乃木希典Click!という人は、もう根っからのおしゃべり好きとしか思えない。乃木院長からの講話があるとのことで、集まった学習院の学生・生徒たちを前になにを話したかといえば、若いころに金沢の宿で経験した怪談話だったことは以前にも記事Click!にしている。それを子どもから伝え聞いた親たちから、乃木院長は相当な顰蹙(ひんしゅく)をかい、また学内に大勢いた白樺派の学生たちからは、ますます軽蔑の白い目で見られていたことも書いた。この「怪談講義」は、現在でも学習院の院長講話録に残されている。
ところが、大勢の学生・生徒たちを前に、そのときだけ話をした内容が、たまたま怪談講義だった……というわけではなく、乃木院長はことあるごとに学生・生徒たちへ「ほんとにあった怖い話」を語って聞かせていたのだ。つまり、乃木院長の怪談話は学習院内では日常化しており、そのウワサは学外にも広く伝わっていて、それを聞きつけた新聞社の記者が、わざわざ取材をしに乃木院長を訪ねたりしている。
乃木希典は、学生たちから「なにか、怖い話を聞かせてくださいよ~、稲川さん、いや院長センセ~」と頼まれると、「ぃやぃやぃやぃや、そうくるのを待ってたんだ。きょうは儂(わし)が子どものころの、とっておきの話を、君たちへだね……。これは、日本海に面した山口県の、そう、仮にH市とでもしときますか、そこに実家のある、仮にN君とでもしときましょうか、彼が少年時代に経験した実話なんですがねぇ……」とw、嬉々として話していた様子が伝わってくる。取材したのは東京日日新聞の記者で、「乃木大将と深山の美人」という見出しで記事を書いているようだ。
乃木院長は、新聞記者だけに怪談を語っても気分が出ないと思ったのか、この取材にも学生や生徒たちをわざわざ集めているらしい。やはり、「ギャーッ!」とか「こわい~」とか、「ひ~~っ!」とかの合いの手と、蒼ざめた院生たちの顔を前にしないと、なかなか話のノリが悪かったものか。子どものころ、実家のある萩市で彼自身が経験した怖い話なのだが、その様子を新聞記事が収められた1924年(大正13)出版の『精神科学/人間奇話全集』(帝国教育研究会)から、ほぼ全文を引用してみよう。
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乃木大将と深山の美人
学習院長伯爵乃木大将は生徒に求められて下の話をした『(ママ)自分は今でこそ余り恐ろしいものはないが、少年時代は臆病であつた、十五六の頃まだ長門の萩にゐたが、位置や俄かの用事で七八里隔つた町まで使ひを命ぜられた 否やとも云はれんから怖々夜道を辿つて玉井山まで行たのは草木も眠る丑満時、山気身に迫つて肌に粟を生じ、風は全く落ちて動くものは樹の間を洩る星の瞬と自分ばかり、心細くもトボトボと山深く入つて行くと、濃い靄が一面に降りて咫尺(しせき)も弁じなくなつた。是は困つたと思つて探り足で進んで行く内、突然自分の前一二間距(はな)れた所に、蛇の目の傘をさし白足袋をはいた女がヌツと現はれた。(カッコ内引用者註)
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記事に書かれた話し言葉が、どれだけ乃木の口調に忠実かどうかは不明だが、もし新聞記者がほぼそのとおりの表現で文章を再現しているとすれば、もはや生徒に語って聞かせる院長センセというよりも、まるで気持ちよさそうに読み物や読本を聞かせる、講談師のような語り口になっているのがわかる。また、出現する物の怪は金沢の鄙びた宿と同様、ここでも「女」であり、乃木希典はよほど女の幽霊あるいは妖怪と出会うことが多かったらしい。彼はもともと、幼年時代から女性に対してなんらかのコンプレックスを抱きながら、成長したものだろうか?
ちなみに、文中に登場している萩の「玉井山」だが、古くは「玉井」と呼ばれていた現在の玉江地区にある、玉江神社裏あたりに拡がるいずれかの山だろうか。現在でも、山陰本線の南側に展開する当時とあまり変わらない山深いエリアで、天狗山や後山など、いわくや伝承が数多く眠っていそうな山名が見られる一帯だ。また、古くは海岸べりに志津木(赤鼻)銅山が拓かれた地域でもあり、いろいろなフォークロアが残りやすい環境をしているように思える。
乃木希典は、怪談語りでは「咫尺(しせき)も弁ぜず」という言葉が特に好きだったらしく、話をする途中で二度ほど用いている。「視界がきかなくなって、近くのものがよく見えない」という中国の慣用句なのだが、いまでは用いる方もほとんど稀で、もはや死語に近いだろう。つづけて、乃木院長の話に耳を傾けてみよう。
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咫尺も弁ぜずといふ濃い靄の中で、其の傘と白足袋だけがハツキリと見えるのだから、是は心の迷ひか、狐狸の悪戯か、何にしても真実の人間ではあるまいと、身構へして右の方に避けて通らうとする、其の女は傘で上半身を隠したまゝ、行き違つてフツと消えてしまつた。不思議なこともあるものと恐ろしくなつて道を急いだが、少時(しばらく)すると復(また)其女が自分の前へ現はれ、今度も前の通り行き違ふやフツと消えた。今になつてもアレはどういふものか、或ひはどうして見えたか判らないで、実に不思議だと思つてゐる。(カッコ内引用者註)
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幽霊というよりも、出現のしかたが金沢で泊まった宿のケースとは異なり、どこか妖怪か物の怪じみた怪談なのだが、乃木少年は蛇の目をさして白足袋も鮮やかな女性に対し、従来からなんらかの強迫観念か、被害妄想でももっていたものだろうか? 深い山道で不安や恐怖にとらわれた際、往々にしてありえる幻覚や幻聴のたぐいだと片づけてしまうのは容易だが、ここは少年の心理状態にも強い興味がわいてくる。
それにしても、乃木院長は蛇の目で上半身を意識的に隠して通る「女」の様子を語り、どのような容貌をしていたのかはついに最後まで話していないにもかかわらず、「ヲイッ、Youはど~して美人だとわかるんだよ?」……という裏拳のツッコミは、やはり東京日日新聞の編集部へ入れておきたい。
乃木希典は学習院ばかりでなく、求められればあちこちで怪談話を披露していたらしく、房州の宿で出会った失恋から自殺した女の幽霊話なども、大手の新聞紙上に掲載されている。死後、「軍神」に祀り上げられてしまった乃木だが、ふだんの飾らないエピソードを調べるにつけ、相当におしゃべり好きな人物のイメージが浮かび上がってくる。現代に生まれていれば、ほんとうに怪談講演会をこなし「儂が出合った怖い話」BD全集でも出せそうな、いつでも異なる怪談ネタを語れるほど豊富な物語を記憶していたらしい。
◆写真上:学習院のバッケClick!から眺めた、学習院総寮部(乃木館)の建物。
◆写真中上:左は、乃木館のドアノブ。右は、乃木館を囲む学習院の森。
◆写真中下:学習院へ到着した、乃木希典院長を乗せた馬車。「ぃやぃやぃやぃや、ど~もど~も、ど~も、お疲れさまです」といって、降りてきたかは定かでない。
◆写真下:左は、構えない表情の乃木希典。右は、1924年(大正13)に帝国教育研究会から出版された「乃木怪談」所収の『精神科学/人間奇話全集』の表紙と背表紙。