既視感のある別荘地・大磯の古写真。(下)
前回の記事Click!では、おおよそ大磯の成り立ちと東京から見た“立ち位置”についておおざっぱに書いたけれど、今回は見つけた古写真をもとに、わたしが実際に子どものころから目にし、記憶している光景を中心に書いてみたいと思う。まず、平塚の海辺から何度この橋をわたって、祖父Click!や親とともに、あるいは友人たちとこの橋をわたったろうか。花水川に架かる、懐かしい木製の下花水橋だ。...
View Article大江賢次をかわいがった片岡鉄兵夫妻。
落合地域に住んだ、大江賢次Click!の想い出エッセイが面白い。なぜ面白いのかというと、書きたいことの趣旨とは別に、その周辺のコト細かなディテールまで描写するので、これまでわからなかった作家の家の様子や間取り、家具調度にいたるまで目な見えるように浮かびあがってくる。おそらく、観察眼に優れた人物だったのだろう。...
View Article中井駅を避ける地下生活の小林多喜二。
ようやく上落合732番地に見つけた安い借家だったが、大江賢次Click!は相変わらず貧しかったので、ときどき葛ヶ谷115番地(のち西落合1丁目115番地)に新居を建てた片岡鉄兵・光枝夫妻Click!のもとへ、食事をご馳走になりに出かけていた。それでも、さすがに独立してからは気がとがめたのか、中井駅前の食堂で昼と夜は済ませることが多かった。...
View Article新型コロナ禍の影響が少ない専門職人の世界。
大正期のさまざまな資料を参照していると、1918~1920年(大正7~9)にかけての3年間で、「スペイン風邪」Click!に罹患して死亡した人たちの記述が目立つ。当人も罹患しつつ、なんとか回復して生き残れたが、親や兄弟姉妹が死亡しているケースが多い。また、記録者の本人は発症せず、友人たちを喪った記録にもたびたび出あう。...
View Article上落合の大江賢次と芹沢光治良。
上落合での芹沢光治良Click!の影は薄い。ほどなく、上落合から華洲園Click!跡に造成された中野町の小滝台住宅地Click!に新邸を建てて転居しているので、上落合206番地は敷地探しと自邸が竣工するまでの短期間しか住まなかったからだろう。...
View Articleいわくつきだった高根町の無人踏み切り。
中井駅前の辻山医院Click!で開かれていた文学サロンClick!には、東京帝大の全協グループClick!に属していた荒木巍(たかし)もいた。大江賢次Click!や林芙美子Click!らとともに、ときどき辻山医院に立ち寄っては院長の辻山義光や、妻の辻山春子らと文学談義に花を咲かせていたのだろうが、このとき荒木巍は中野区の城山町に住んでいた。...
View Article佐伯祐三『看板のある道』を拝見する。(上)
佐伯祐三の『森たさんのトナリ』Click!につづき、西銀座通りのShinwa Auction(株)Click!(銀座7丁目)の学芸員・佐藤様のご好意で、今度は佐伯祐三Click!の「下落合風景」シリーズClick!の1作『看板のある道』Click!を拝見させていただいた。...
View Article佐伯祐三『看板のある道』を拝見する。(下)
佐伯祐三『看板のある道』Click!の、「富永醫院」と「落合倶楽部」の看板背後に建っている家々は、庭の隅に植えられたアカマツと重なって見えている、物置き小屋のようなものが設置された1軒目の住民は不明だが、その先の2軒目に見えているのは中村邸だ。3軒目に見えている、白い塀の西洋館らしい邸に住んでいた住民の名前もわからない。...
View Articleストレスがたまると堪忍袋の緒がゆるむ。
なんだか、新型コロナ禍の影響で思いどおりに身動きできず、2年間のストレスがたまっているせいか、ちょっとしたことで腹を立てることがある。精神衛生上よろしくないのだけれど、堪忍袋の緒がゆるんでいるのが自分自身でもよくわかる。以前なら、「まあ、そういうこともあるかもね」とか「しゃあがねえなあ」で済んでいたような課題やテーマが、許容範囲が狭くなっているせいかムカッ腹が立つのだ。...
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