↧
もはや建設理由がない補助73号線。
クルマの「交通量の増大」と「渋滞緩和」を理由に、1946年(昭和21)から計画されている補助73号線Click!について、その基盤となる“理由”がもはや21世紀の今日、どこにも存在していないことを改めて書いてみたい。この道路を計画している東京都の資料には見えないが、国土交通省ならびに総務省Click!には将来予測のシミュレーション資料が提供されている。...
View Articleバッケが原北端の甲斐・中出アトリエ。
目白文化村Click!北側の一画、下落合1385番地Click!に住んでいた二科の甲斐仁代Click!と帝展の中出三也Click!は、1928年(昭和3)の早い時期に、妙正寺川沿いの野方町上高田422番地へ転居している。下落合の画室には、アビラ村(芸術村)Click!の下落合2108番地に住んでいた吉屋信子Click!が散歩の途中で立ち寄っては、甲斐の作品を購入していた。...
View Article三岸好太郎と中村伸郎と向田邦子。
わたしが、加藤嘉と同じぐらい好きな俳優に中村伸郎がいる。文学座を、杉村春子Click!らとともに起ち上げた中心人物なのだが、のちに脱退して「日本浪漫派」に近い舞台で活躍していた。わたしは晩年のひとり芝居を、残念ながら観そこなっている。どのような役柄でも、抜群のリアリティと存在感を発揮する中村の芝居は、映画やTVでひっぱりだこだったように思う。中村伸郎は、もともと俳優ではなく画家をめざしていた。...
View Articleサエキ先輩、おとどけものでーす!
「おはようございますー、中村さーん!」 「こんな朝っぱらから、なんだ……?」 「♪お~い、中村く~ん!」 「…どこの、誰だろうね。…まったく」 「中村さーんClick!、お留守ですかー!?」 「はいはい! ど~も腹の調子が…、またカルピス飲みすぎたかなぁ。はっはっはっ」 「ちはー、中村さーん!」 「…その黒い僧服は、目白福音教会Click!からきたのか? キリスト教は信じないよ」...
View Article泣いてたまるかの八島太郎(岩松淳)。
鹿児島の八島太郎展実行委員長の山田みほ子様より、八島太郎(岩松淳)Click!の貴重な資料類をお送りいただいたので、その一部をご紹介しながら、彼の遺した作品類を改めてご紹介したい。現在、八島太郎の作品群は、鹿児島での保存あるいは記念館設立へ向けた活動を展開する中で、何点かが山田様の手もとに保管されている。ただし、山田様が身体を壊されて加療中のため、活動がなかなか進捗していないのが現状のようだ。...
View Article佐伯の「下落合風景」を分類してみる。
少し前の記事で、私家版『下落合風景画集―下落合を歩く佐伯祐三―』(非売品)の第6版Click!について触れたが、もう少し同画集にからめ佐伯が描いた「下落合風景」シリーズClick!について整理しておきたい。それは、佐伯祐三Click!が当時の落合地域のあちこちに拡がる風景一般を切り取って描いたのではなく、明らかに風景モチーフの選び方に偏った特徴が顕著に見られるからだ。...
View Article文化村絵はがきセットは存在したか?
先日、古書店で「目白文化村絵はがき」Click!の別バージョンを見つけたので購入した。おそらく、1923年(大正12)に制作しDMに活用された、前谷戸Click!をはさみ第一文化村Click!の家並みを北西側から撮影した、もっとも知られているデザインの絵はがきClick!よりも、古い時期に撮影されたものだ。...
View Article佐伯祐三は笑わない。
佐伯祐三Click!は、よくケタケタ笑っていたという証言が、東京美術学校時代の知人や親しい友人たちの間に残っている。しかし、ひとたびカメラのレンズを向けられると、マジメな顔になって口もとを一文字に結び、深刻かつ憂鬱そうな芸術家らしい顔つきに変貌する。なぜ、佐伯は写真で笑顔を見せないのか? それは、いちばん目立つ上顎左1番の前歯が、丸ごと1本欠損していたからだ。...
View Article「なめくぢ横丁」の名づけ親は誰か?
1933年(昭和8)に諏訪町(現・高田馬場1丁目)の諏訪社境内に住んでいた尾崎一雄は、戸塚通り(早稲田通り)の安食堂で朝っぱらから酒を飲んでいた。いっしょにいたのは、檀一雄Click!と古谷綱武だ。檀と古谷は、前日に萩原稲子Click!が経営する下落合の「ワゴン」で飲んでいて、そのまま尾崎の借家がある高田馬場へ流れてきたものだ。...
View Article