富永哲夫Click!の『家庭衛生の常識』Click!(帝國生命保険/1932年)では、室内における照明についても解説している。十分な明るさのない部屋、あるいは照明の光度が適合していない部屋に長時間いると、目が疲れたり視力低下の要因になったり、ときに頭痛やめまいを起こしたりするなど、人体に大きな影響があると認識されていた。
衛生の面から見ると、照明は次の8つの条件がそろっていれば申し分がないとしている。『家庭衛生の常識』より、理想的な照明の条件を引用してみよう。
(1)光線の量が充分で而も均等であること
(2)無色にして太陽光線に近いもの
(3)光が振動せぬこと
(4)熱の発生弱く、その放散に於て不快を感ぜざること
(5)燃焼産物に毒性なく、空気を汚染せざること
(6)異臭を発せざること
(7)爆発火災の憂いなきこと
(8)安価なること
これらの諸条件を備えた理想的な照明器具は、昭和初期には存在しなかった。当時は、トーマス・エジソンが発明した電球の延長線上にある製品がメインで、蛍光灯さえ発明されたばかりで普及にはほど遠い状態だった。
昭和初期に売られていた家庭用の電球には、炭素電球、オスミウム電球、タンタラム電球、タングステン電球、オスミン電球、オスラム電球、ガス入り電球などがあったが、それぞれ一長一短で、富永哲夫が推奨する理想的な電球の種類は、さすがに挙げられていない。21世紀の今日では、上記の8つの理想条件を満たす照明として、LED(発光ダイオード)照明が真っ先に挙げられるだろう。
エジソンが設立した米国のGE(ゼネラル・エレクトリック)社では、住宅における各部屋の照明光度を部屋別に分けて具体的に推奨しており、光度の単位をフィートキャンドル(呎燭光)で表現している。フィートキャンドル(呎燭光)とは、照明の強度を表す単位で、一定の蝋燭の炎から1フィート(呎)離れたところの垂直面、たとえば壁や立っている人物などが受ける照明の強さ(明るさ)を表している。
また、燭光(キャンドル)とは、米国で標準化された1本の蠟燭に点火したときに出す光量の単位で、こと細かな条件が規定されている。標準蠟燭は、溶融点が55度で直径が23mm、24本の木綿芯(を束ねたもの)を採用した炎の高さが50mmに上がるパラフィン蝋燭で、1時間のパラフィン消費量が7.7gと規定されていた。推奨光量表(下表)を参照すると、もっとも明るくする必要があるとされたのは寝室と浴室、台所で、次いで食事室(食堂)と洗濯室、つづいて書斎と居間、客間などとなっている。
もっとも光量が少なくていいのは、納戸と玄関とされている。これは当時の米国における家庭生活をベースにしているので、日本のそれとはかなり感覚が異なるのではないだろうか。日本では、もっとも照明を明るくしたいのは居間や台所、書斎、客間あたりではないかと思われるが、米国ではなぜか寝室や浴室の光量を重視していた。1930年代の米国では、寝室で読書をする習慣が根づいていたため、また浴室では身体のどこかに異常がないかどうかを確認し、よく見えるようにするためだったのだろうか。
次に照明の方法だが、昭和初期の当時は次の4つの種類があった。
①無笠直接照明法
②有笠直接照明法
③間接照明法
④半間接照明法
現在でも、この4つの照明法は基本的に変わらないが、①の電球を裸のまま吊るして点灯しているケースはほとんどまれだろう。物置きや納戸、古い民家のトイレなどに残っているぐらいだろうか。また、②の電球に笠をかぶせて用いるのは、昭和初期では一般的に行われていた照明法だが、現在の住宅ではあまり見かけない。
1960年代になって蛍光灯が普及しはじめると、裸のリング蛍光管の上部に装飾的な笠をかぶせる方法が一般化していった。蛍光灯が安価になると、それまでフィラメントの耐久性が低く頻繁に切れていた電球にかわり、蛍光灯が爆発的に家庭へ普及していくことになる。ちょうど、蛍光灯にかわりLED照明が急激に普及したのと同じような光景だったろう。
①②の照明法について、富永哲夫の意見を聞いてみよう。
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直接照明法は光を被照面に直接投射して照明を与ふる方法で、その有笠の場合には被照面に対して光を最も有効に利用し得る利益がある。即ち光が被照面に達する途中に於ける損失が少いのである。又他体の影響小なる為、天井、壁等の色並にその距離に大なる関係をもたない。しかも、この装置は廉価で、取扱ひが簡単である外に塵埃の為照明能率を減退することが割合に少いものである。然しながら、輝きが強くて眩暈を感じ易く、直接神経に感ずる場合が多い為に疲労し易く、濃き陰影を与へて仕事の能率を減退すると云ふ不利益がある。/無笠の場合には以上の欠点の外に室の広さ並に色により光の損失が大である。
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当時の電球は、今日の白熱球やLED電球に比べたら照明度があまり高くなく、いまから見ればかなり暗く感じるのではないだろうか。それを前提にして文章を読まないと、裸電球に笠をかぶせるメリットが見えてこない。また、今日の白熱球と呼ばれる白い電球ではなく、透明なガラスでフィラメントが直接見える製品が多かったため、その強い光を見つめると「眩暈を感じ易く、直接神経に感ずる」ようになったのだろう。
また、③の間接照明法は、現在でも住宅のオシャレな居間や寝室、ホテルや旅館の演出などでは採用されているが、一般の住宅では照明効率が悪いため、特別な目的でもない限りは用いられていない。現代の住空間でもっとも多用されているのが、④の半間接照明法だ。当時は照明用の器具が高価だったせいか、③と④の照明法を採用するのは住宅建築(特に西洋館)に凝ったおカネに余裕のある家庭が中心だった。
④間接照明法と⑤半間接照明法は、直接光が当たらないため薄暗くなってしまい、それを補うためには装備する電球の数を増やさなければならず、当時は輸入品が多かった照明器具とあわせると不経済で、一般の庶民にはなかなか手が出なかったろう。
今日では一般的な半間接照明について、同冊子よりつづけて引用してみよう。
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半間接照明は間接照明と直接照明とを併用したもので、半透明の反射笠を倒立して、その笠の反射光により先づ天井を照し、天井からの反射する光を以て放照面を照すと同時に、半透明の笠を透過して来る直接光によつても照すものである。これの利益とする処は発光体の強き輝きのため眩輝を感じないことである。従つて視神経の疲労少なく、光が一様に散布せられ、濃き陰影を作ることがないのであるが、これに反して照明能率が甚しく低く、設備に要する費用が大であるのみならず、天井、壁等の色に影響され、掃除を怠ることが出来ない等の欠点がある。然し衛生上より見て半間接照明法は最もよいものと云はなければならぬ。
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富永博士の推奨する④の半間接照明は、今日ではもっとも多い照明法となっているが、現代の住宅では天井へ直接埋めこむ照明方式も多いので、吊り下げられた照明とは異なり光が天井に反射するまでもなく、そのまま室内に光が拡散されて降りそそぐので、半間接照明というよりは直接的関節照明と表現したほうが適切かもしれない。
このあと、ドイツの学者ウェーベルおよびブンゼンの初期型光度計について、実験図版とともに解説しているが、家庭における照明と衛生の課題にはほとんど関係ないことなので割愛する。どうやら、富永哲夫はいちいち実証実験をするのが好きだったようなのだ。
大正後期から昭和初期にかけて、「自然光」をキャッチフレーズにした電球が何種類か発売されている。東京電気によるマツダ電球Click!などがその代表的な製品だが、従来の画家とは異なり太陽光によるモチーフの陰影をあまり気にしない、シュルレアレズムやアブストラクトの新しい表現者たちは、夜間でも電灯の下で仕事をしていたので、「自然光」を売りにしていた電球製品を選んで、アトリエの天井から吊るしていたのかもしれない。
◆写真上:1960年代まで多かった、裸電球に笠をかぶせた有笠直接照明法。
◆写真中上:上は、米国のゼネラル・エレクトリック社が推奨した住宅各室の推奨照明度。中・下は、古い日本家屋(和館)に見られる半間接照明法。
◆写真中下:上は、玄関などに多かった有笠直接照明法。中は、古い和館に見られる廊下の雪洞型照明(間接照明法)。下は、西洋館のアール・デコな照明器具。
◆写真下:上は、昭和初期の住宅で見られたさまざまな照明法。下は、1925年(大正14)に撮影された中村彝アトリエClick!の照明(左)と、現在の中村彝アトリエ記念館の照明(右)。