いつか、2002年(平成14)に落合第四小学校が発行した『落四のあゆみ/開校70周年記念誌』Click!という出版物の中に、西原比呂志Click!が描いた『落合翠ヶ丘』と題する縄文時代Click!の生活を表現したとみられる挿画があり、21世紀の現代考古学に照らし合わせると、絵の表現がいまから数万年ほどさかのぼる下落合の旧石器時代Click!に暮らした人々Click!のイメージになってしまうと書いた。
教育機関が発行する記念出版物なので、これからも同様の小冊子をなんらかの記念行事にあわせて刊行する予定があるならば、少なくとも今日の科学的な学術の成果や業績に留意した表現にしてほしいものだ。ついでに、掲載されている写真類にも大きな錯誤があるので、きちんとウラ取りして出典が確認済みの資料を掲載してほしい。
さて、きょうは西原比呂志が描いた『下落合風景』について取りあげてみたい。西原比呂志というと、わたしの世代では「神州一味噌」を真っ先に思い浮かべる。小島功というと、「♪かっぱっぱ~るんぱっぱ~」の清酒「黄桜」のCMを思い浮かべるように、西原比呂志は「♪神州一神州一~お・み・お・つ・け」という、信州味噌のCMを思いだす。
ちなみに、この記事を書くまで「神州一味噌」は「信州一味噌」だと思いこんでいた。「信州一」だと広告表現コードにひっかかり、どこかで商品名を「神州一」へと変えたものだろうか。もうひとつ、「おかあさ~ん! ♪お味噌ならハナマルキ」とか、「ひと味ちがいます、♪タケヤ味噌」という信州味噌もあったが、ハナマルキ味噌のおみおつけは記憶にないし、母親が森光子Click!を嫌いだったせいでタケヤ味噌は買わなかったろう。
子どものころ、たまに「神州一味噌」を使って母親がおみおつけを作ってくれたけれど、たいがいは母親が仕込んだ自家製味噌を使っていたような憶えがある。現在のわたしの家では、国産大豆で無添加の手づくり味噌か、あるいは自家製の味噌が主体で、メジャーな信州味噌はまったく使わなくなってしまった。西原比呂志は、長野県の松本出身であり、それが縁で信州にある味噌会社のキャラクター「み子ちゃん」を描いたのだろう。もっとも、「神州」の味噌なら神主の「巫女ちゃん」Click!になるのかもしれないが。
また、西原比呂志というと目白駅の「美化同好会」Click!が企画してはじめた、駅のホームをわたる跨線橋へ絵画作品を展示する駅ナカ展覧会で、彼の油彩画が盗まれたことがきっかけとなって中止されたことを想起する。跨線橋に架けられた『浜』(8号)という油絵が盗難に遭ったのは、1964年(昭和39)4月29日のことだった。
西原比呂志は、川端画学校を卒業した洋画家で、もともとは文展や帝展に出品する作家のひとりだった。大正の早い時期に目白駅近くの丘上、下落合445番地あたりにアトリエをかまえていた熊谷美彦Click!(のち戸塚町に移転)の弟子のひとりだが、途中からタブローではなく、下落合2丁目735番地(現・下落合4丁目)に住んだ高橋五山Click!がはじめた文部省推薦の教育紙芝居の絵や、書籍あるいは絵本の挿画家として活躍しはじめている。戦後も、同様に童話の挿画や紙芝居の絵、書籍の装丁、絵はがき、企業のキャラクターイラストなどがおもな作品であり、本格的なタブローを描くのはめずらしい。
西原比呂志は、おそらく戦後から下落合2丁目622番地(現・下落合4丁目)で暮らしているとみられるが、この地番は戦前に蕗谷虹児Click!のアトリエが建っていたのと同一地番で、西原比呂志アトリエは蕗谷アトリエの南側にあった広めな庭の敷地一部と、蕗谷アトリエの南隣りだった大きめな谷口邸Click!の北側敷地の一部にまたがって建っていたことになる。また、東隣りの下落合623番地には1945年(昭和20)5月25日の第2次山手空襲Click!により焼けるまで、曾宮一念Click!がアトリエClick!をかまえていた。
西原比呂志の『下落合風景』は、戦後すぐの1946年(昭和21)に制作されたとのことだが、一見してどこを描いたのかがわかる。赤いコートを着たロングヘアの、「み子ちゃん」とはまったく異なるモダンな若い女性が、丘の斜面に通う坂道を上ってきており、左手(女性の目からみれば画面の右手)に見えているコンクリート造りらしい階段を見あげている。季節は晩秋で、モミジの紅葉がかなり進んでいるのがわかる。
樹木の陰影や光の射し方などから、画家は逆光気味に南の方角を向いて描いており、下落合の坂道としては比較的ゆるやかに左右どちらかへカーブしながら下っている。遠景には、すでに変色しはじめたケヤキらしい3~4本の大樹と、丘の下に拡がる街並み(というか実際には焼け残った工場や住居、焼け跡のバラック群)が描かれており、画家とモデルの女性は眺望のきく、かなり高度のある位置に立っているのがわかる。
下落合全域(中落合・中井含む)にある東端から西端まで、このような風景の条件にみあう坂道はたった1ヶ所しか存在していない。1946年(昭和21)現在では東側の学習院昭和寮Click!(現・日立目白クラブClick!)と、西側の東邦生命所有地Click!(旧・相馬孟胤邸敷地Click!/現・区立おとめ山公園Click!)との間に通う坂道だ。この坂道を上りきると、下落合の近衛町Click!の丘上に出ることができ、画面に描かれたコンクリートの急階段を東へ上ると、やはり近衛町の南端(42~43号敷地Click!)に建っていた学習院昭和寮Click!への近道となる。ちなみに1946年(昭和21)の当時は、戦災で焼けてしまった学習院の一部校舎のかわりに、学習院昭和寮の本館Click!が院生たちの教室として使用されていた。
画面だけ眺めていると、のどかな晩秋の散歩を楽しむ女性を描いたものだが、翌年の1947年(昭和22)に撮影された空中写真でさえ周囲は焼け跡だらけであり、焼け残っている住宅街は近衛町の南側と北側の一部、林泉園Click!の周辺にある東邦電力の社宅群Click!と中村彝アトリエClick!周辺のみの、緑が濃い住宅地だけが延焼をまぬがれている。
また、丘下の雑司ヶ谷道Click!(新井薬師道)や西武線、あるいは旧・神田上水(1966年より神田川)沿いは、空襲による延焼や防火帯36号江戸川線(建物疎開)Click!の建設により、一部の住宅や工場を除き一面が焼け野原か空き地の状態だった。同画面が描かれた前年なら、いまだ焼け跡にバラックがポツンポツンと見えているような光景だったろう。
坂道は拡幅工事の前で、左手に見えている学習院昭和寮の土手も、のちに見るコンクリート擁壁の工事がいまだ行われていない。右手の旧・相馬邸の敷地には、近衛町の建設とともに坂道が拓かれた大正期に植えられたものか、画面右上にヒマラヤスギらしい枝の一部が見えている。だが、東邦生命の所有地になってからは御留山全体の手入れが満足になされなかったせいか、右手の雑木林は鬱蒼としているようで、樹木の枝が坂道まではみ出しているのがとらえられている。まさに、現在のおとめ山公園になる以前の、1969年(昭和44)まで「落合秘境」Click!と呼ばれた状態だったのだろう。
丘上の近衛町に通う坂道中腹の端にイーゼルをすえ、この位置から描いていれば遠景に見えているのは山手線の高田馬場駅とその周辺だったはずだが、絵の具をにじませたようなボンヤリとた風景でしかとらえられていないので眺望の細部は不明だ。ほぼ2号サイズの板をベースに、油絵の具で描かれた『下落合風景』だが、まるで水彩画のようなタッチや筆づかいのように見える。同じく戦後に描かれたとみられる、西原比呂志の『リスボン所見』の油絵の具をたっぷり使った厚塗りの画面と比較すると、まったく別人のような作風でありマチエールだ。それとも、戦後すぐに描かれた『下落合風景』は、手持ちの油絵の具Click!が不足していて薄塗りにせざるをえなかったものか。
敗戦直後の「落合風景」作品はあまり見かけることがなくめずらしいが、拙サイトでご紹介していたのは松本竣介Click!が疎開先にいる家族あての絵手紙に描いた焼け跡がつづく目白崖線の遠景Click!や、中井駅のホームから上落合側を向いて描いた、上空をグラマンが威嚇飛行する焦土の風景Click!ぐらいだろうか。「落合風景」ではないが、松本竣介は敗戦直後の焼け跡を、おもに赤い絵の具を多用していくつかのタブローに仕上げている。
だが、西原比呂志の眼差しは戦争による悲惨な焼け跡風景には向かず、まるで破滅的な戦争などなかったかのように、近衛町の紅葉が進む坂道を散策する若い女性へ向けられているのに、なんとなく時代的な違和感をおぼえてしまうのは、わたしだけだろうか……。
◆写真上:1946年(昭和21)の、敗戦直後に制作された西原比呂志『下落合風景』。
◆写真中上:上は、「神州一味噌」のパッケージ(左)とキャラクターの「み子ちゃん」(右)。中は、1941年(昭和16)に日本教育紙芝居協会が制作した絵・西原比呂志による『三平の魂まつり』。下は、西原比呂志『妙高冬景』(制作年不詳)。
◆写真中下:上は、1956年(昭和31)に金の星社から出版された絵・西原比呂志『からすのかんちゃん』の表紙(左)と裏表紙(右)。中は、1947年(昭和22)撮影の空中写真にみる『下落合風景』の描画ポイント。下は、同描画ポイントの現状(2012年撮影)。画面と同じような位置に、いまでもヒマラヤスギが植えられているのを確認することができる。
◆写真下:上は、戦後の制作とみられる西原比呂志『リスボン所見』(制作年不詳)。中は、西原比呂志『下落合風景』画面の坂道を上る少女と遠景の部分拡大。下は、画面左手の階段を上がり日立目白クラブ(旧・学習院昭和寮)側から御留山方向を見下ろした風景。