先日、早稲田大学の會津八一記念博物館Click!で開催された「早稲田をめぐる画家たちの物語-小泉清・内田巖・曾宮一念・中村彝-」展について記事Click!を書きお送りしたところ、ごていねいに同博物館の学芸員の方から訂正した図録をお送りいただいた。長崎4045番地にあった林武邸のイラストマップ上の位置に関して、わざわざシールを作成して対応してくださったのだ。ものすごく迅速なご対応に驚嘆するとともに、かえってわたしのほうが恐縮してしまった。
新宿歴史博物館の「佐伯祐三―下落合の風景―」展図録Click!も、いま第2刷が出ているけれど第3刷の増刷時まで待たず、シール対応で修正したらいかがだろうか。もっとも、印刷部数が多いので作業負荷の高いシール対応ではなく、『新宿区の民俗―落合地区編―』で実施済みのような、正誤地図の訂正紙片を挿みこむ方法もあるだろうか?
「佐伯祐三―下落合の風景―」展図録は人気が高いせいか、初版1万部はほぼ1年で完売してしまい、現在はテキスト面での修正が済んだ第2刷が販売されている。刷数が多いため、博物館側の作業のたいへんさは想像がつくので、ステップバイステップの段階的な考証作業を前提に、より正確な記述をめざすという考え方のもと、次は第3刷で訂正する・・・という方法もあるとは思うのだが、正誤がハッキリしているのでどうしても気持ちの悪さは残るのだ。
このケーススタディでも自明のことなのだが、紙に「印刷」され「記録」されたものでさえ、あくまでも過渡的なものにすぎない・・・ということなのだ。研究の深化ないしは取材の拡がりを通じて、いつ新たな事実が判明し、記載された情報が古くなってしまわないとも限らない。だから、それを絶対視し過信しすぎると、大きな“落とし穴”Click!に陥ってしまう怖れがあることになる。いくつかのケースでの自戒を含めて、改めて確認しておきたいテーマだ。
もうひとつ、「紙」と「印刷」の不便さについても、どうしても想いがつのる。いつもネットで表現しているせいか、新しい資料の発見や証言が得られると、あるいは新たな事実が判明すれば、発見や証言を提示する記事とともに、そのテーマに関連した過去記事を含めて、即座にサイト全体へ統合的なフォロー・反映が行える。でも、印刷された紙という2次元の固定されたメディアでは、まったく不可能な作業だ。尾崎翠の旧居跡Click!や町火消しの「へ・ら・ひ組」のケースのように、誤りが止揚されずに引きつづき拡大再生産される危険性が常につきまとうことになる。
さらに、「紙」と「印刷」というメディアをもどかしく感じるのは、先にも書いたが2次元の閉じられた世界であり、記載されているコンテンツからタテ方向にもヨコ方向にも視界を拡げることができない・・・という限界だ。つまり、印刷物はそれだけで“自己完結”しているメディアであって、そこに書かれているテーマなりキーワードなりを別の側面から参照するには、もうひとつ別の本や資料を入手して参照しなければならない・・・という不便さがある。Webメディアなら、そのような必要が生じた場合、リアルタイムで自在にタテ軸・ヨコ軸の次元を立体的に、あるいは同じテーマで同一レイヤをどこまでもたどることができる。このちがいは、とてつもなく大きい。
「電子書籍」という言葉があるけれど、単に紙の本を携帯端末でも読めるようにした・・・だけでは、まったく今日的なネットワークの意味がない。また、テキストや画像、音声、映像に“紐付け”されたデータベースを自在に活用できない「電子書籍」も、ほとんど存在意味が希薄だ。それならば多くの場合、携帯端末よりも紙の書籍のほうが軽くて携帯に簡便だろう。多くの出版社は、紙メディアを電子メディアに置き換えているだけで、なんら新しいビジネスモデルを提起しえないでいる。おそらく、投資対効果が不安で手をつけかねているのが実情なのだろう。
名指しで恐縮なのだけれど、平凡社は『世界大百科事典』のデータベースを構築しているが、これはあくまでもデータや記録のリソースであり過去のアセットにすぎない。そのデータそのものを切り売りするのではなく、それを基盤としてその上にどのような新しいアプリケーション(本来の意味での電子書籍)を提供できるかによって、同社が出版界の最前線へ躍り出られるかどうかの大きな瀬戸際に立っている・・・と感じるのは、わたしだけだろうか?
これは「百科事典の平凡社」に限らず、大量のデータや記録を蓄積している、あらゆるメディアについてもいえることだ。データは、百科事典のような知識的データ(つまりテキストや画像など)に限らない。さまざまな機器から発せられる、膨大なセンサリングデータのプールを前提とする、ビッグデータ解析の課題も同様だ。ちょっと話が大きく脱線してしまたけれど、最近、紙の印刷物(本や資料)を大量に読んだり参照するにつけ、つれづれ感じていることを書いてみた。
さて、もうひとつうれしいことがあった。旧・下落合の西側(現・中落合/中井)と上落合の妙正寺川沿いで活躍されている「染の小路」実行委員会が、その定期発行誌「そめコミ」に拙サイトの記事を連載してくれることになった。「染の小道」Click!のみなさんが実施しているイベントは、わたしも見に出かけたことがあり、毎年ひそかに楽しみにしている。
妙正寺川の川面へ、色とりどりに染めた反物をわたす“インスタレーション”を展開したり、地域の公園や学校のキャンパスを使ってさまざまなイベントを開催している。機関誌「そめコミ」はもちろん無料で、「染の小道」へ参加している工房や新宿区の公共施設などで配布されているそうだ。折りを拡げるとA4サイズの仕様だが、同地域のさまざまな情報や催事、物語などが掲載されている。現在は第2号まで発行されており、今後の成長が楽しみな地域密着型のメディアとなっている。ちなみに、「染の小道2013」は、来年2月22日(金)~24日(日)に開かれるそうだ。
さらに先日、大草眞理子さんClick!より『続・鬱病は治らない』(日本文学館)をいただいた。まだ、出版前のプロトタイプのようだが、この年末には全国の書店に並ぶのだろう。ということは、昨年に出版された前作『鬱病が治らない』の売れ行きが、すこぶるよかったとみえる。ひょっとすると、いま販売されている前作は在庫切れによる増刷なのかもしれない。
内容について触れると、“ネタばれ”になるのであまり書かないが、新作『続・鬱病は治らない』は前作に比べて「鬱病」についての記述、あるいはその原因となった出来事についての記述がかなり多い。つまり、前作と比較すると「鬱病」とは直接関係のないエピソードの部分(著者は「遊び」の部分と書いている)が減り、より切実で症因となった内面的なテーマ(課題)の解説が増えている・・・ということだろうか。そして、わたしも、なぜかあちこちに登場してくるのだけれど、「五月のそよ風」の学生時代ではなく、学校を卒業してから現在までつづくエピソードがほとんどだ。
そういう意味では、ちょっとホッとしてはいるのだけれど、わたしの連れ合いまでが登場するとは思わなかった。わたしが不在で電話に出られなかったとき、ふたりでいったいなんの話をしていたものやら・・・、ほんとうに市外通話の電話代がたいへんだったのではなかろうか? いずれにしても、続編が出版されたことは、また現状がとりあえず落ち着いていることはとても喜ばしいことだ。
◆写真上:東京では、モミジの緑から赤へのグラデーションがきれいな季節だ。
◆写真中上:「早稲田をめぐる画家たちの物語-小泉清・内田巖・曾宮一念・中村彝-」展の図録表紙(左)と、シール貼りで対応くださった下落合全域マップの林武邸跡(右)。
◆写真中下:上は、「染の小道」実行委員会が発行する『そめコミ』の第1号(左)と第2号(右)。下は、『そめコミ』第1号に掲載された「落合今昔ものがたり」の第1回。
◆写真下:左は、そろそろ発売されるころの大草眞理子『続・鬱病は治らない~一鬱病患者の一生態~』(日本文学館)。右は、散歩道に積もりつづける落葉。