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松下春雄と村岡花子の『お山の雪』。
数年前から、わたしは1928年(昭和3)に青蘭社書房から出版された村岡花子の童話『お山の雪』を探し歩いてきた。古書店ではまったく見あたらず、図書館でも収蔵しているところは数が少ない。なぜ、これほど『お山の雪』にこだわっていたかといえば、同書の装丁および挿画を担当しているのが、松下春雄Click!だったからだ。...
View Article教育紙芝居を創作した高橋五山。
わたしが紙芝居を見たのは、おそらく幼稚園の園児だったころではないかと思う。なんらかの物語や逸話などを、紙芝居に仕立てなおした内容で先生が読んでくれたのではなかったか。その鮮やかな色彩は、いまだに目に浮かんで消えないでいる。...
View Article清水先生と金田一先生の雑司ヶ谷散歩。
目白通り沿いの近衛新邸Click!の敷地内、下落合437~456番地に創立された目白中学校Click!(東京同文書院Click!)は、1915年(大正4)の春より校内誌『桂蔭』(非売品)の発行をはじめている。編集長は、同中学校次長(のち校長)だった柏原文太郎Click!であり、誌面に原稿を寄せたのは同校の生徒監(教員)や卒業生、あるいは現役の生徒たちだった。...
View Article上落合の八島太郎(岩松淳)。
1935年(昭和10)の9月、八島太郎(岩松淳)Click!は新宿通りに面した紀伊国屋書店の2階展示室Click!で、「油絵・漫画・素描個人展覧会」を開いている。このとき、同展のコンパクトな図版が制作されており、「印刷発行責任者」である八島太郎の居住地は、淀橋区上落合1丁目510番地になっていた。...
View Article目白文化村の造成を見ていた目白中学生。
ちょうど1921年(大正10)に、品川から下落合の落合府営住宅Click!へと引っ越し、翌1922年(大正11)からスタートする目白文化村Click!の宅地造成を目撃していた人物の手記が残っている。自宅の窓から、目前で展開する文化村の造成を目撃しているので、彼が住んでいたのは落合第二府営住宅であり、しかも弁天池のあった前谷戸Click!も近い南側の敷地だ。...
View Article目白松竹館における戦時上映の作品。
第二府営住宅24号(下落合1524番地)に住む、1924年(大正13)当時は目白中学校Click!4年生だった松原公平Click!が『桂蔭』Click!に書いた、「好景気にホクホクものゝ活動常設館」こと、目白通りから少し入った長崎バス通り沿いの映画館「洛西館」Click!(長崎町4101番地)は、1935年(昭和10)すぎに「目白松竹」と館名を変更している。...
View Article幕末・明治の落合地域はキツネだらけ?
5月に入ってから、イギリスのBBC(英国放送協会)とNHKの共同撮影チームが、下落合で都会に棲息するタヌキをテーマにロケーションを行なっている。BBCが制作している、『WILD...
View Article「文化生活」の丸ごと提唱雑誌『住宅』。
住宅改良会の主催者であり、またあめりか屋Click!の創業者でもある橋口信助Click!と、同社の技師長だった山本拙郎Click!は1916年(大正5)から昭和期にかけ、住宅建設の専門誌『住宅』を毎月発行しつづけた。表向きは住宅改良会による住まいに関する雑誌という体裁なのだが、実質は、あめりか屋が提供する洋風住宅の販促・普及をめざす、企業広報誌のような性格が色濃い。...
View Article落合地域も得意先だった浅尾沸雲堂。
画材店の竹見屋から独立した3代目・浅尾金四郎(丁策)Click!は、上野桜木町の東京美術学校の門前に浅尾沸雲堂を設立している。父親は、絵筆をつくる専門職人だったが、浅尾丁策(ていさく)の代で本格的な総合画材店を開業することになった。1923年(大正12)9月の関東大震災Click!直後のことで、沸雲堂はいまも健在で営業をつづけている。...
View Article稲垣米太郎の肖像画をめぐる物語。
先日、旧・下落合4丁目にある船山馨邸Click!の近隣にお住まいの髙島秀之様より、今年(2014年)3月に出版された著作『聖エルモの火』(中央公論事業出版)をいただいた。同書の巻頭には、1944年(昭和19)11月に制作された刑部人Click!『稲垣米太郎海軍少佐の肖像』(部分)が掲載されている。(冒頭写真)...
View Article『蝶と貝殻』の面白さと美しさ。
先ごろ、上鷺宮の三岸アトリエClick!が文化庁の登録有形文化財に指定された。同アトリエの保存へ向けた取り組みにとっては、とても大きな一歩だと思う。わたしはさっそく、「ミギシくん」Click!を連れてお祝いに出かけたのだが、もうひとつ、山本愛子様Click!のお手もとにある三岸好太郎『蝶と貝殻』No.52(1934年)を拝見したかったからだ。...
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