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先日、笠原吉太郎Click!の三女・昌代様の長女・山中典子様Click!とお会いし、1930年協会展へ参加していた笠原吉太郎の、貴重な『下落合風景』Click!作品をお預かりした。山中様は、新宿区への寄贈を希望されており、さっそく翌日に新宿歴史博物館へご連絡を入れて、新宿区での受け入れを検討していただくことになった。当該の『下落合風景』は、八島さんの前通りClick!沿いの下落合679番地(のち下落合2丁目667番地)に建っていた、笠原吉太郎邸Click!(アトリエ含む)を描いたものだ。以前にご紹介した、同じ通り沿いの小川邸Click!を描いた作品とともに、現存が確認できた2点めの『下落合風景』ということになる。
笠原吉太郎邸(+アトリエ)は、下落合でもかなり早い時期、1918年(大正7)の少し前に建設されている西洋館だ。下見板張りの外壁で2階建ての、当時としては典型的な「大正風西洋館」の姿をしている。笠原邸が建設されたのは、目白文化村Click!や近衛町Click!が分譲をはじめるかなり前で、周辺には西坂の徳川邸Click!の巨大な西洋館(旧邸)Click!や会津八一Click!の霞坂秋艸堂Click!などが散見され、いまだ建物があまりなかった郊外の別荘地然とした風情の時代だった。目白駅寄りに中村彝アトリエClick!はすでに存在したが、佐伯祐三Click!も曾宮一念Click!もいまだ下落合へはアトリエを建設していない。当時の様子を、1973年(昭和43)刊行の『美術ジャーナル』に掲載された、外山卯三郎「画家・笠原吉太郎氏を偲ぶ」から引用してみよう。
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大正七年の春、今の下落合はまだ東京の郊外の田舎で、細い道を歩いて丘陵を越えたり、渓谷を渡るといった状況だったのです。当時まだ北多摩郡(ママ:豊多摩郡の誤記)落合村字下落合といった時代で、草ぶき屋根の落合村役場の隣に、落合村の尋常小学校があり、その隣に火見の楼があった頃のことなのです。この村役場のうらの方の徳川家の牡丹園のはずれのところに、スレイト葺の入母屋の洋館が建っていたのです。これが笠原吉太郎氏の家で、いわゆる大正タイプの洋館だったのです。(中略) 私の父親は、その笠原氏の住居が気に入って、数回にわたって見学にゆき、笠原氏と交友が始まり、大正七年の秋に明治式入母屋スレイト葺の洋館であるわが家が落成したのです。当時、早稲田大学にいた実兄も水彩画を描いていたので、笠原家をおとずれることもあったのです。(カッコ内は引用者註)
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下落合1146番地の外山秋作邸Click!(外山卯三郎の実家)が、笠原邸を参考にしながら建設されたスレート葺きの西洋館だったことがわかる。
お預かりした『下落合風景(笠原吉太郎邸)』(仮)は、330(W)×240mm(H)のほぼ4号Fサイズを想定した、スギと思われる板材に描かれた作品で、近年にクリーニングと額装がほどこされ往年の色彩や美しさを取りもどしている。画面は、絵筆による描画(ないしは絵筆の背による線描き)とペインティングナイフによるスクラッチなど、さまざまな技法を使って描かれており、おそらく大正末から昭和初期にかけての笠原邸を描いたものだ。板に下塗りは見られず、じかに油絵具を載せて描かれているらしい。最初に、絵具の薄塗りで全体の構図を決め、すぐに下描きなしで制作しはじめている印象を受ける。なお、このスギ材は美寿夫人の部屋を増築(画面右手の1階建築)する際に出た、天井板などの余材に描かれている可能性もある。
笠原アトリエには、先の外山卯三郎Click!をはじめ、ときに前田寛治Click!や里見勝蔵Click!、佐伯祐三など1930年協会Click!のメンバーたちが集合して、芸術談義に花を咲かせていた。特に佐伯祐三とは家族ぐるみの付きあいで、お互いが作品を交換しあうほど親しかったようだ。佐伯が描いた『K氏の肖像(笠原吉太郎像)』Click!は有名だが、ふたりは同一の地点にイーゼルClick!を立てて『下落合風景』を描くこともあったらしく、『下落合風景を描く佐伯祐三』Click!(行方不明)などが画像で残されている。そのころの様子を、先述の外山卯三郎の文章から引用してみよう。
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原稿の用件で、中央美術社をたずね、横川毅一郎氏に会い、田口省吾のアトリエで雑談をしていると、前田寛治と里見勝蔵が来訪して、ここで両氏を知り、下落合の住人であるところから交友が初(ママ)まったのです。当時戸塚四丁目に住んでいた彫刻家の藤川勇造夫妻Click!を中心として、毎日曜日に西武線の沿線の田舎をさがして、ピクニックを続けたものだったのです。中山巍Click!が帰朝し、中野和高がかえり、だんだんと、そのサークルがふくれ上っていったのです。さまざまな飲物や菓子や、弁当や果物をもちより、ポータブルのプレイヤーをもって、タンゴをおどるのが常であったのです。(カッコ内は引用者註)
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ひょっとすると、安井曾太郎Click!に師事していた藤川栄子Click!も、頻繁に佐伯アトリエを訪れているClick!ところから、彼女もまた笠原アトリエへ遊びにきているのかもしれない。
描かれた笠原邸は、邸敷地の南東隅の庭にイーゼルを据え、西北西を向くように描かれている。笠原邸の向こう側には、八島さんの前通り(星野通りClick!)が通じており、左手が南で建物の南側面を描いていることになる。笠原作品にしては、それほど厚塗りではなく、かなり手早い仕事だったように見える。面白いのは、画面左などに描かれた樹木の表現が、選ぶグリーンの絵具からタッチまで、どこか佐伯の『下落合風景』シリーズClick!に似ていることだ。特に、下の絵具が乾かないうちにすばやく別の色を上塗りし、下の絵具との混ざり具合を効果的に活かして、木々のリアリティを出していく手法は、佐伯の『下落合風景』でも多用されている。建物の影や輪郭は、濃いブルーで描かれているようで、ブラックは右隅のサイン以外ほとんど使われていない。
青空は薄塗りで、ところどころに下の板目が顔をのぞかせているが、雲は相対的に厚めの塗りで、太い絵筆を反復して動かし、筆先の筋目が残るよう質感をうまく表現している。オレンジないしは黄色を混ぜて、雲に当たる射光をリアルに見せるのも、佐伯の「テニス」Click!に描く雲などに見られる表現法と同じだ。佐伯作品と大きく異なるのは、笠原が描く『下落合風景』には大胆なデフォルマシオンがほどこされている点だろう。佐伯の『下落合風景』は、モチーフとなる風景をかなり正確かつ几帳面にとらえて描いている。おそらく、モチーフとなった下落合風景を、当時の実景写真と重ねあわせても、それほどの狂いはないだろう。モチーフの形象やそれぞれの距離感、パースペクティブなどのとらえ方が驚くほど正確で、その卓越したデッサンの技術力とともに、当時の実景を目にしているような錯覚Click!をおぼえるほどだ。
それに対して、笠原吉太郎が描く『下落合風景』は、残されている数少ない画像Click!を参照する限り、かなり自由なデフォルメがほどこされており、実景というよりは笠原自身が内部で消化した、下落合の心象風景のような画面をしている。どこか、物語のひとコマのような情景や、ユーモラスであたたかい風情を感じさせる仕上がりのように思える。それは、モチーフを見たまま生真面目に写生して描くのではなく、自己の内部で一度咀嚼して再構成しなおし、当時の展覧会では多々見られていた、どこかプリミティーフな表現へと笠原自身が惹かれていたものだろうか。あるいは、既存の印象派の表現に引きずられぬよう、画面を「暴れさせる」フォーブの表現を、ことさら意識していたものだろうか。いずれにしても、描かれた笠原邸はまるで魚眼レンズでとらえられたように大きく歪み、屋根の縁や建物の角は野太い線で無造作に型どられている。
山中典子様によれば、親戚の方々と建物の構造について検討した結果、正面左手にある扉は台所の勝手口ドアで、建物の角を折れた右側に見えているのが、風呂場の扉とのことだ。勝手口の左側に見えている窓は、1階にあった洋間の窓であり、笠原吉太郎の画室はその向こう側、建物の北西角側にあった。また、2階手前(東側)の窓が4畳の、西側の窓が8畳の和室のものだという。さらに、右手に見える増築された建物は美寿夫人Click!の部屋で、おそらくこの部屋で家庭用フランスパン焼き器や笠原手織機など、夫人のさまざまな発明が生まれたのだろう。
笠原吉太郎が、この作品を描くためにイーゼルを建てている背後は、急激に5~6mは落ちこむバッケ(崖地)の地形となっており、第2の洗い場Click!のある西ノ谷(不動谷)Click!が口を開けていた。この谷戸の突き当たりが青柳邸Click!であり、その北隣りが佐伯アトリエということになる。
画面のていねいな洗浄により、およそ90年も前に描かれた作品とは思えないほど、笠原吉太郎の『下落合風景(笠原吉太郎邸)』(仮)は、鮮やかでみずみずしい画面をしている。現在、同作は新宿歴博へお預けしているが、90年前の下落合風景をとらえた画面であり、また1930年協会のメンバーが集った記念すべき笠原邸作品なので、ぜひ永久保存していただきたいものだ。
◆写真上:山中様よりお預かりした、笠原吉太郎『下落合風景(笠原吉太郎邸)』(仮)。
◆写真中上:全体画面と、各部分のクローズアップ。笠原邸を囲む樹木が、いまだ大きく育っていない様子から大正末か昭和の最初期に描かれた『下落合風景』作品と思われる。
◆写真中下:同じく、『下落合風景(笠原吉太郎邸)』(仮)画面の部分クローズアップ。
◆写真下:上は、画面の角度から見た笠原邸の間取り。下左は、1947年(昭和22)の空中写真にみる同作の描画ポイント。すでに庭の樹木が大きく成長し、1階部分の屋根を覆っているのがわかる。下右は、八島さんの前通りに面した笠原邸跡の現状(道路の右手)。
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下落合を描いた画家たち・笠原吉太郎。(3)
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