1938年(昭和13)の日本本土への初空襲。
拙サイトでは、1942年(昭和17)4月18日(土)に来襲した米軍ドーリットル隊Click!のB25による爆撃を、日本本土への初空襲Click!としてご紹介していた。ドーリットル中佐が搭乗した2344号機が、神田川から妙正寺川沿いに落合地域の谷間を低空飛行している目撃情報や、その爆撃目標が誤爆だらけだったことにも触れている。...
View Articleニッキ飴の匂いと吉永小百合の記憶。
ある特定の匂いをかぐと、とたんに昔の記憶がよみがえることがある。焚き火Click!の匂いをかぐと、海辺のクロマツ林ですごした「晩秋」の風景が頭をよぎったり、防水加工された帆布の酸っぱいような匂いをかぐと、昔のとてつもなく重かった黄色いテント(30kg前後)や登山リュックをかついだキャンプClick!を思いだす。人は視覚ばかりでなく、嗅覚によっても強烈な記憶が脳裡に刻みつけられるらしい。...
View Article富永哲夫博士による家庭衛生の常識。(1)
1932年(昭和7)6月、落合町葛ヶ谷24番地(のち西落合1丁目24番地)に住む医学博士・富永哲夫が、帝國生命保険の求めに応じて著した『家庭衛生の常識』という小冊子を、親しい知人からいただいた。非常に貴重な小冊子で、著者は佐伯祐三Click!の「下落合風景」シリーズClick!の1作『看板のある道』Click!に登場していた、当時は内科の富永医院を開業していたあの富永哲夫だ。...
View Article金山の刀鍛冶は石堂守久一派の工房か。
今年も拙サイトをご訪問いただき、ありがとうございました。きょうの記事が、今年最後のアップロードとなります。どうぞ、よいお年をお迎えください。 ★...
View Articleやっと出てきた下落合の旧石器を観察する。
あけまして、おめでとうございます。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。 ★ 少し前に、旧石器時代の遺跡から出土する土器Click!について書いた。同様に、打製石器の時代だと思われていた旧石器時代に、磨製石器が日本で次々と出土している経緯についても書いた。わたしが学校で習った「常識」がまったく通用しない、旧石器~新石器(縄文)時代の見方が180度変わってしまう発見が依然つづいている。...
View Article飛行機から「塑画」を制作する田中比左良。
田中比左良Click!は1929年(昭和4)7月、飛行機に乗りながら上空から風景をスケッチしたり、「塑画」を描いたりしている。おそらく、空中から風景を描いた(制作した)画家は、彼が嚆矢ではないだろうか。「塑画」とは、粘土や脱脂綿など多彩な“画材”を用いて風景を表現する、今日的にいえば立体のオブジェのようなものだ。...
View Article富永哲夫博士による家庭衛生の常識。(3)
富永哲夫Click!の『家庭衛生の常識』Click!(帝國生命保険/1932年)は、庶民が気軽に読めるようできるだけユーモアをまじえて書かれているようだが、博士は非常にマジメで学究肌の性格だったものか、その“笑わせどころ”ですべっているような感覚をおぼえる。衣服と衛生のテーマでも、冗談なのかマジメなのかが不明な記述がある。...
View Article富永哲夫博士による家庭衛生の常識。(4)
富永哲夫Click!の『家庭衛生の常識』Click!(帝國生命保険/1932年)では、室内における照明についても解説している。十分な明るさのない部屋、あるいは照明の光度が適合していない部屋に長時間いると、目が疲れたり視力低下の要因になったり、ときに頭痛やめまいを起こしたりするなど、人体に大きな影響があると認識されていた。...
View Article富永哲夫博士による家庭衛生の常識。(5)
富永哲夫Click!の『家庭衛生の常識』Click!(帝國生命保険/1932年)は、大正末から昭和初期にかけて人々の生活における衛生面で、どのような課題が存在していたのかを具体的に教えてくれる小冊子だ。換言すれば、当時の人々はどのような衛生課題に直面し、それらを怖れると同時に真正面から向きあい、どのような方法で解決し克服しようとしていたかを知ることができる情報源ともいえる。...
View Articleわたしの記憶にない下落合の神田川橋。
1975年(昭和50)に撮影された映像を観ていたら、山手線の神田川鉄橋と下落合の清水川橋との間に、もうひとつ小さな橋が架かっているのを見つけた。わたしには、この橋の記憶がまったくないので、1970年代の末ごろには撤去されたものだろう。映像は清水川橋の上から、山手線の神田川鉄橋のある東側を向いて撮影されたものだ。...
View Article富永哲夫博士による家庭衛生の常識。(6)
富永哲夫Click!の『家庭衛生の常識』Click!(帝國生命保険/1932年)の記述では、食物が原因で罹患する疾病や中毒症のボリュームがもっとも大きい。内科の臨床医だった富永博士の専門であり、もっとも得意な分野でもあるからだろう。また、この冊子が書かれる7年前、東京市内でコレラが大流行したことも、当時は落合町葛ヶ谷24番地で医院を開業していたとみられる彼の印象に、強く残っていたせいかもしれない。...
View Article望気術をあやつる巫(かんなぎ)のお仕事。
あるところに、星座の運行によって「運気」を判断する「巫(かんなぎ)」Click!がいた。彼女は、明治末に生きていた人物で、星座の運行とともに星くずClick!が降りそそぐ地域の、地面から発する「好気」を見る「望気術」も身につけていた。...
View Article「公楽キネマ」に出稿する上落合の商店。(上)
上落合521番地にあった映画館「公楽キネマ」Click!では、上映作品がかけかわる1週間ごとに、作品の概説を掲載した小型2つ折りのパンフレットを制作していた。そして、次回の翌週に上映予定の作品予告も入れ、何号かに一度は上落合に開店していた当時の商店向けに、まとまった広告スペースを提供している。...
View Article「公楽キネマ」に出稿する上落合の商店。(下)
公楽キネマClick!で映画を観たあと、「ちょっと、そこらで一杯いこうや」という帰りがけの客層をねらう、上落合とその周辺の飲み屋が出稿した広告も多い。広告の掲載媒体(映画館)を考慮し、ターゲットを絞りこんでいる点では、マーケティングが練れた広告づくりといえるだろう。しかも、なぜか沖縄の泡盛を宣伝する広告の目立つのが特徴だ。...
View Article富永哲夫博士による家庭衛生の常識。(7)
現在でも、下落合で悩まされている害虫にヤブカ(薮蚊)がいる。正確には、ヒトスジシマカとかヤマトヤブカなどに分類されるようだが、あの縞々パンツをはいたやつに刺されると強烈なかゆみが襲ってくる。樹木が多く繁り、森林の中に泉や池があるような環境では、ヤブカの大量発生はやむをえないのだろう。イエカ(家蚊)とちがい、蚊取り線香の煙ではなかなか死なず、しぶとく人間の吸血をねらって襲来を繰り返す。...
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