文学座の杉村春子Click!と新派の初代・水谷八重子Click!は、杉村が1906年(明治39)生まれで水谷が1905年(明治38)生まれと、わずか1歳しかちがわないにもかかわらず、杉村はまるで自分の師を見るような眼差しで水谷八重子を位置づけていた。また、1917年(大正6)生まれの山田五十鈴Click!のことは、杉村より11歳も年下だったにもかかわらず、酒を飲みながら楽しく話せる友だちのような感覚で接していたようだ。
昔から、日本の舞台の「三大女優」といわれるこの3人だが、わたしは3人とも実際の舞台を観ている。だが、小学生時代に多く観た新派の舞台は、せっかく水谷八重子(初代)が熱演していても、申しわけないことに午睡する時間だった。小学生の子どもが『婦系図(おんなけいず)』Click!や『日本橋』Click!、『晴小袖』Click!、『残菊物語』Click!などを見せられても、ストーリーが“大人の事情”ばかりなので子どもは睡魔に襲われるしかなかったのだ。歌舞伎の特に世話物は、展開がおもしろく七五調のセリフも心地よくて、飽きることなく興味津々に眺めていたけれど、新派の芝居は退屈で退屈で死にそうだった。
文学座による杉村春子Click!の舞台も、子どものころから学生時代まで何度か観ているが、山田五十鈴は高校生のとき親父が好きだった『たぬき』の舞台を、たった一度だけ観たことがある。山田は自宅を持たず、ホテルを自宅代わりにしていたせいか、仕事で待ち合わせのホテルのロビーでもときどき見かけたことがあった。誰かと打ち合わせの予定だったのだろうか、目立たないよう少し色つきのメガネをかけ、地味な服装をしてオーラを消していたようなのだが、わたしがすぐに気づいたように、そこにドーンと「大女優」がいる気配は消しようもなく、そこだけが次元の異なる空間のように感じたものだ。
余談だけれど、目白台の新江戸川公園(現・肥後細川庭園)の入口あたりで、わたしはずいぶん以前にイヌを連れた北林谷栄に会ったことがある。この人は「生きる演劇史」ともいわれた人で、ほとんどが脇役だったにもかかわらず「超」がつくほどの「大女優」だ。ところが、わたしはしばらくこの老婆が彼女だとは気づかず、わたしの足もとにイヌがまとわりついてきたとき、軽く会釈をされたので初めて気がついた。
いつもイヌを散歩させながら、そのへんを歩いていそうなふつうの乃手に多いモダンなお婆さんに見え、とてもオーラなど感じなかったが、こんなところが自己をすっかり消して役に「なりきる」芝居がとび抜けてうまかった、北林谷栄の真髄であり秘密があるのだろうと感じた。わたしは昔ら彼女の大ファンだったので、もう少しでノートを差しだして「サインしてください!」とお願いしたくなったけれど、いきなり大正時代の青森あたりに生きた畦道をゆく農婦に変身されて、顔をくしゃくしゃにし「わたす、はぁ、字が書けねえんだば」と断られても困るので、うしろからソッと見送った。
杉村春子と山田五十鈴は、舞台の『やどかり』『月夜の海』などや、映画の『流れる』などでも共演しているけれど、雑誌やTVの対談などでもときどき顔を合わせていたので、プライベートな生活には深く踏みこまなかったものの、しだいに楽しい話し相手や飲み友だちとして親しくなっていったらしい。少し酒が入ってくると、山田五十鈴はつい出身の大阪弁で、杉村春子は舞台に立つようになってから演出家に叩きこまれた東京方言Click!で、お互いしゃべっていたのではないだろうか。
2002年(平成14)に杉村春子への詳細なインタビューを編集・構成し、日本図書センターから出版された『舞台女優』から引用してみよう。
▼
いつかお正月に雑誌の対談でご一緒しましたとき、五十鈴さんはこんなことをおっしゃっておられました。「今まで、私はいろんな男遍歴があって、それを栄養にして、したたかに大きくなってきたかのようにいわれてきたけど、それは誤解というか、根本的にそんなものではないのよ。これからは私、黙っちゃいないわ」/やはりあのかたにしても、いろいろと腹にすえかねることもあるんだなあ、と何となく相通ずるものを感じたものです。/世間の噂なんて、ムキになって打ち消したところでどうしようもないもので、半分はあきらめてはいますが、あまりといえばあまりだ、と憤りをおさえられないこともおありなんだなあ、と思いました。
▲
杉村春子は、山田五十鈴の言葉を東京弁風に変換してインタビュアーに話しているが、酒が入った山田五十鈴ならこんないい方はしなかったのではないか。
わたしが勝手に想像してみるに、「今まで、あてはいろんな男はんの遍歴があって、それをぎょうさん栄養にしたゆうて、したたかに大きゅうなったいわはりますけどなぁ、ちょいと、聞いてえな春子さん、そら誤解ゆうか、根本的にそんなんあらしまへんのや。これからはな、春子さん、あてかてそんなん泣き寝入りすの、やめよう思うてますねん。……なぁ、もうちっと注いでえな、春子さん」と、こんな感じではないだろうか。w
山田五十鈴は、何歳になってもどこか娘のような無邪気な感覚を宿していて、スキを見せず「冷たい感じ」といわれた水谷八重子(初代)とは、まったく対照的な存在として杉村春子には映っていたようだ。杉村が、「これ召し上がる?」とお菓子を差しだすと、「まあ、うれしいわ」(翻訳:まあ、うれしわぁ、おおきに)と、嬉しそうにパクパク食べる無邪気さを見て、山田五十鈴といっしょにいると楽しくなってくると答えている。
かなり酔いがまわってくると、山田五十鈴はエンエン泣き上戸になったといい、酒が進むと笑い上戸になりそうな杉村春子とは、かなりいいコンビネーションだったのではないだろうか。杉村は、「かわいい山田さん」と表現しているが、「ちょっと、春子さん、あての話、聞いてくらはります?」といろいろ聞かされているらしい。
ふたりは、東西を代表する舞台女優だったので、それぞれ同じようなことで騒がれ、同じようなことでイヤな目にあってもきた人生なのだろう、上掲の『舞台女優』には女の生き方について、ふたりで長々としゃべりあったような気配が感じられる。同書には、お互いが共感しあったとみられる、「この世は男と女で」と題した章が挿入されている。
「山田さんとこんな話もしました」と書く一部を、同書よりつづけて引用しよう。
▼
でも私のように長く生きて、いろいろなものを見てしまうと、永遠なんてそんなことは絶対にあり得ない、逢ったら必ず終わりは来ると思ってしまいます。ですから、はかなくなってきますし、その時どきがひどく不安になってしまいます。考えすぎるのでしょうね。それは若くはなくなった証拠なのかもしれませんけど。/若い時は好きになったら何がなんでも……ですけれども、長い間生きてきますと、まわりにいっぱい藻がからみつくようにしがらみができてきて、とみこうみしていたら、恋なんてできなくなってしまいます。/それでもがんばって、すべてを捨てる覚悟で押し切ろうとしても、その感情は火花のようなものでパッと消えてしまうかもしれない、はじめがあれば必ず終わりがある、とつい思ってしまいますから、はかなくなってしまうのです。
▲
なんとなく、ふたりの会話は諦念とグチが混じっていそうな雰囲気のように思えるが、おしゃべりの「結論」はいつも非常に前向きだったようだ。酒に酔って、ちょっと開き直りぎみのふたりは、次の7つの「結論」を導きだしている。
①人間だから当然人を好きになるし、恋もできないなら役者なんてやってられないわ。
②世の中、男と女がいなければつまらないし、そもそも成り立たないじゃないの。
③男女が双方を尊重し合い、認め合い、よく協力し合って生きてこそ理想的なのよ。
④とにかく男と女がいるから楽しいし、嬉しいことも多くなるのだからお互い仲よくね。
⑤恋愛に歳は関係ないし、いつも好きな人がいてかまわないじゃないの、文句ある?
⑥「もう私はそんなもの(恋愛)なんていりません」なんて、とんでもないことだわよ。
⑦恋愛をしたからって、いちいち周囲がうるさく騒がないでちょうだいな。
杉村春子と山田五十鈴、これだけの「大女優」になると、それこそ人生にはいろいろなことがあったのだろう。杉村は、山田のことを「並の女の人にない強さをもっていらっしゃいます」などと語っているが、そういう杉村自身さえ、山田五十鈴以上の強さをもっていたように思える。「わたくし、ほんとは弱い女なんですのよ」とかいう女性に限って、とんでもなく強情で頑固だったりするから、世の中おもしろくて飽きないのだ。
飲むと泣き上戸だった山田五十鈴が、おもむろにボソボソとなにか話しだすと、そこは大阪女性なのでユーモラスなしゃべりも交えるから、それを聞いた杉村春子が「アッハッハッハッハ」と屈託のない笑いで返す、そんな情景が浮かびそうなふたりの飲み会なのだ。
◆写真上:1956年(昭和31)に制作された成瀬巳喜男監督『流れる』(東宝)で共演した、杉村春子(左)と山田五十鈴(右)。その後、舞台でも共演することになる。
◆写真中上:上左は、リリースされた『流れる』のDVDジャケット。上右は、1959年(昭和34)に制作の小津安二郎『浮草』(大映)に出演した杉村春子。立っているのは、共演した川口浩と若尾文子。中は、『流れる』のワンシーン。下は、1949年(昭和24)に制作された小津安二郎・監督『晩春』(松竹)で原節子とともに冒頭の数寄屋シーン。
◆写真中下:上左は、1997年(平成9)に平凡社から出版された津田類・編『聞き書き/女優山田五十鈴』。上右は、1955年(昭和30)制作のマキノ雅弘・監督『人生とんぼ返り』(日活)。中は、『人生とんぼ返り』のワンシーンで森繁久彌Click!と山田五十鈴で奥は左幸子。下は、1974年(昭和49)の舞台『たぬき』のインタビューに答える山田五十鈴。
◆写真下:上は、1954年(昭和29)制作の成瀬巳喜男・監督『晩菊』(東宝)に出演した杉村春子と上原謙Click!。中は、1995年(平成7)に制作された新藤兼人Click!監督『午後の遺言状』(近代映画協会)に出演の杉村春子(左)と音羽信子。同作は杉村春子の最後の主演映画となったが、音羽信子の遺作ともなった。下は、日本図書センターから出版された山田五十鈴『映画とともに』(2000年/左)と杉村春子『舞台女優』(2002年/右)。