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膨大な作品が欠落したままの漫画史。
日本は「漫画大国」だといわれるけれど、その歴史が詳細に語られることは案外少ない。たいがい、1945年(昭和20)の敗戦からスタートするか、せいぜい戦前の『のらくろ』(田河水泡Click!)、あるいは『冒険ダン吉』(島田啓三)や『ノンキナトウサン』(麻生豊)、『東京パック』の北澤楽天あたりまでで、またアニメでは戦時中の「ディズニーを超えるため」に国策として制作された、『桃太郎...
View Article上落合で継続された国会議事堂の設計。
上落合470番地にあった1921年(大正10)築の吉武東里邸Click!は、ハーフティンバーが美しいチューダー様式の西洋館を中心とした、敷地面積330坪におよぶ大きな和洋折衷建築だった。1923年(大正12)9月に関東大震災Click!が起きると、吉武邸も門が崩れるなどの被害を受け、一家は近くの竹やぶに避難しているが、邸自体に大きなダメージはなかったようだ。...
View Article上落合の吉武東里邸を拝見する。
敷地面積330坪の上落合470番地へ、大きな吉武東里邸が建設されたのは1921年(大正10)のことだ。(資料によっては1920年とするものもある)...
View Article下落合を描いた画家たち・安藤広重。
安藤広重Click!の『富士三十六景』は、死後に刷られたこともあり、昔から比較的注目されにくい地味なシリーズとなっている。親父の話によれば、うちでもこのシリーズは収集してなかったらしい。彼自身が刷りの現場に立ち合っていない(アートディレクションしていない)からだが、その中にはずいぶん面白い構図の斬新な作品が多いように思う。...
View Article豪邸の大泥棒は下落合がターゲット。
大正時代に東京市外の別荘地へ豪邸をかまえ、裕福な暮らしをしていたおカネ持ちが、稀代の大泥棒だったという事件があった。当時は閑静な郊外だった、田端202番地に大邸宅を建てて住んでいたのは実は盗賊で、1921年(大正10)ごろから大正末までの5年以上にわたり、東京郊外に建っていた大きめな西洋館ばかりをねらって「仕事」をしている。...
View Article時代とともに姿を変える送電塔。
以前、大正期から昭和初期にかけての電柱Click!について、あるいは少し前には電柱から引かれる電燈線や電力線のケーブルClick!について書いた。きょうは、さらにその上流にあたる「電力系統網」と呼ばれる、高圧電力の送電塔について書いてみたい。...
View Article落合町防護団の分団名簿をいただいた。
先日、ある方から1944年(昭和19)ごろに印刷・配布したとみられる、貴重な「淀橋区防護団・落合第二分団名簿」(萬世社印刷製)をいただいた。なぜ貴重かといえば、このような戦時の書類はほとんどが空襲で焼けるか、戦後に処分されてしまった例がほとんどだからだ。...
View Article最勝寺の大師堂は『堂』なのか?
佐伯祐三Click!が描いた『堂(絵馬堂)』について、下落合とその周辺の寺社をしらみつぶしに当たってみたところ、わたしは桜ヶ池の不動堂Click!がいちばん“怪しい”とにらんでいる。それは、すぐ近くに「洗濯物のある風景」Click!の描画ポイントがあり、佐伯がイーゼルを立てた妙正寺川の土手とみられる地点の背後に、桜ヶ池不動堂の屋根がよく見えていたと思うからだ。...
View Article中村彝アトリエ記念館の工事がスタート。
中村彝Click!のアトリエClick!、のちに鈴木誠Click!のアトリエでもあった下落合464番地の建物が解体され、中村彝アトリエ記念館Click!の建設工事がスタートした。現在、同地番は更地になっており、解体されたアトリエや母屋の部材に関する再利用の可否選定、吟味が行われているのだろう。解体前の調査では、実にいろいろなことが判明している。...
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