佐伯祐三が制作した『下落合風景』シリーズClick!の1作に、佐伯邸のトイレを描いた「便所風景」のあることが判明した。証言しているのは東京美術学校の門前、上野桜木町で画材店「沸雲堂」を経営していた浅尾丁策(3代目・浅尾金四郎)だ。また、昭和に入ってからは、池袋の豊島師範学校Click!の近くにも出店を設置していたようで、長崎アトリエ村Click!の画家たちへ筆や絵の具、キャンバス、額縁などの注文に応じていた。
佐伯祐三Click!の「便所風景」は、アトリエに隣接した便所の壁を外から描いたものではないと思われるのだが、当時の佐伯アトリエの構造が明確ではないので断定はできない。画面は、便所の手水鉢(ちょうずばち)や下げられた手ぬぐいが風にひるがえる様子をとらえており、残された平面図から類推すれば、アトリエと佐伯が自身で増築した洋間との間にある廊下から、奥の便所を向いて写生されたものである可能性が高いだろう。手水鉢が置いてあったのだから、おそらく手ぬぐいの横には手水器も下げられていたにちがいない。いまの若い子に、手水器といってもわからないかもしれないが、中に水を入れた容器を手ぬぐいの横にぶら下げ、下の細い蛇口のような部分を手のひらで押すと、中の水が少しずつ出てきて手をぬぐえる仕組みのものだ。手水鉢は手水器の下に置かれ、こぼれた水を受けるカランのような役割りをしていた。
さて、佐伯祐三の「便所風景」作品は、池袋の豊島師範学校(現・東京芸術劇場)の近くで開店していた古道具屋で無造作に売られていた。1986年(昭和61)に芸術新聞社から出版された、浅尾丁策『谷中人物叢話・金四郎三代記』から引用してみよう。
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豊島師範の塀の中程の右側に私の兄がささやかな画材店を開いていた。こんな淋しい所だが、奥のパルテノンClick!在住の少壮画家の方々の御蔭でけっこう商売はつづけられた。/兄からの連絡で近所の道具屋に古い絵が沢山出ているからとの事、さっそく教えられた店へ行って見た。六、七点程買った中に、中沢弘光先生の水彩画や、Y・SAEKI、とサインのある作品があった。この絵は佐伯さんの下落合の家の裏口を描いた二十号の油絵であった。便所の手水鉢の上に下げられた手拭が風に煽られているところがよく出来ていたが、江戸橋画廊の小高氏が調べてやるからと云ったので、渡したらそのまま返って来なくなってしまった。何でも作品を置いてあった所が空襲直撃弾でやられてしまったと云訳をして来たが、真偽の程はわからない。
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浅尾丁策は、東京美術学校で絵を教える教授陣の画家たち、あるいは絵を習う画家の卵たちとは大正初期ごろから親密なつき合いがあり、絵を見る眼には非常に肥えていた人物だ。同様に、江戸橋画廊の「小高氏」も商売がらそうだったろう。したがって、「Y・SAEKI」とサインのある絵を観て誰の作かを特定するのは、そして画面を観察しながら真偽を見きわめる力は、相当高かったにちがいない。すなわち、佐伯祐三の『下落合風景』の1作「便所風景」は、ホンモノであった可能性が限りなく高いのだ。
そしてなによりも、落合地域にあまた去来した数多くの画家たちの中で、どう考えても自宅の便所をモチーフにして20号ものタブローを仕上げるのは、パリでも下落合でも佐伯祐三ぐらいしか存在しないだろう。贋作であれば、もっとモチーフ選びに気をつかい、“売れそうな絵”として画面を仕上げるからだ。明らかに和式とわかる20号の「便所風景」を、誰も居間や食堂、玄関に飾りたいとは思わないだろう。
さて、佐伯の「便所風景」だが、もちろん1930年協会展Click!へは出品されていない。架けられたとすれば、1927年(昭和2)の4月に新宿紀伊国屋の2階展示場で開かれた個展Click!だが、いわゆる“売り絵”として販売するにはちょっと困ったモチーフだ。パリの公衆便所の画面を、それとは知らずに「巴里風景」として買う人はいても、日本の「便所風景」を購入して鑑賞する人はまずいないだろう。とすれば、同作は他ならない佐伯の自宅に架けられていたものだろうか。
浅尾丁策は、佐伯家の便所の位置を「裏口」と的確に表現しているが、浅尾自身も佐伯アトリエへキャンバス用の布地や木枠、絵の具、筆などをとどけやしなかっただろうか? 当時の沸雲堂は、神田の文房堂や竹見屋とともに、画家たちが画材道具を注文する主要店にまで成長していた。本店は上野桜木町の美校門前にあったので、東京美術学校と関連の深い画家たちには、なにかと便利な画材店だったろう。このテーマについては、また改めて記事を書いてみたい。「裏口」すなわち洋間北側の壁には、玄関とは別にもうひとつの裏庭へと出られるドアがあった。佐伯家の便所は、そのドアから向かって左手、画室へ付属するように設置されていた。
いま残されている佐伯家の平面図(戦後)と昭和初期の様子とでは、部屋の内装を含め多少のちがいがありそうだが、便所の位置は変わっていないだろう。採光窓のあるアトリエ北面よりも、やや出っぱった区画に大便所があり、その手前(南側)にはドアを隔てて小便器が設置されていた。当時の便器は、のちに普及した白い陶磁器製のものではなく、緑色の釉薬(ゆうやく)が塗られて焼かれた大量生産の織部や信楽、常滑などの焼き物だったろう。そして、小便器のあるところのドアを開けると、アトリエの横を通って母屋へと抜けられる南北の廊下があった。
手水器と手水鉢、そして下げられた手ぬぐいは小便所、すなわち廊下へのドアと隔てられた小便器の横のスペースに設置されていたと思われる。実際、戦後に採取された佐伯邸の平面図でも、そこが手洗い場としてのちに設置されたカランが採取されている。小便器の上には西を向いた小窓があり、そこから吹きこんだ風に煽られて、手ぬぐいが大きく揺れる様子を描いた画面ではないだろうか。
窓からの風によって手ぬぐいが翻るのは、小便所の中であって外ではない。また、窓の外へ手ぬぐいを吊るせば、佐伯はなんとか手がとどいたのかもしれないが、足の悪い米子夫人にはとどかなかっただろう。ましてや、外壁にはほとんど庇がないので、窓の外に吊るせば雨で手ぬぐいが濡れてしまう。つまり、佐伯は小便所のドアを開け放しにしたまま、廊下側から便所を写生したのではないかと思われるのだ。もちろん、当時は水洗ではなかったので、ずいぶんと臭い写生になっただろう。
佐伯祐三のタブローは、西池袋の古道具店を訪れた浅尾丁策のみならず、同じ大阪出身の鈴木誠Click!も目白通りに開店していた古道具屋で見かけている。鈴木誠は1926年(大正15)ごろ、佐伯祐三と連れ立って長崎地域へ写生に出かけているので、佐伯が描いた『長崎風景』に見憶えがあったのだ。1967年(昭和42)の『みづゑ』1月号に掲載された、鈴木誠「手製のカンバス―佐伯祐三のこと―」から引用してみよう。
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戦乱中だったか、戦後だったか目白通りの古道具屋で、片多徳郎Click!氏や同じく落合に画室のあった気の狂った柏原敬弘の外数点の作品に混って額縁にも入っていない彼(佐伯祐三)の画を見つけた。サインもないので道具屋から誰の作品か知らないまま、ただのように譲ってもらって今も大切に持っている。初めてのパリから帰国して描いた長崎村の風景で、私も一緒に描きに行ったような気のするなつかしい作品である。大阪の安治川で描き続けた船の画とともに珍しいモノと思っている。(カッコ内引用者註)
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また、曾宮一念Click!は、下落合の曾宮アトリエ前を描いた40号の作品Click!を記憶している。曾宮は、佐伯が曾宮邸+アトリエを入れて描かれたせいか、この作品を非常に不出来だとしているが、戦後も常葉美術館の展覧会に一時同作が架けられていたことを知っている。もちろん、佐伯が曾宮アトリエ前を描いた「諏訪谷」のシリーズ作品に、今日知られている40号の大画面は見あたらない。おそらく、個人宅で秘蔵されているか、佐伯作とはわからずにどこかを彷徨っているのかもしれない。1992年(平成4)に刊行された、「新宿歴史博物館」創刊号の奥原哲志「曽宮一念氏インタビュー」から引用してみよう。
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落合で描いた絵の中で、僕の家のほとんど前から、私の家の屋根も入ってて、やはり私の家にあった、戦災で焼けた桐の木まで描いてある、大きな40号の佐伯の絵があるんですがね。これはねえ、悪く言っちゃ悪いんだけども、これはよくない絵でしてねえ。佐伯なんとかして、ひとついい絵をまとめたい気でやったんでしょうねえ……大失敗作ですね。まあ、佐伯は名声を得ましたから、誰かが買ったんでしょうが、しかし、よくないんでまた売りとばす。それでまた売りとばす。いまだに方々へ…(後略)
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新宿歴史博物館には、1984年(昭和59)8月の母屋解体寸前に建設業者が撮影した、「佐伯祐三画伯旧居跡現場写真集」が保存されている。現在、大正期から戦前にかけての同邸の様子をうかがい知るにはかけがえのない資料なのだが、便所の中までの写真があったかどうかは、わたしの記憶にない。今度、もう一度ゆっくり拝見したいと思っている。
◆写真上:佐伯邸の洋間を北側から撮影したもので、左手に見えるのが便所の外壁と小窓。わたしも、『下落合風景』作品のモチーフに関連して、まさか便所の写真を使うことになるとは思っていなかったので、古い佐伯アトリエの便所は撮影し損なっている。
◆写真中上:左は、アトリエ西側に接した廊下から見た小便所の扉。この扉を開け、もうひとつの扉の向こうに大便所があった。右は、「便所風景」を想像して描いた拙画。
◆写真中下:古い手水器(左)と、信楽焼きの緑色をした現代の小便器(右)。
◆写真下:上は、新宿歴博の「佐伯祐三画伯旧居跡現場写真集」添付の間取り図。下は、外から見た便所の窓(左)と、アトリエ屋根の手前に見える廊下から便所への屋根(右)。