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Channel: 落合学(落合道人 Ochiai-Dojin)
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全方位マーケティングの日本橋三越。

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日本橋三越1.JPG
 先日、全日本無産者芸術連盟(ナップ)が発行した、1928年(昭和3)の「戦旗」12月号Click!を手に入れたのだが、ひととおり目を通していて疲れてしまった。当時の左翼運動の熱気は伝わってくるのだけれど、全編にわたってマルクスだの革命だの、レーニンがどうしたのこうしたのを読んでいるといい加減ウンザリしてくる。同誌は、戦前の共産党における文化部門の機関誌なので、基本的に一般の広告は掲載されておらず、たまに掲載されていても左翼関連の本を発行している出版社のみなので、誌面に変化もなくつまらないのだ。
 たとえば、それらの出版社には『マルクス学教科書』を扱う小日向台町のマルクス書房(まんまじゃん/爆!)や、『労農日記』を出版していた早稲田鶴巻町の希望閣、『マルクス主義への道』を出していた神田の上野書店、『無産者グラフ』発行の芝にあった無産者新聞、『階級戦の先頭を往く』を出版した東五軒町の前衛書房、『帝国主義叢書』シリーズを発行していた神楽坂の叢文閣……と、作品や記事の間に登場するのはこんな広告ばかりなので、よけいに疲れてしまうのだ。でも、同誌を巻末近くまで読み進んだとき、いきなり噴き出して爆笑してしまった。
 東五軒町の前衛書房が、「統一戦線の声は全無産階級の戦野を圧してゐる……」ではじまる、力強い手描きのスミベタ白ヌキ文字で『階級戦の先頭を往く』を宣伝している前ページに、「御歳暮大売出し」のキャッチフレーズとともに、「何方(どなた)様もお喜びの三越の品」とボディにうたう日本橋三越の広告が掲載されていたからだ。ww
 一般企業の媒体広告では、ただひとつ日本橋三越Click!が出稿している。もう、華族様だろうがブルジョアジー様だろうが、プロレタリアート様だろうが、三越を訪れる人はすべて「お客様大明神」であり、三越がキライでケチをつけるお客様も店の勉強になるたいせつなお客様だ……と、往年の日比翁助Click!の徹底した経営思想が、昭和初期まで生きていたとしか思えない。
 しかも、1928年(昭和3)は「三・一五事件」Click!の大弾圧があった年であり、それでも日本橋三越は「戦旗」への出稿をやめてはいない。共産党=プロレタリアートと日本橋三越、このニッチなマーケティングを是認し、広告を出稿していた宣伝部にはどのような人物がいたのだろか?
  
 御歳暮大売出し ―十二月一日より全店一斉に開催―
 御歳暮の御贈答には何方(どなた)様もお喜びの三越の品をお用(つか)い遊ばすに限ります。三越では「御歳暮御贈答用品大売出し」を催して、お恰好品を各種豊富に取揃へます。何卒御用命の程偏(ひとえ)に御願ひ申上げます。
 品券:三越の商品券は御贈答用として、最も理想的で贈るに御便利、受けて御重宝で御座います。
                            東京市日本橋 三 越
  
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 だが、このコピーでは「戦旗」を定期購読して目を通すような、プロレタリアートのお客様には響いたとは到底思えない。コピーの文面が、ブルジョアジーあるいはプチブルのお客様向けの表現のままになっているからだ。「戦旗」の読者層をきちんと意識した、ターゲティングがまったくなされていない。今日的な広告宣伝の視点からすれば、媒体広告は制作過程で各媒体の読者層を意識した(セグメント化した)ビジュアルおよびコピー表現によって、正確かつ明確な表現の差別化を行なわなければ、アピール性や訴求力が低下し出稿する意味(投資効果)がない…ということになる。そこで、「戦旗」向けにはどのようなキャッチやコピーが有効なのだろう?
 まず、お客様と同じ課題を三越も共有しているという、読者層との間に共感を醸成する表現が必要不可欠だ。それには、読者の琴線に触れるリーチの長い語彙や、少し先の生活を考慮したリアルな表現、購買欲をくすぐるちょっとしたキャンペーンをフックにするのが有効だと思われる。
  
 年越し戦の御勝利は三越の御贈答品でお祝ひ ―十二月一日より全店一斉に開催―
 御世話になつた御指導のあの御方へ、御闘争勝利にはお喜びの三越の品をお用い遊ばすに限ります。三越では赤い腕章の売子を売場へ多数配置し、御声掛け頂ければお恰好品を各種豊富に取揃へます。また御希望の方には、赤い熨斗紙も御用意して御配送致します。何卒御用命の程偏に御願ひ申上ます。
 商品券:三越の商品券は御贈答用として、最も理想的で贈るに御便利、頻繁に御引越しされ地下へ御潜行される御方にも御重宝で御座います。
  
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 また、お客様専用に期間限定の特別商品を開発し、それを宣伝の大きな目玉にすえて集客するという手法も考えられる。贈答品一般ではなく、読者層の生活環境へ密着し、特化した商品の品ぞろえをアピールする手法だ。特に歳末は、1月早々にスタートするベア闘争への準備、そしてベアのあとにつづくメーデーを意識した時期でもあり、鏡びらきならぬ「旗びらき」のときに必要な用品をたくさん想定することができるだろう。
 この大量需要が見こめる、春の商機を逃す手はない。下落合の田島橋北詰めに、専用の大きな染色工場Click!をもっていた、三越ならではのサービスが展開できるだろう。そして、「戦旗」の読者であるプロレタリアートのお客様に寄り添い、おしなべて同層には冷淡な他のデパートとの差別化を強く意識したプロモーションが不可欠だ。三・一五事件を経験している多くの「戦旗」読者やプロレタリアートのお客様には、大江戸(おえど)からの大店(おおだな)・三井越後屋の支援は力強く響くだろう。
  
 上質な赤旗染の御贈答は三越へ ―十二月一日より全店一斉に開催―
 XXの故郷仏国より直輸入いたし高級布地に、下落合の三越専用染物工場で露国の紅染料を用ひて仕上た、雨でも嵐でも色落せず翻つゞける赤旗の御贈答御用命は三越へ遊ばすに限ります。XXXの御勝利とXXXXを御XXの際には、「XXXX大売出し」を催して、お恰好品を各種豊富に取揃へます。何卒御用命の程偏に御願ひ申上げます。
 商品:三越の商品券は御贈答用に、町中での御連絡や地下御生活にも御重宝で御座います。商品券御贈答お申込みにつき、御XXに最適な赤ひ鉢巻二本御進呈申上ます。
             尚、伏字は警察の御客様より御指導御鞭撻に依ります。
  
 三越と伊勢丹が経営統合してしばらくたつが、日本橋の三井越後屋と神田の伊勢丹波屋(のちに新宿へ移転Click!)は、江戸期から呉服店の老舗であり、もともと日本橋と神田とで気のあういいコンビなのかもしれない。両店は、明治以降にやってきた新参の呉服店(デパート)とは、東京では一線を画する存在だ。ひょっとすると三越の意思決定層に、明治期から「戦旗」が出版された昭和初期まで、薩長基盤の政治体制がことごとく気に入らない江戸東京人がいたのかもしれない。だから、三越ならではの「お客様大明神」思想とあいまって、「戦旗」に肩入れしたくなったものだろうか。
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安藤広重「する賀てふ」.jpg
 わたしの義母は、日本橋三越に履物を脱ぎ、室内履きに履きかえて上がった幼児期の記憶があるという。来店する顧客は、三越ギライだろうが物見遊山のひやかしだろうが、「ブルジョアジー」だろうが「プロレタリアート」だろうが差別しない経営思想は、現在までつづいているのだろうか。もっとも、高級品が多い今日の三越では、「戦旗」の読者はずいぶんと入りづらいにちがいない。

◆写真上:日本橋川から見あげた日本橋三越で、神田の伊勢丹波屋と並ぶ江戸の老舗だ。
◆写真中上:こんな広告がならぶ「戦旗」誌面に、いきなり三越の広告は登場する。
◆写真中下:1928年(昭和3)の「戦旗」12月号に掲載された、日本橋三越の媒体広告。
◆写真下は、変わらず日本橋北詰めにある三越本店の現状。は、江戸期に描かれた日本橋駿河町の三井越後屋。安藤広重Click!による『名所江戸百景』Click!第8景の「する賀てふ(駿河町)」(部分)で、三井越後屋は「現銀掛値なし」の庶民の味方で他店とは異なり安売り店として繁盛した。


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