十六景』は北斎の『富嶽三十六景』を強く意識したものだが、それがよけいに同シリーズを“二番煎じ”として、目立たない位置へと追いやっているゆえんだろうか。同作は、風景画として開拓した遠近法を存分に取り入れ、きわめて広重らしい作品に仕上がっている。もう少し、注目されてもいい作品群のようにも思えるのだが・・・。
さて、『富士三十六景』シリーズの1景「雑司ヶや不二見茶や」には、目白崖線の丘上から西南西を向いて富士をとらえた風景が描かれている。およそ、標高29~30mの地点だ。富士見茶屋の「珍々亭」Click!では、裾をつまんだ遠出姿の女性が下落合の目白崖線ごしに、白く雪でおおわれた富士山を眺めている。鬼子母神Click!へ参詣にきたものか、あるいは広重晩年の作なので鼠山に建立され、1841年(天保12)に破却された鼠山Click!の巨刹・感応寺Click!を見物にきたのをスケッチしたものか、お参りあとの気だるさがそこはかとなく漂う絵柄だ。
画面の右手(北側)へと入りこむ谷間が、のちに山手線が敷設されることになる金久保沢Click!の奥深い渓谷で、対岸に見えているバッケClick!(崖地・急斜面)は、のちに学習院昭和寮Click!(現・日立目白クラブClick!)が建てられる、下落合の半島状になった丘麓にあたる。その向こう側に見えている藁葺き屋根の人家は、藤稲荷Click!(富士稲荷)社の坂下に建てられた農家、あるいは参詣客相手の茶屋ではないかと思われる。当時は大きかった藤稲荷の境内にはみごとな藤棚や滝があり、江戸市街から物見遊山の人たちでにぎわっていた。そのあたりの右手(北側)が、ちょうど大正初期に相馬邸Click!が建てられる御留山Click!で、現在ではおとめ坂とおとめ山通りClick!が通っている。
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崖線の麓には道が通い、付近の農民あるいは旅人が数人歩いているのが見えているが、鎌倉街道の道筋である雑司ヶ谷道Click!(現・新井薬師道)だ。手前をひとりで歩く人物のあたりが、現在の山手線土手にうがたれた「佐伯ガード」Click!ということになる。このあたりの山手線は10mほどの土手を築き、その上に線路を敷設しているが、金久保沢の谷奥に近づくにつれ線路土手Click!は消えて、いつのまにか電車は谷底の切通しを走るようになる。
画面の左手、女性の陰になっているあたりに集落が見えているが、下落合村字東の耕作地にあった農家だろう。その集落の上、富士山の左手に丘陵のつづきで描かれた高い山が見えている。この山が、高田・落合地域を東西に横切る目白崖線ではもっとも高い、旧・下落合西部の目白学園Click!が建設された標高37.5mの突き出た丘だ。ちなみに、下落合の東部でもっとも高い丘は、御留山から西へ権兵衛山(大倉山)Click!を通じて連なり、鎌倉期に拓かれた七曲坂Click!をはさみ明治期から3等三角点が設置されている、標高36.5mの「タヌキの森」Click!ピークだ。
実は、旧・下落合の東部でもっとも高い「タヌキの森」から権兵衛山にかけては、もうひとつの広重作品にも登場している。長谷川雪旦が描く『江戸名所図会』の、下高田村の「姿見橋」と似たような構図で描かれた、安藤広重『名所江戸百景』第116景の「高田姿見のはし俤の橋砂利場」だ。『江戸名所図会』と同作を比べてみると、丘陵のかたちまでがそっくりなのがわかる。
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画面の手前や中央に描かれているのは、下高田村の姿見橋Click!や高田氷川明神Click!だが、画面の左手(西側)へとつづく山並みが下落合の丘だ。いちばん高く描かれているのが、先述した三角点のある標高36.5mの「タヌキの森」ピークで、その手前が権兵衛山(大倉山)だろう。「タヌキの森」と権兵衛山の間には、鼠山へと抜ける古い七曲坂が通っており、やはり大正期になると坂の西側に大嶌子爵邸の巨大な西洋館が建設されることになる。
そして、いちばん高い山の右手に描かれたもうひとつのピークが、この時期には将軍の鷹狩場であり、庶民の立入禁止エリアだった御留山だ。手前の御留川Click!(神田上水)と御留山とで、広重は知ってか知らずか(おそらく知っていただろう)、幕府直轄の立入禁止エリアを近景と遠景にふたつ重ねて描いていることになる。双方の御留場(立入禁止エリア)を縫うように、両作では旅人や物見遊山の観光客が往来している光景がとらえられている。
安藤広重の弟子だった二代広重は、この「姿見のはし俤のはし砂利場」の情景とはまったく正反対の構図で、のちに風景画を制作している。三代豊国とともに、西側の下落合から妙正寺川(北川Click!)の西ノ橋(比丘尼橋Click!)を入れて描いた、『書画五十三次・江戸自慢三十六興(景)』第30景の「落合ほたる」Click!がそれだ。やはり、下落合の「タヌキの森」ピークと御留山などが描かれており、もちろん二代広重は師の作品とともに、その構図までを強く意識していただろう。
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もうひとつ、ホタルの名所としても両作は一対をなしている。天保ごろまではホタル狩りの名所として、下高田村の姿見橋周辺が江戸市街からの観光客Click!でにぎわっていた。でも、幕末のころになると従来は鄙びた月見の名所Click!の落合地域が、にわかにホタル狩りの名所として流行りだす。北川(妙正寺川)と神田上水とが合流する、まさに「落合」地点が流行の観光スポットとなった。現在でも高田側では椿山荘で、落合側ではおとめ山公園で、毎年、ホタル観賞会が開かれている。
◆写真上:安藤広重の死後に刷られた、『富士三十六景』の1作「雑司ヶや不二見茶や」。
◆写真中上:上は、「雑司ヶや不二見茶や」にみる下落合側の部分拡大と描かれているモチーフ。中左は、山手線の土手上から見た下落合側の日立目白クラブの急峻なバッケだが、手前のビルに隠れてほとんど見えない。中右は、「佐伯ガード」をくぐる鎌倉街道の雑司ヶ谷道。下左は、藤稲荷のある御留山バッケ。下右は、権兵衛山(大倉山)の中腹から新宿方面の眺望。
◆写真中下:上は、長谷川雪旦が描く『江戸名所図会』の「落合惣図」。下左は、安藤広重『江戸名所百景』の第116景「高田姿見のはし俤の橋砂利場」。下右は、三代豊国・二代広重による『書画五十三次・江戸自慢三十六興(景)』の第30景「落合ほたる」。
◆写真下:上は、「高田姿見のはし俤の橋砂利場」の部分拡大。下左は、下落合駅前にあたる西ノ橋(比丘尼橋)。下右は、「タヌキの森」のピークから眺めた冬の富士山。(撮影:武田英紀様)