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Channel: 落合学(落合道人 Ochiai-Dojin)
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幻の最高峰だったアムネマチン。

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アムネマチン山.jpg
 きょうは、落合地域にも江戸東京にもまったく関係のない、わたしが子どものころ、特に印象に残った“山”がテーマの記事だ。わたしは基本的に山よりも海のほうが好きなのだが、Click!にもテントや食料、飯盒などを背負ってけっこうキャンプに出かけていた。この記事は、幼い時代の覚え書きということで……。
  
 子どものころ、少年少女世界のノンフィクションというようなシリーズ本で、標高9,040mもある“謎”につつまれた世界最高峰の山が中国に存在する……という記述があったのを、なぜか急に思い出した。それが、どのような本だったのか探しまわってみたら、金の星社が1967年(昭和42)に出版した「少年少女・世界のノン・フィクション」シリーズの第2巻、『世界を驚かした10の不思議』(日本児童文芸家協会)に所収の白木茂「世界一高いまぼろしの山」であることがわかった。おそらく小学生のときに、図書室か児童図書館で読んだものだろう。
 ヒマラヤのチョモランマ(英名エベレスト)の 8,848m(ネパール政府認定値)をはるかに凌ぐ、未踏の崑崙(コンロン)山脈にそびえ立つ幻の最高峰「アムネマチン」の記憶は、当時、ほとんど鎖国状態で神秘のベールに包まれていた革命後の中国国内の様子とともに、地球上に残された“世紀の謎”として、子ども心にことさら強い印象をとどめたものだろう。本書が出版された1960年代半ばには、すでに中国の登山隊が登頂に成功しており、正確な標高は判明していたと思われるのだが、中国政府はそれをいまだ公式に発表してなかったものだろうか……。
 世界最高峰の山を“発見”した経緯は、米軍のパイロットの証言にもとづいている。1944年(昭和19)3月の第2次世界大戦が末期に近いころ、インドの米空軍基地から中国国民党政府の拠点である重慶へ向け、支援物資を輸送中の米空軍4発輸送機が飛行コースをまちがえたことに端を発している。タクラマカン砂漠をかすめ、輸送機は東南東の重慶へ向けて飛行していたはずが、航路がやや北側にずれていることにパイロットが気づいた。当日は曇天で、いつも目標にしている天山(テンシャン)山脈もタリム川もまったく見えなかった。やがて、右手に崑崙(コンロン)山脈の峰々が近づいてくるのが見えたので、パイロットは安全のために飛行高度を8,500mまで上昇している。崑崙(コンロン)山脈には、ヒマラヤ山脈にある8,000m級の山は存在しないはずなので、8,500mの高度を保てばたいがいの峰は超えられると判断したのだ。
 ところが、危機は目前に迫っていた。雲間から突然、目の前に雪をいただいた巨大な三角の峰が迫ってきたのに気づいたからだ。輸送機は衝突を避けるために、高度10,000mにまで急上昇した。それでも、その峰を超えるときにはすぐ足下に頂上が見えた。パイロットは、衝突の危機をなんとか回避できたことに安堵すると同時に、まず搭載されている高度計の故障を疑った。しかし、何度テストを繰り返しても高度計は故障していなかった。こうして、重慶の飛行場に着陸したパイロットから、さっそく標高10,000mに迫る山の存在が報告書に記載された。でも、パイロットの報告はほとんど誰からも信用されず、そのまま黙殺された。唯一、中国に詳しい米国人が、「それは、たぶん、アムネマチン山にちがいない」という話を聞いた。
世界を驚かした10の不思議1967.jpg 世界一高い幻の山1967.jpg
 当時、幻の山といわれていたアムネマチン山は、かつて誰も正確な標高を測ったことがない山だった。地元の民族からは、神が宿る神聖や山としてあがめられ、容易に登山家や探検家を近づけなかった。欧米人が初めてアムネマチン山を目にしたのは、1932年(昭和7)にイギリス陸軍のペレイラ将軍が実施した青海省の探検だった。彼は、「7,000m級の他の山々が、まるで巨人につかえる家来に見えた」と、突出したアムネマチン山の様子を報告書に書いた。翌1933年(昭和8)、ペレイラは探検隊を編成して再びアムネマチン山をめざすが、途中で彼は病死してしまう。
 つづいて、アムネマチン山をめざしたのはフランス人のランが編成した探検隊だが、同山へ登ろうとするフランス隊と“聖なる山”を蹂躙されると考えた現地のゴロク族との間で戦闘となり、同隊は全滅した。また、同じ時期にドイツからやってきたフィシュネル率いる探検隊と、イギリス人のミゴットが編成した探検隊とがアムネマチンをめざしたが、やはりゴロク族との対立で犠牲になっている。1948年(昭和23)3月、ボールペンの販売で財をなした米国レイノルズ社のレイノルズは、航空機からアムネマチン山を観察・測量しようと、米国と中国の学者たちを連れて上海空港を離陸しようとした。ところが、自家用機C87が滑走中にスリップしてそのまま土手に突っこむ事故を起こし、飛行機は大破して使いものにならなくなってしまった。このころから、ゴロク族との対立による犠牲者の続出とともに、聖山を犯す「アムネマチンの呪い」のウワサが囁かれはじめた。
 1949年(昭和24)4月、米国の探検家レオナード・クラークが率いる探検隊が、改めてアムネマチン山をめざして青海省の西寧(シーニン)市を出発した。青海省は護衛のために、同探検隊へ20名を超える兵士を同行させている。途中、旧・日本軍の三八式歩兵銃で武装したゴロク族と銃撃戦を交えながら、ようやく万年雪が残るアムネマチンが見える尾根に取りついた。同年5月6日、天候がようやく回復すると午前8時35分、クラーク探検隊は山脈の上にひときわ突出した巨大な三角形のアムネマチンを目にした。一行は、よりアムネマチンに近づこうと尾根伝いを歩きつづけ、もっとも見晴らしのいい場所に設営して、天候が変わらないうちにさっそく測量をはじめた。
レオナード・クラーク.jpg クラーク探検隊.jpg
 クラークは測量器を組み立てると、山頂から300mほど下に照準を合わせてみた。彼は測量のベテランで、雪山では太陽光の屈折のせいで実際の高度よりも山が高く見えることを知悉していた。つづいて、アムネマチンの山頂に照準を合わせて測量してみた。測量値をもとに計算してみると、アムネマチンの標高は9,040mとの結果が出た。チョモランマ(エベレスト)よりも、192mも高い最高峰ということになる。山の測量は、同時に3回繰り返し行わなければ公式の記録とはならない。3回測量して、その平均値が公式記録として認定される。しかし、1回めの測量直後から山頂に雲がかかりはじめ、アムネマチンの姿をアッという間に隠してしまった。
 クラークはあきらめきれず、悪天候の中3日間もキャンプにとどまっていたが、嵐が近づいていたのでついに測量を断念して下山してしまった。彼は、たった一度しか測量できなかったので、米国へもどってからもその結果を公表せず、あえて沈黙を守りつづけた。でも、おそらく同行した隊員たちの間から、「9,040m」という測量結果が漏れたのだろう、世界でもっとも高い山は崑崙山脈にある……というウワサが広まっていった。さて、今日の水準測量技術でアムネマチンを計測すると、クラークが測定した値に近い「9,041m」ということになる。つまり、クラークの測定は“正確”でまちがってはいなかったのだ。「じゃあ、最高峰はチョモランマじゃなくてアムネマチンでしょ!」ということになるのだが、中国政府が発表している同山の数値は標高6,282mだ。
 この数値の齟齬には、地球の重力に関わるトリックがある。重力は、常に地球の中心に向けて働いている……とは限らない。地域によっては地面の真下を指向せず、微妙にズレている地点があるらしい。つまり、水平面から直角に真下へ伸びた線が、地球の中心へと向いていない地域があるそうだ。そのような場所で、水準測量を行うと誤差が大きく、実際の高さよりも高い(あるいは低い)数値が記録されてしまうことになる。重力基準の水準測量で山の高さを測れば、いまでもアムネマチンは世界最高峰であり、2位がK2(チョゴリ)で、チョモランマ(エベレスト)は第3位へと転落してしまうらしい。
 重力を測量基準には用いず、レーザーやGPSなどを用いた最新の測量技術で測れば、アムネマチンは中国の測量隊が規定したように6,282m前後になる……というわけだ。もちろん、もっとも高い山はチョモランマ(エベレスト)であることに変わりはないようだ。そのチョモランマ(エベレスト)だが、ネパール政府が公式に認定している標高8,848mもまた、重力基準の水準測量数値に依存している。だから、ヒマラヤ地域の重力誤差が考慮されておらず、最新技術で測量すると同山はもう少し高くなるらしい。
アムネマチン山空中.jpg
 さて、子どものころからずっと記憶にひっかかり、気になっていた幻の世界最高峰アムネマチンなのだが、この文章を書くことでようやくスッキリした。いまでは、Googleマップの空中写真を崑崙山脈に合わせ、マウスでクローズアップさせるだけで、いつでもアムネマチンの姿を目にすることができる。どこかの国の登山隊が撮影した写真も、いくつか登録されているのでアムネマチンが“身近”になったぶん、子ども心をワクワクさせた「世紀の謎」や「まぼろしの山」が消えてしまったのは、ちょっとさびしい。

◆写真上:水準測量では、いまでも「最高峰」のアムネマチン山。(Googleマップより)
◆写真中上は、1967年(昭和42)に出版された『世界を驚かした10の不思議』(日本児童文芸家協会)。は、同書に収録された白木茂「世界一高いまぼろしの山」の扉。
◆写真中下は、米国の探検家レオナード・クラーク。は、晴れた日に近くの尾根からアムネマチン山を眺めながら測量を行なうクラーク隊一行。
◆写真下:Googleマップにみる、上空からとらえられた巨大なアムネマチン山。現在でも、山頂近くを飛行する航空機の古い高度計は、9,000m超を記録するという。


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