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Channel: 落合学(落合道人 Ochiai-Dojin)
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大江賢次と松本竣介とのコラボレーション。

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松本竣介写真1.jpg
 2012年(平成24)の暮れ、世田谷美術館で「松本竣介展―生誕100年―」を観たが、会場には松本竣介Click!が1936年(昭和11)の夏に撮影した、29点におよぶ東京市街の写真が展示されていた。これらは、松本竣介が風景モチーフの参考にと撮影したものもあるのだろうが、大江賢次Click!が書いた「随筆映画ストーリー」というショルダーの、小説ともエッセイともとれる作品の“挿画”用として撮影された画面も含まれている。
 大江賢次Click!が「随筆映画ストーリー」と名づけた『表通と裏通』は、1936年(昭和11)10月に刊行された綜合工房Click!「雑記帳」(創刊号)Click!に掲載されているが、描かれているのは東京の真夏の情景であり、松本竣介はそれに合わせてカメラ片手に東京の街角を撮影してまわったと思われる。だが、「雑記帳」の創刊は秋へずれこんでしまい、松本竣介はそれを気にしてか『表通と裏通』の最後に、こんな一文を寄せている。
 「雑記帳」(創刊号/1936年10月号)の、『表通と裏通』文末から引用してみよう。
  
 本稿は新しい試みとして、大江氏が非常な意気込で執筆されたものです。原稿を戴いたのは八月の暑い盛り、モチーフは夏になつてゐるので、涼しい盛りの季節に送るのは、執筆者、読者に誠に申訳ないと思ふのですが、さうしたことに頓着なく読んで戴けると幸甚です。挿入の写真も不自由なもので誠に恐縮して居ります。(編集子)
  
 おそらく、大江賢次Click!の原稿を8月に受けとってから、松本竣介はほどなく市街地に出ているのだろう。撮られた写真の人物は夏服で、女性は半袖のブラウスに男性は麦藁で編んだカンカン帽をかぶり、光線が強いせいか建物や人物の陰影が濃く、半ばハレーション気味な表通りの写真もある。ビルや住宅の窓は開け放たれており、冷房がない当時の東京の蒸しむしした熱気が伝わってきそうな風景写真だ。
 撮影された場所は、大きな貨物駅や操車場のあるおそらく新宿駅のプラットホームにはじまり、神田や秋葉原、御茶ノ水界隈などの情景が多く含まれていると思われる。その中には、現在でも風景的な印象がほとんど変わらない場所も写されており、御茶ノ水駅のプラットホームから眺めた神田川沿いの木造4階建て住宅や、昌平橋から眺めた総武線の神田川に架かる鉄橋なども撮影されている。
 そして、大江賢次の『表通と裏通』を意識してか、市電の線路が通い自動車が往来するにぎやかな表通りと、小さな商店が店開きしている未舗装の裏通りなどを選んでシャッターが切られている。ただし、松本竣介自身の風景モチーフ探しも兼ねていたのか、いかにも彼の作品テーマのひとつである「街」に登場しそうな建築や街角、火の見櫓などの風景も撮影されている。これらの街角写真は、神田や御茶ノ水界隈に古くからお住まいの方に見せれば、どこを撮影したものかがすぐに判明するだろう。
 さて、大江賢次Click!の『表通と裏通』だが、「随筆映画ストーリー」というショルダーのとおり、非常に映像的な描写に終始している。まるで、1936年(昭和11)の夏、東京市街地のとある1日を記録映画に収めたような構成および描写となっている。全体の構成を「朝」「昼」「夜」に分け、全17章で東京各地の情景をビジュアルな筆致で描きだしている。
 たとえば、『表通と裏通』冒頭の「朝」は、こんな情景からスタートしている。
  
 ……朝だ。諸君の眼はカメラ。さあ一緒に歩かう。/この寂しいことは! 昨夜の人通りにくらべて、舗道は靴音もきこえない。両側のビルヂングもデパートも個人商店もまだ扉があかぬ。/みづみづしい街路樹には露が光り遠い郊外からとんできたのであらう蜜蜂が、花をさがして繁みに唸ると戸惑ひしたやうに空へ去った。/その消防署の望楼では、夜つぴて見張つた消防手がまぶしげにバラ色の旭を見てあくびをした。彼は、やがてぐつすりと眠ることのできる自分の家の方を眺めた。街の上には淡いきれぎれの靄がうごき、どうやら今日も暑くなりさうだ。
  
松本竣介展2012.jpg 雑記帳193610.jpg
表通と裏通1.jpg
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 まるで、撮影を意識した映画のシナリオのような冒頭の情景描写であり、大江賢次のカメラ目線は最後まで変わらずにつづいていく。先ほどは記録映画と書いたが、別のいい方をすれば個人的な感想や思いはあまり差しはさまず、できるだけ見たままの情景をリアルに記録するルポルタージュのような手法でもある。
 これは、近くに住み親しく往来していた芹沢光治良Click!による、戸山ヶ原Click!を歩きながらのフランス文学の「講義」にヒントを得たのかもしれず、まるでアンドレ・ジッドの「紀行文」的な文章を読むような趣きをしている。
 あるいは、第二次世界大戦後にフランスで興ったジッドが出発点とされている、近代小説を否定し「ヌーヴォー・ロマン」あるいは「アンチ・ロマン」と呼ばれるようになる、ある一定の思想や登場人物たちの心理描写、あるいは一貫した物語性を排して、世界や状況をできるだけありのままに表現する手法をめざした作品のようにもとらえることができ、松本竣介へ「非常な意気込で執筆」したと語っているのは、大江賢次のそのような先駆的なリアリズムの意図やねらいが、『表通と裏通』にはこめられていたのかもしれない。
 松本竣介もそれに気づき、カメラを手に街中へ出かける意欲が湧いたものだろうか。つづけて、同作品の「昼」から引用してみよう。
  
 ……たとへ蚯蚓が出てくれてもいゝから、もつと水道の出がよければいゝほどの洗濯日和。裏通りのどの物干台も満艦飾だ。盥の中では裸ン坊が海と心得てあそんでゐる。しかしこの子たちは本当の海は知らないのであらう。/風鈴屋、金魚屋、なんでも十銭屋、紙芝居屋、ちんどん屋、汗だくで炎天下にかせいでゐるが儲けは薄い。足もとのアスフアルトは鳥黐だ。ちよつくら市長さんに歩いてもらはう。(章番略) 客はアイスクリームやスマツクで涼をしのいでゐるのに、メツキの盆をもつ水兵服の少女たちは汗みどろだ。それでも裏町にゐる母たちよりもまだ涼しい。
  
 「スマック」アイスというのは、戦前にヒットした米国生まれの棒状アイスのことで、バニラアイスにチョコレートをコーティングしたものが主流だった。今日の100円ショップと同様に、「なんでも十銭屋」が店開きしていたのが面白い。
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神田川鉄橋.jpg
 街中では株屋(証券会社の営業)が、まるで自分の持ち株が値上がりしたように興奮しながら、夢中で顧客に“買い”を勧めており、ネコは金魚鉢の金魚へちょっかいを出したが、とても獲れないとわかるとその前足で顔を洗い、ちんどん屋はもの陰で崩れた化粧を直している。それぞれの情景と上掲の間にはなんの脈絡もなく、うだるような暑さの東京の街角が、次々に関連性を抜きに描写されていく。
 夕陽が沈みかけ、黄昏どきになると人々は少し活気をとりもどし、いまごろは別荘にでかけているはずの女学生同士が、バッタリ街中で顔をあわせて気まずそうにいいわけしたり、退社したサラリーマンたちは郊外の自宅で妻が夕食の支度をして待っているにもかかわらず、生ビールを飲みに続々とビアホールへと殺到する。
 今日と、あまり変わらない情景が繰りひろげられる東京の街角だが、あたりが闇に包まれると少しは落ち着いた風情を見せはじめる。再び、同作品から引用してみよう。
  
 裏通りは、おマンマをかせいだ人々で氾濫する。その汗にぬれた銭をリレーのやうに米屋へ渡す妻の、よく愚痴に言ふのは『震災前』である。/ざんざんと米をとぎ、水に月光がくだけ、大川端のはうでは花火が爆ぜ、母ちゃん早くマンマとせがむ子に蚊が群れる。/貧しいけれども一日の労苦を冷奴に忘れ、庭もない窓のふちの万年青の葉を、たんねんに筆でなでゝゐる夫は幸福さうである。夕顔がひらき、うち水をした路地風が涼しい。おい、夜店でもブラつかうや!
  
 おそらく(城)下町Click!の、表通りと表通りにはさまれた新道Click!と呼ばれた裏通りの情景なのだろう。夕食のあと、団扇片手に夜店をひやかしながら近くの銭湯に立ち寄り、帰ったら子どもを寝かしつけて、あとは自分たちもラジオを流しながら眠くなるのを待つ時間かもしれない。あるいは、妻が内職の針仕事をしているうちに、夫は蚊帳の中で子どもを団扇であおぎながら、自分も寝落ちしてしまうのだろうか。
 特高Click!に繰り返し検挙され、未決の拘置所では文学作品の読書三昧だった大江賢次の、まるでアンドレ・ジッド『地の糧』を地でいく「書を棄てよ、町へ出よう」の大江版であり、戦後に丸ごとジッドを拝借して書名にした寺山修司Click!の先どりでもある。ただし、大江は家庭の「のぞき」見で警察に逮捕されることはなかったが……。w
 大川(隅田川)Click!両国橋Click!のたもとで、打ちあげられる花火の音が聞こえているから、おそらく神田あたりの裏通りの情景だろうか。このあと、大江賢次Click!は深夜の寝静まった街並みを描き、「諸君、おやすみなさい。やがて朝が追つかけてくる。」で文章を結んでいる。ちなみに、両国橋のたもとで打ちあげられていた花火は、7月に行われた公式の両国花火大会Click!とは別に、おカネ持ちが花火師を雇って打ちあげ柳橋の料亭Click!や屋形船から眺める、江戸期と変わらないプライベートな打ちあげげ花火も健在だった。したがって、8月に書かれている本作の「大川端のほうでは花火が爆ぜ」る音は、どこかのおカネ持ちか会社の接待かは不明だが、私的に打ちあげられた両国橋たもとの花火だ。
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御茶ノ水4階建て住宅.jpg
 1936年(昭和11)8月、小学5年生だった親父は千代田小学校Click!の臨海学校で房総の興津海岸Click!ですごしているが、真っ黒になって日本橋にもどってくると、おそらく『表通と裏通』のような情景が街のあちこちで展開していたのだろう。親父が生きていれば、同作の描写を「そうだ、こんな感じだったな」と、その街角リアリズムに感心するかもしれない。

◆写真上:1936年(昭和11)の夏、新宿駅のホームで撮られたとみられるスナップ。
◆写真中上上左は、2012年(平成14)に開催された「松本竣介展―生誕100年―」図録。上右は、1936年(昭和11)10月に発行された「雑記帳」(創刊号)。は、大江賢次『表通と裏通』のページと松本竣介による青果店とみられる挿入フォト。
◆写真中下は、大江賢次の同作と松本竣介による中央線のガード下とみられる挿入フォト。は、昌平橋から眺めた中央線の神田川鉄橋とその現状。
◆写真下は、大江賢次の同作とどこかの廃材置き場のように見える場所。は、御茶ノ水駅のホームから眺めた木造4階建ての住宅群と少し前の現状。現在では同所の建物はコンクリート建築ばかりになり、護岸のコンクリートも一新されている。

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