下落合を描いた画家たち・笠原吉太郎。(3)
一昨日、このブログをご訪問いただいた方が、のべ800万人を超えました。連動している扉サイトのオルタネイト記事のカウントを含めますと、1,100万人ほどになります。いつも拙記事をお読みいただき、ありがとうございます。今後とも「落合道人」ブログを、よろしくお願いいたします。 ★...
View Article空襲で全焼した井荻の外山邸。
以前、下落合から西武新宿線の井荻駅近くの西武鉄道による宅地開発地へと転居Click!した、外山卯三郎Click!と里見勝蔵Click!について書いたことがあった。その記事の中で、両邸の位置がまちがっていたので訂正したい。これは、1930年(昭和5)に作成された「豊多摩郡井荻町全図」の地番表記にも、誤りがありそうな課題を内包しているのだが・・・。...
View Articleネコだらけの下落合にいるネコ。
以前、下落合753番地に建っていた九条武子Click!の邸をご紹介Click!したとき、彼女に抱かれているネコや庭先にいるネコが、いまの下落合をウロついているネコたちにそっくりだったのに驚いた記憶がある。おそらく、九条武子は邸内にネコを飼っていたわけでなく、庭先で付近のネコにエサをあげていた、いわゆる“外ネコ”たちが写っているのだろう。...
View Article旧乃手で見かける町火消しの事蹟。
明けまして、おめでとうございます。本年も引きつづき拙「落合道人」ブログを、どうぞよろしくお願い申し上げます。さて、お正月といえば、鮮やかな纏(まとい)さばきにイキな気遣り歌が、町内の羽根つき音にまじってどこからともなく響いてくる、出初式は町火消しのお話から・・・。 ★...
View Article松下春雄の『庭先』と大澤海蔵の『初秋』。
1928年(昭和3)現在、松下春雄Click!は下落合1445番地にあった鎌田邸Click!の下宿から、結婚して下落合1385番地の借家Click!へ、淑子夫人Click!とともに転居している。松下はこれらの住まいを起点に、周辺に拡がるさまざまな下落合の風景をスケッチしているのだが、それらの作品の中には知人の画家と連れ立って写生している様子がうかがえる。...
View Article「ぶつた斬つて見ろ」と潮五郎はいった。
1941年(昭和16)10月、近衛文麿Click!が首相を辞任し東條英機Click!が跡を継ぐと、この国は日本史上でもかつてない犠牲の惨禍と、「亡国」の危機をともなう破局の結末へ向け、まっしぐらに突き進んでいくことになる。それを警告した人々の声は「主義者」や「アカ」「非国民」「国賊」、そして治安維持法違反と国家反逆罪などの名目で、ほとんどすべて圧殺された。...
View Article気になる松下春雄の赤い屋根シリーズ。
下落合1445番地の鎌田方Click!に下宿していた松下春雄Click!は、1926年(大正15)ごろ西坂の徳川邸Click!を描いたとみられる『赤い屋根の家』Click!を制作している。これは当時、下落合800番地に住んでいた同じ帝展仲間の有岡一郎Click!と、お互いに連れ立って徳川邸を訪問していると想像でき、有岡も1926年(大正15)にほぼ同じ構図で『初秋郊外』を描いている。...
View Article標語「アメリカ人をぶち殺せ!」の1944年。
戦前・戦中には、国策標語や国策スローガンが街角にあふれるほどつくられた。そんな標語やスローガンを集めた書籍が、昨年(2013年)の夏に刊行されている。現代書館から出版された里中哲彦『黙つて働き笑つて納税―戦時国策スローガン傑作100選―』がそれだ。特に、若い子にはお奨めの1冊だ。...
View Article交叉する松下春雄と甲斐仁代の軌跡。
関東大震災Click!の余燼がくすぶる1924年(大正13)8月、松下春雄Click!は再び名古屋から東京へとやってきて、巣鴨町池袋大原1382番地の横井方へ下宿している。のちに夫人となる、近くの渡辺医院の長女・渡辺淑子Click!と知り合ったのも、この街での出来事だろう。そして、水彩画家の松下が同年に描いた、めずらしい油彩画に『婦人座像』が残されている。...
View Article頻繁に登場する富士見高原療養所。
大正が終わり昭和に入ったころ、下落合から曾宮一念Click!の影が薄くなる時期がある。1927年(昭和2)の夏、翌1928年(昭和3)の夏、そして翌1929年(昭和4)の夏に入りかけのころだ。ちょうど、5月から7月ぐらいにかけ、梅雨時あるいはその少し前に下落合から姿を消している。どこに出かけたのかといえば、八ヶ岳山麓にある開所したばかりの富士見高原療養所だった。...
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