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Channel: 落合学(落合道人 Ochiai-Dojin)
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季節はずれの怪談物語。(1)

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国芳「東海道五十三対」桑名.jpg
 1928年(昭和3)6月19日(火)の午後6時、梅雨入りのどんよりとした雨もよいで空の下、新橋竹川町の料亭「花月」で開かれた怪談会へ、仕事を終えた8名の話者が参集した。それから6時間にわたり、延々と幽霊・怪談話が座敷で繰りひろげられることになるのだが、このとき集まった人たちは、今日ではちょっと想像しがたいような豪華な顔ぶれだった。その模様は、1928年(昭和3)に発行された『主婦之友』8月号(主婦之友社)に収録されているのだが、同号は古書市場にはほとんど出まわらず稀少本となっている。
 まず、出席者の顔ぶれからご紹介しよう。当時は日本エスペラント学会の理事であり、東京朝日新聞社の顧問だった民俗学者の柳田國男Click!、東京帝大の医学博士だった橋田邦彦、劇作家で『女人藝術』Click!を創刊しているまっ最中の長谷川時雨Click!、小説家の泉鏡花Click!と里見弴、新橋「花月」の息子で洋画家の平岡権八郎に日本画家の小村雪岱、実業家で当時は東京電燈副社長だった小林一三の、計8名が幽霊・怪談話を披露しあった。こんな顔ぶれで、怪談会が開かれたのはめずらしいだろう。
 ちなみに、この怪談会席は新橋「花月」の息子・平岡権八郎が、泉鏡花とともに企画していたらしく、以前にも小山内薫らが参加した怪談会があったらしいことがわかる。また、『主婦之友』に掲載された怪談会の挿画は、出席者のひとりである小村雪岱が担当している。こんな面白い記事を埋もれさせてしまうのはもったいないので、日本橋の長谷川時雨Click!にちなんでと無理やりこじつけて、このサイトでご紹介したい。
 「花月」の座敷は、40畳の大広間が用意され、中央に大きな円卓、周囲には青すだれが張りめぐらされた。最初に口火をきったのは、『主婦之友』の編集記者のひとり、題して「幽霊にも目方のある話」だ。それは、ある僧侶から聞いたこんな話だった。
  
 ◎『主婦之友』記者の怪談
 これは或る寺の坊さんの経験談ですが、そのお坊さんが、或る日檀家へ行つて、お念仏をあげて帰らうとすると、仏壇の中から、年取つた爺さんの声で、『私は長らくこの家でわづらつてゐたものだが、家中の人から虐待されて、たうとう半分殺されたやうな死方をした。こんなところにゐるのは、厭で厭で堪らないから、どうかお帰りがけに、目黒不動のあたりまで伴(つ)れて逃げてくれ。』と言はれ、門口を出ようとした途端、後ろから、先刻の爺さんが、物をも言はず、お坊さんの肩に負さつたものです。勿論姿は見えてゐるわけではありません。大抵の人なら『きやッ……』と腰を抜かすところでせうが、流石坊さんだけに、少しも慌てず、待たせておいた俥で目黒の方へ向ひました。途中で車夫が度々振返へつては怪訝な顔をしてゐたやうだが、はあはあ喘ぎながら、やつとの思ひで、目黒不動の門前近くまで俥がつきました。
  
 すると、俥屋はすっとんきょうな声をあげて、「どうも、不思議でござんすね。こゝまで来る間、俥が重くて重くて、今にもへたばりさうな気がしましたが、不動様の前まで来たら、急に俥が軽くなつて、何だか薄気味が悪くなりました」と話したという。さっそく、泉鏡花が「それからどうなった?」とオチのない話に突っこみを入れたが、記者がわからないと答えると、柳田國男が「判らない方が面白いですね」と話のリアリティを擁護している。
 つづいて、怪談小説を数多く手がけた泉鏡花が、記者から作品の中には「実際にあつた話もあるでせうね」と水を向けられると、それにはハッキリとは答えずに、実話だという怪談をすぐにはじめている。さすがに、鏡花は話し馴れているせいか、この怪談会でももっとも長い怪奇譚を語った。
主婦之友192808.jpg 小村雪岱挿画1.jpg
 それは、房州の浜辺に住んでいた若い漁師夫婦の家で起きたことで、夫が漁に出て若い女房と赤ん坊が留守番をしていた。すると、たそがれの逢魔がときになって家の前を見ると、ひとりの薄汚い坊主が立って、家の中を薄気味悪くジロジロ見ていた。
 女房は、「乞食行脚」で空腹なのだろうと、おむすびを作って出したが見向きもしない。今度は、銭をにぎらせようとしたが受け取らず、ジッと突っ立って家の中を見ているだけなので、女房は怖くなってしまった。日がとっぷりと暮れてあたりは闇になり、急に黒い海が時化(しけ)だしたのか波音がザワザワと聞こえる。鏡花は、まるで噺家のような凄みのある語り口調だったらしく、一同はシーンとなって聞いていたようだ。
 真っ黒い影のようになって突っ立つ坊主に、若い女房は恐怖心を抑えきれず、家から逃げ出したところへ、漁からもどってきた同じ村の若い衆に出会ってホッとする。夕方からの気味の悪い事情を話すと、「お前さんが別嬪だからよ、そいつ怪しからん、畳んじまへ」てんで、坊主を袋だたきにしたあと、波打ちぎわまで引きずっていって「状(ざま)をみろ」と放り投げてきた。そのうち、女房の亭主も漁から帰ってきて夕食になった。
  
 ◎泉鏡花の怪談(その1)
 話をすると、亭主も気になつたか、御飯のあとで、磯へ出て見たが、暗い海の唯渺茫(びょうぼう)として、それらしい影も見えません。それなり寝たさうですがね。夜の更くるまゝに、次第に、荒れて来て、その物凄さ、永年浜辺に住み慣れた人たちでさへ、気味が悪いくらゐだつたといふのです。(中略) その夜も更けて、一時から二時の頃、浜のやゝ遠手で、何となく、おゝい……と呼ぶ声が聞えて来た。耳を澄ますと、確に人声、亭主は直覚的に、「難船だ。」と飛び起きざまに、嬰児を抱きしめた白い胸のはだかつた女房の、留めるのをも振切つて、駆出すと、畳り累つた海岸の巌の上に、ずぼりと立つた影は黒い坊主、『やい、何をしてゐる。』と思はず声を掛けると、何にも言はず、坊主は、ぐしよ濡のあらめのやうな法衣を開いて、頭越しに亭主の来た方、……その住居、すなはち新家庭の方へ指さしをする。(中略) ふと我家の方を振向くと、そのとき、波にもまるゝ浮巣のやうな、楽しいが気がゝりな、我家のうちで、おぎい、おぎい、おぎい、火のつくやうな嬰児の泣声とゝもに、ああッと女房の泣声が聞える気がする。我を忘れて、『何をしやがる。』と坊主につかみかゝらうとするとき、ニヤニヤと笑つて、ざぶりと打上げる浪に消えた。いちどきに悚気(ぞつ)として、風に飛ぶやうに帰つて見ると、いまゝで、すやすやと眠つてゐた嬰児は、目をみはつて。(ママ)色のかはつた女房の膝に、もう冷たくなつていたといふのです。
  
 話の途中からチャチャを入れていた柳田國男は、その海坊主について学者らしく「お化の法則に合ひません」といったことから、出席者たちは一同で爆笑している。
柳田国男.jpg 泉鏡花.jpg
 泉鏡花はつづけて、鏑木清方の照(てる)夫人から聞いた話として、不思議な「南天怪談」を披露した。照夫人が9歳ぐらいのときのこと、場所は茨城県の鹿島灘から4里ほどのところにある、盤木平という土地で起きている。
  
 ◎泉鏡花の怪談(その2)
 秋の末ごろ、近所の農家の男の児で、十二三ぐらゐなのが、重い病気に罹り、その頃は医者も、これといふのがなかつたので、お照さんのお父さんが、どなたか神様のお札をその児の家へ授けました、それを水に浸して飲ませ飲ませすると、熱がひいて、病気が治つた。ところが、それから後といふものは、その子供は、お照さん達と遊んでゐて、村はづれへ行くと、いつの間にか姿が見えなくなる。子供たちでも気になつて、誰ちやんがゐないよ、どうしたと、人々が騒いでゐると、山の道から、にこにこ笑ひながら帰つて来たといふのです。しかも両手には、この付近の山には見られない、南天や草花を沢山持つて来て、お照さんも時折その実南天をわけて貰つたことがあるさうです。(中略)『どこへ行つて来たの。』と、その親たちなり、誰でも尋ねると、『お宮のない神様達と遊んで来た。』と、いつたさうです。
  
 この怪談は、子どもが連れ去られて異次元を旅するという、典型的な“神かくし”あるいは天狗譚のように思えるが、やはり柳田國男がいちばん強く反応している。この話を聞いた彼は、「南天」つながりで伯耆で採集した怪奇譚を話しだした。柳田の話を聞いた泉鏡花は、それまで照夫人の話す南天を紅色だと想像していたが、ひょっとすると「白南天」かもしれず、同系統の怪異譚かもしれないと気づいている。
  
 ◎柳田國男の怪談(その1)
 伯耆の羽衣石といふ山には、不思議な話が伝つてをるさうです。こゝの城が落城のとき、金銀財宝を敵に奪はれるのが口惜しさに、城主はこれを地中に埋め、目標のために白南天を植ゑておいたといふのです。久しい間金銀財宝は空しく地中に埋れてゐるわけですが、村の人は如何かしてその白南天を探し当てようと、山の中を探しまはつても、如何しても白南天の在処は判らないのださうです。(中略) ところが、山へ草を刈りに行つた若者達が、家に帰つて草を解いて見ると、知らぬ間に白南天を刈り込んで来てゐることが、時々あるさうです。それを翌日、場所を目当に探してみるが、如何しても見当らないといふのです。
  
 柳田が話し終えたとき、『女人芸術』7月号(創刊号)の仕事でてんてこ舞いだったと思われる、長谷川時雨がようやく「花月」の会席に到着し、『主婦之友』の記者によれば紅一点の参加で、急に座敷が明るくなったと書かれている。ちょうどその同じタイミングで、柳田國男は再び別の怪談を語りはじめた。会津生まれの「林男爵」が体験した、キツネにまつわる話だ。
  
 ◎柳田國男の怪談(その2)
 英国大使の林さんから聴いた話ですが、林さんが青年の頃、犬を連れて山へ狩に出かけた。犬といふものは、いつも先へ走つて二三町も行つて、また戻つて来るものだが、その朝も犬が遠くへ行つてゐるうちに、突然何ともかともいへない厭な臭がして来て、実に変な気持になつたので、ふと頭を上げて右手の山を見ると、二間ばかり上の方の岩の蔭に、狐が一匹坐つてこちらを見てゐたさうです。そしてその狐の周囲だけが、ぼんやりと明るくなつてゐるやうに感じたさうです。そのうちに、犬が尾を振りながらまた戻つて来たと思ふと、はつと狐が飛びのき、そのいやァな気持がしなくなつたといふ話でした。
  
小村雪岱挿画2.jpg 主婦之友192802.jpg
 柳田國男の話が終わると、黙ってニコニコしながら聞いていた帝大医学博士の橋田邦彦が、泉鏡花から「橋田さんは、づるいよ、何(ど)うも、微笑して、唯聞いておいでなすつて」と、突っこみを入れられている。怪談会に出席していながら、他人事のようにひとり楽しみながら聞いている橋田にも、なにか話せと水が向けられたかたちだ。
                                    <つづく>

◆写真上:国芳『東海道五十三対』から、桑名「船のり徳蔵の伝」(部分)の海坊主。
◆写真中上は、1928年(昭和3)発行の『主婦之友』8月号に掲載された「幽霊と怪談の座談会」の扉。は、日本画家の小村雪岱による挿画で「幽霊俥」。
◆写真中下:怪談会で興奮しノリノリになっていく、柳田國男()と泉鏡花()。
◆写真下は、小村雪岱の挿画「海坊主」。は、1928年(昭和3)現在の『主婦之友』の装丁で、写真は同年2月号「中流模範住宅新築号」の表紙。


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