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Channel: 落合学(落合道人 Ochiai-Dojin)
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中村伸郎から見た『女の一生』と文学座。

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 少し前に、上落合2丁目829番地(現・上落合3丁目)に住んでいた脚本家・森本薫Click!について書いたが、杉村春子ら文学座の俳優たちが『女の一生』の稽古場に使ったのが、大久保にあった中村伸郎の自邸だった。中村伸郎Click!の父親・中村税は小松製作所の初代社長であり、空襲が激しくなると文学座は中村社長のはからいで、石川県小松市にあった小松製作所工場の寮に疎開し、工場を手伝いつつ芝居の稽古をつづけることになる。
 『女の一生』の舞台は、1945年(昭和20)4月11日に渋谷の東横映画劇場で初日の幕が開くが、前日の4月10日まで中村邸での稽古がつづけられた。稽古をはじめたのが、同年3月10日の東京大空襲Click!の日だったので、台本が完成してから初演まで、1ヶ月ほどしか時間がなかった。演出や脚本の手直しなどを含めれば、4月11日の初演はほとんどぶっつけ本番に近かっただろう。
 明日は舞台の初日という4月10日、森本薫が京都に疎開していた妻の森本和歌子あてに出した手紙が残っている。西村博子が発掘した同書簡から、少し引用してみよう。
  
 今日は舞台ゲイコ、道具が間に合はないので、衣装ゲイコだけで、ブツツケ初日だ、何も彼も この有様。今手紙ついた、そつちもいろいろ大変だね、家は出来れば一軒ほしいね、これからどんなにして生活費を稼ぐかわからんから家賃のあまり高いやうでは困るが、とにかくその家を借りておいて俺が戻る迄松本にゐるとか何とか出来ないかね、俺も荷物の受つけ(出荷にはあらず)を待つてゐても仕方ないからその<切除のため3字ほど読めず>渡辺さんにたのんで芝居<「女の一生」>が済んで切符買へ次第ゆくつもり<3字ほど読めず>。いろいろ考へるとコンランするし、これから出かけるから取急ぎ 家のことはそちらに委せる。
  
 この文面を読むと、幕が開く初日の前日に『女の一生』の衣装はなんとかそろったが、舞台で使用する大道具小道具類が間にあわないので本格的な稽古ができず、4月11日の初日は出たとこ勝負だった様子がうかがえる。演出家にしてみれば、道具類がなければ俳優の立ち位置ひとつ決められず、その動作も空想で指示だしせざるをえなかっただろう。また、俳優にしてみれば、実際に使用する道具がなければ戸の開け閉めひとつ、イスへの座り方ひとつとってみても不安だったにちがいない。
 もっとも、東京大空襲から1ヶ月後のこの時期、文学座の俳優たちは舞台で芝居ができるだけでも嬉しくて興奮し、「大丈夫、なんとかなるさ」という雰囲気だったのかもしれない。特に、森本薫が自分のために書いてくれた『女の一生』のヒロインを演じる杉村春子は、初日の舞台が待ち遠しくて意欲満々だったのだろう。このとき、稽古場として父親の邸宅を“開放”した中村伸郎は、のちの文学座をめぐる方向性も含め、どのような眼差しで『女の一生』を眺めていたろうか。
 中村伸郎が森本薫と出会ったのは、築地座が『橘体操女塾裏』(田中千禾夫・作)と『冬』(久保田万太郎・作)の2本立てで興行した、1935年(昭和10)2月の京都公演のときだった。京都駅のほの暗い待合室で、俳優の友田恭助から京都帝大の学生服を着た森本薫を紹介された。森本は、築地座が次回に公演を予定している『わが家』の作者だった。このとき、中村伸郎が「(東京へ)公演を見に来ますか?」と訊くと、「行きません、試験中ですから」と森本はそっけなく答えている。このときのやり取りで、中村伸郎は「スカしているという感じで、気の知れない奴だ」と第1印象があまりよくなかったようだ。
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 その後、森本が文学座で脚本を手がけるようになっても「スカした感じ」は変わらず、中村伸郎はしばらく彼が苦手だったらしい。1986年(昭和61)に早川書房から出版された、中村伸郎『おれのことなら放つといて』から引用してみよう。
  
 (スカした)この感じはその後彼との永いつき合いでも変らず、私には感情を素直に表わさない相手はニガ手なのだが、永い間に彼の癖である小声でブツブツ愚痴をこぼすのを聞いて私も気を許すようになった。例えば/「オレが一と月以上も苦労して書いたラジオドラマを、君たちは一夜漬みたいに放送して、しかも貰うものはあんまり変らないんだから」/と愚痴るのをきいて、杉村春子と私が顔を見合わせて笑ったのを覚えている。(カッコ内引用者註)
  
 中村伸郎は、森本薫の前期作品を高く評価しているが、後期作品はあまり評価していない。すなわち、同書の中村分類によれば「京都時代に書いたのが前期」とし、「上落合に居を構え文学座の座付作者となってからの作が後期」と位置づけている。
 そこには、学生時代の前後に書かれた芸術至上主義にもとづく、戦争の影がまったくない作品群(前期)と、戦時色が濃くなって国策にある程度は迎合せざるをえなくなり、また森本が文学座の座付き作者としての責任から劇団の経営事情を意識せざるをえなくなって書いた作品群(後期)とでは、脚本の質的なちがいは明らかだというとらえ方が、中村伸郎の認識として厳然と形成されていたからだろう。
 事実、中村伸郎は文学座の経営層に「前期」作品を上演するようたびたび迫っているが、戦時には芸術至上主義=「非戦」の作品さえ反国家的な演劇だとみなされ、ほとんど上演されることがなかった。当時の状況を考えると、中村伸郎の「後期」作品に対する低評価は、敗戦から時間が経過した結果論的な解釈だととらえられないこともないけれど、とりあえず芸術性は二の次にしてできるだけ「大衆」に迎合する舞台、すなわち少しでも観客を集めて劇団経営を安定させようとする視点を含んだ「後期」作品、なかでも『女の一生』は杉村春子が存命中、文学座の経営が思わしくなくなると、すかさず舞台にかけられていたことを考えあわせれば、あながちピント外れな評価とはいえないような気がする。
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 中村伸郎は、劇団の存在理由である芸術性をそっちのけにして、経営的に有利な作品が先行するようでは本末転倒だと考えたのだろう。彼が文学座から脱退するのも、本質的には「後期」作品の路線を引きずる劇団の体質、すなわち文学座の“顔”になってしまった杉村春子の路線から訣別したかったからにちがいない。同書より、つづけて引用してみよう。
  
 私は森本の前、後期の作品の本質論にこだわるわけだが、文学座に在籍中、森本が死んで八年後くらいだったか、「女の一生」の地方巡演は九州、四国、東北各地と全国に渉り、かなりの上演回数を経た頃の昭和二十八年、文学座十五周年記念パンフレットに私はこう書いた。/「この辺で『女の一生』の台本を森本の仏前に返すべきである。『女の一生』が文学座の或る時期を大きく支えてくれたことへの感謝の意をこめた上で……」/と。その理由は、若しいま森本が生きていたら、もう止めてくれと言うか、大きく書き直していたかどっちかだろう、が今やそれも出来ない。上演を重ねていて、第三幕の総子の見合いの件りなどの客席の哄笑は大衆劇のウケ方のそれであり、またそんな質の狙いが随所にあるからこそ「女の一生」が日本の各地を巡演して、僻地に至るまで平明にウケたのである。が僻地ならまだいい、都会の上演の客席の中に若し森本がいたら居たたまれずに、もう止めてくれと言うだろうから……。
  
 一見、「大衆」演劇を睥睨する“上から目線”の傲慢な視点に見えるが、実は同じようなことを岸田劉生Click!が「お父さん」と慕った、芝居の7代目・大和屋(坂東三津五郎)Click!も口にしている。「お客さまを相手にしてやると、自分が下落する」、「生きているお客さまを相手にやっちゃいけません」、演劇を突きつめた人だけが獲得できる視界であり、役者ならではの世界観なのだろう。杉村春子によって、947回も上演された文学座の『女の一生』だが、中村伸郎は森本薫が生きていたら「続演は許さなかったろう」とも書いている。
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 戦後の文学座は、杉村春子の路線を主軸として、幾度となく作家や俳優たちの“脱退騒ぎ”を繰り返していく。そのエピソードを追いつづけるだけで、ゆうに分厚い本が書けてしまうほどだ。上落合2丁目829番地の森本邸で執筆された『女の一生』をめぐり、彼と杉村春子との間にどのような男女のやり取りや約束が交わされたものか、少なくともそれからの舞台俳優・杉村春子という「女の一生」を深く刻印した作品なのは揺るがぬ事実だろう。

◆写真上:森本薫邸があった、上落合2丁目829番地(現・上落合3丁目)の路地。
◆写真中上は、1961年(昭和36)に上演された文学座『女の一生』。「布引けい」の少女時代を演じる杉村春子と、左の「堤伸太郎」役は同劇団の北村和夫だろうか。は、1989年(昭和64)の『女の一生』を演じる83歳の杉村春子。
◆写真中下は、1982年(昭和57)に放映された対談番組での杉村春子と森繁久彌Click!。窓外に見える景色から、どうやら近くの椿山(目白山)の椿山荘のようだ。は、1957年(昭和32)に制作された『東京暮色』(監督:小津安二郎)に出演した杉村春子と笠智衆。は、同じく『東京暮色』で共演した中村伸郎と山田五十鈴Click!
◆写真下は、ドラマ『白い巨塔』に出演した中村伸郎。下左は、1986年(昭和61)出版の中村伸郎『おれのことなら放つといて』(早川書房)。下右は、若き日の杉村春子。

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