クルマの「交通量の増大」と「渋滞緩和」を理由に、1946年(昭和21)から計画されている補助73号線Click!について、その基盤となる“理由”がもはや21世紀の今日、どこにも存在していないことを改めて書いてみたい。この道路を計画している東京都の資料には見えないが、国土交通省ならびに総務省Click!には将来予測のシミュレーション資料が提供されている。
ただし、国交省の予測データは2003年(平成15)と、いまから10年以上前の資料であり、総務省のデータは近年に発表されたものだ。国交省は、クルマの交通量が2050年までにどのように推移するのかをシミュレーションしたものであり、その根拠としては日本の全人口の推移と、労働人口の推移、そしてGDPの推移などがベースとなっている。しかし、10年以上前に作成されたベースとなるこれらの数値は、楽観論に満ちみちた想定であるにもかからわず、交通量つまりクルマの走行量(台数)は減少するとしており、増加するとした予測はひとつもない。しかも、これらの数値は10年が経過したいま、事実と照らしあわせて検証することができる。
楽観論に満ちている、予測の基盤となったデータの中身を具体的に見てみよう。これが、そもそも大まちがいの元だと思うのだが、日本のGDPは1999年から実質マイナス成長をつづけているのにもかかわらず、国交省の経済予測はすべてプラス成長が予測の基盤となっている。経済成長を、「高位」「中位」「低位」の3つのケースに分けているのだが、1960~70年代の高度経済成長を想起させる「高位」はまったくの論外として、「低位ケース」でも2004年から2020年まで順調に平均1.5のプラス成長をつづけるという、ほとんど空想論のレベルだ。
事実として、2004年から一昨年までは総体的にマイナス成長、ないしは下降気味の横ばい成長だったわけで、そもそも交通量シミュレーションの基盤となるGDP予測ひとつとってみても、それによって導き出された数値の信頼性・信憑性の中身が疑われるだろう。ここにも、ありえない架空の交通量の見込みと収益予測(早い話がマーケティングの虚構と分析の根本的な錯誤)により、赤字道路をごまんと建設してしまい、すべて国民の税金で尻拭いをつづけている、いい加減な姿勢が透けて見えるようだ。道路や鉄道は、建設して終わりなのではなく、そこから膨大な維持管理費がかかる。だからこそ、厳密な需要予測が求められているのだ。
さて、日本の人口推移のほうはどうだろうか? さすがに国交省でも、これから日本の人口は増えつづけるという予測は示していない。こちらも、「高位」「中位」「低位」の3ケースに分け、それほど急激に日本の人口は減らないとする「高位」は、すでに事実とはまったく異なるので論外として、人口がかなり減るとされている「低位」ケースに沿った下降線を描いているのが現実だ。実際の人口推移は、「低位」ケースに近い深刻な減少がつづいていることは、この10年間に現象化した総務省が発表する統計データなどからも明らかになっている。すなわち、2050年には日本の人口は1億人を大きく割りこみ、9千万人台の前半あたりまで落ちこむとみられる。労働人口は、総務省の予測によれば全人口の減り方よりも、さらに急カーブを描き減少が加速するとされている。
それでも、これらの非常に“楽観的”な基礎データをもとに、国交省が算出した交通量の将来予測は、「高位」「中位」「低位」の各ケースすべてにおいて、2050年までに減少するとしている。わたしは、個人的には10年以上前に想定された「低位」ケースの予測を、さらに下まわるのではないかと想像している。なぜなら、現在の事故多発を背景に課題として急浮上している、高齢者がクルマを運転することに対するリスク低減のための法規制検討や、特に都市部において顕著な交通網の整備充実による若者たちのクルマ離れ、若い世代を中心として70万人にも及ぶニート(家庭内引きこもり)の存在など、“想定外”の社会的な新たな取り組み/仕組みづくりや顕著な現象が、この予測データにはまったく加味されていないからだ。特に最後のニート・ケースは、自動車教習所に通うことさえ事実上不可能だろう。しかも、補助73号線が計画されているのは、交通がきわめて至便な豊島区と新宿区の都心部だ。
池袋から目白、下落合、戸塚(高田馬場)を南北に抜け、新宿までつづく補助73号線Click!は、もはや「交通量の増大」と「渋滞緩和」を理由に建造する意味は、どこにも存在していない。わずか30年後には、ムダで過剰投資だったと総括できそうなクルマの道路インフラへ、膨大な税金を投入する理由がどこにも見あたらないのだ。道路が未整備の地域なら別だが、池袋から新宿までの幹線道路には、すでに明治通りと山手通りの大道路が近接して南北に2本も存在している。しかも、山手通りの地下には首都高速中央環状新宿線が開通したばかりだ。また、不忍通りから目白台を抜け、早稲田から新宿まで貫通する環4の工事も、すでに用地買収がほとんど済みスタート目前のように見える。前世紀の土建的な発想から早く抜け出し、道路建設をする膨大な予算的余裕があるのであれば、もっと別の将来性のある社会インフラ、ないしは予想される大地震に備えた防災インフラ、さらには東日本大震災で明らかになった脆弱性を問われている、通信インフラの充実=冗長化へ投資すべきだろう。
さて、将来はクルマの台数が増加し、交通量が増えることで渋滞をまねく怖れがあるので、これからも幹線道路を整備しよう・・・という流れが提唱できなくなった場合、次に建設の理由づけとして登場しそうなのが「防災」のテーマだ。行政は「防災道路」整備のため・・・などと、あたかも以前の建設理由などどこにも存在しなかったかのように、なりふりかまわずご都合主義的な新しい「理由」をいいだしかねないので、先に禁じ手として書いておきたい。“タヌキの森”の新宿区建築課、あるいは新宿区建築審査会がそうであったように、行政の土木建築分野の部局ないしは組織にはコンプライアンス感覚の欠如感とともに、わたしは本質的な不信感をもっている。
そもそも、「防災道路」ってなんなのだろうか? 震災で火災などの緊急事態が起きた場合、現場へいち早く駆けつけられるようにするのが「防災道路」だと定義すれば、それは「火薬庫にある避難場所」というぐらい矛盾に満ちたワードだろう。東京が震源地の直下型大地震が起きた場合、自動車道路はむしろ機能などしない。道路沿いの建物の倒壊はもちろん、周囲からの落下物や乗り捨てられたクルマなどにより、交通がマヒすると考えたほうが事実にもとづいている。
関東大震災Click!のときは、クルマの台数こそ少なかったが、避難する人々で道路はごった返し、また人々が放置した大八車や荷物で道路は埋められ、人が通行するのさえ困難となった。加えて、放置した大八車の家財道具に火が点き、火災の拡がりを助長したのは誰も否定できない史的事実だ。先に発表された、内閣府の第三者委員会である中央防災会議による、「幹線道路はマヒして機能しない」という認識のほうが現実的なのだ。
ましてや、大地震が起きたらクルマで避難するのは禁止され、徒歩で避難場所へ向かうよう行政は“指導”している。つまり、路上には乗り捨てられたクルマがそのまま放置され、もし万が一火災が迫った場合には、クルマ自体がガソリンタンクのような危険物と化するだろう。これは、家々の車庫や路上に置かれたクルマの延焼-爆発-延焼拡大という現象が指摘された、阪神・淡路大震災や先の東日本大震災における一部の広域火災事例を見るまでもない。東日本大震災では、火災原因の20%がクルマの炎上によるものだとされたのも記憶に新しい。道路を建造し、そこにクルマが走るということは、もし大震災が東京を襲った場合、路上に駐停車しているクルマが大火災の延焼拡大ルート、文字どおり導火線になりかねないということだ。
東京の都心を走る、「防災道路」ってなんなのだろうか? 近年、これだけの経験や教訓を見聞きしているわたしには、もし補助73号線建設の理由が「防災」などという理由にすり変わるとすればだが、もはや「火薬庫にある避難場所」などという意味不明なワードにしか聞こえないだろう。
下町Click!の自治体が、川沿いや掘割り沿いに次々と防災桟橋を建設している。もちろん、大震災の際には道路が機能しないことを前提に、江戸期から拓けた昔ながらの水運によって、救援物資を各町へ運搬・配送しようという計画だ。すでに、東京オリンピックClick!前後に埋められてしまった外濠や掘割りも多いのが残念きわまりないのだが、このリスク感覚(危機管理意識)こそが、大震災で甚大な被害をこうむった自治体の正鵠をえた判断だろう。繰り返すが、東京が中心の大震災では、幹線道路は延焼の“導火線”になる可能性こそあれ、「防災道路」などありえない幻想だろう。
◆写真上:西池袋の池袋警察署前で工事がストップしている補助73号線の終端。25m幅の道路が目白から下落合、戸塚を貫通したら住環境の悪化と住民離れは必至だろう。
◆図版中上:上は、2003年に国交省が自動車の交通需要推計モデルの根拠に使用したGDP推移予測表。下は、実際のGDP推移(世界経済のネタ帳より)で大きな乖離がある。
◆写真中下:上は、同推計モデルの根拠となった人口推移予測。現実の人口減少率は、同グラフの「低位推計」に近いラインで下降している。下は、上記の予測などをベースに描かれた交通需要(自動車走行台キロ)の推計モデル。もはや、交通量が2050年に増加するとする予測は存在しないが、現実のピークは2000~2010年だったとみられる。
◆写真下:上左は、すべて補助73号線の下になると思われる上屋敷公園。上右は、その近くにある自由学園明日館の夜景。下は、補助73号線終端の夜と昼の風景。