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ニホンオオカミについては、ここでも江戸郊外の各地に勧請された三峯社Click!とともに何度かご紹介Click!しているが、先日、もっとも目撃情報が多い秩父連山へ出かけてきた。両神山の山麓まで出かけたのだけれど、別にニホンオオカミに出会いたくなって雪が残る秩父連山へ出かけたのではなく、ただ温泉へのんびり浸かりたくなったのと、食いしん坊のわたしはももんじClick!=シカ料理が食べたくなったからだ。
江戸郊外に勧請された三峯社(大神社)は、農作物を荒らす害獣除けの性格が強かったと思われるのだが、今日の東京も含めた関東地方における同社の役割りは、「家内安全」「火災除け・厄除け」といったところだろうか。下落合地域(中落合・中井含む)にも、中井御霊社の境内には三峯社が勧請され、八雲社とともに属社となって現存している。
江戸期には、こちらで何度か取り上げてきた富士講Click!や大山講Click!とともに、秩父の三峯社へ参拝するオオカミ(大神)信仰の三峯講が存在していた。富士講は、おもに関東から甲信地方(山梨・長野)にかけての独特な地域信仰だが、三峯講もまた富士講と重なるような信仰の拡がりを見せている。富士講には、山岳ガイドのような先達が存在していたが、三峯講には御師(おし)と呼ばれるガイドが道案内をつとめた。
御師は修験者の一種であり、三峯社のオオカミ護符を里人に配りながら、三峯講を組織していったといわれている。富士講の先達は、どちらかといえば町や村に居住する富士登山の経験者、すなわち山岳のベテランガイド的な性格が強いが、御師は山から下りてきてオオカミ(大神)信仰を布教する宣教師、あるいは伝道者のような存在で、いつも町や村に定住しているわけではない。ちょうどチョモランマ(英名エベレスト)をめざす登山家たちのため、山麓にシェルパ村が存在するのと同様に、秩父には三峯山をめざす信者たちのために御師の集落が形成されている。
以前、中村彝Click!のアトリエへ結核を治療しにやってきた、御嶽の修験者Click!のエピソードをご紹介しているが、修験者すなわち御師は深山で修行して霊力や神通力、つまり「験」(超能力)を身につけ、里へと下りてきては「験」力によって町や村の人々の“困りごと”を解消していくのが役割りだった。下落合にも三峯講(三峯社)が存在するということは、江戸期に御師が村へとやってきて布教したものだろう。オオカミはキツネよりも強いので、精神状態が不安定となった患者=「狐憑き」の症例でも、御師がよく呼ばれている。また、水源地である山の御師は、渇水時の雨乞いでも活躍したかもしれない。中には、「わたしは3ヶ月間、天にひたすら祈りつづけて、ついに雨を降らせることに成功したのだ」、「3ヶ月も祈ってりゃ、いつか降るだろ!」と山田に突っこまれそうな、いい加減な「超能力」者たちもいたのかもしれないが。w
オオカミ(大神)信仰は、別にニホンオオカミそのものを信仰しているわけではない。稲荷のキツネが、異界に棲む神(多くは五穀豊穣の農業神ウカノミタマ)のつかいで人々の前に姿を現す動物、つまり眷属(けんぞく)として機能していたのと同様に、オオカミも山の異界に棲む神々の眷属として人々の前に姿を見せると信じられていた。だから、江戸期の人々にとってはキツネ以上にめずらしい、深山に登らなければめったにお目にかかれないニホンオオカミが眷属となる信仰に、よりありがたみを感じていたのかもしれない。
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さて、秩父連山では目撃事例や遠吠え情報が、ほぼ毎年のように聞こえてくるニホンオオカミの気配だが、さまざまな報道や情報、資料、痕跡などを総合すると、とても絶滅したとは思えない状況が浮かび上がってくる。おそらく、秩父には複数の個体が、いまだに棲息している可能性が高いのではないだろうか。また、九州は大分県の祖母山系の山岳地帯でも、目撃情報や遠吠え情報が聞かれる。だが、ここで困ったテーマが持ち上がっている。日本の本州から四国、九州の山々に棲息していたイヌ科の動物は、どうやら2種に分類されるようなのだ。その発端は、江戸末期に日本へとやってきたシーボルトの時代にまでさかのぼる。
ドイツの医師で植物学者のシーボルトは、日本の動物や植物の標本をヨーロッパ各地へ送り紹介していたことでも知られるが、日本の山岳地帯に住むイヌ科の動物として、オオカミ(狼=ニホンオオカミ)とヤマイヌ(豺・犲=山犬)の2種類の個体を、オランダのライデン自然史博物館へ送り出している。だが、ライデン自然史博物館では2頭を同種のイヌ科動物と規定してしまい、2頭のうちシーボルトがヤマイヌとして送った標本をニホンオオカミとして剝製にし、同館へ展示した。これが、ニホンオオカミの世界標準の個体となってしまったところから、さまざまな混乱が生じているようだ。日本で保存されている、比較的大型のニホンオオカミとされる毛皮のDNAと、ライデン自然史博物館のニホンオオカミとされる標本のDNAが一致しないのだ。
江戸期の文献には、「狼」と「豺・山犬」などを分けて記述している資料が多いが、同様にオオカミとヤマイヌを混同して書いていそうな文献も多い。「狼」とされる動物と「豺・山犬」とされる動物は、生息域が近似しているイヌ科の動物ではあるけれど、シーボルトが江戸期から規定していたように、実は別種の動物なのではないか?……と疑われはじめた。つまり日本の山岳地帯には、ちょうど北アメリカ大陸のオオカミとコヨーテの関係と同様に、2種類のイヌ科動物がいたのではないかということだ。そして、やや大型のほうがニホンオオカミであり、ライデン自然史博物館に展示されている小型の動物がヤマイヌではないかと想定されはじめた。
シーボルトが2種に分類したイヌ科動物を、ライデン自然史博物館が同一のものと誤認し、ヤマイヌの標本をニホンオオカミだと規定して「タイプ標本」化してしまったところから、すべての混乱がはじまっているらしい。このあたりの状況を、2017年(平成29)に旬報社から出版された宗像充『ニホンオオカミは消えたか?』から引用してみよう。
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二〇〇二年に七例目の毛皮が秩父の民家で発見されるまで、剥製と毛皮の標本は、ライデン自然史博物館、大英博物館、国立科学博物館、ベルリン博物館、東京大学、和歌山大学にしかなかった。/一番大きい和歌山大学の剥製は、頭胴長一〇〇センチ(組み直し前は胸から尻まで七〇センチ、体高五二.五センチ、尾長二五センチ)だった。しかし、ライデンにあるタイプ標本は体高四三.五センチ、頭胴長八九.三センチ、尾長三二.五センチ(『ファウナ・ヤポニカ』から)と小柄で、対応する頭骨も確認された中で最小だ。これがニホンオオカミ像を実際より小さく印象づける一因だったのだろう。同時にこの小柄な剥製を見ると、一般にイメージするタイリクオオカミとは違う種類の動物であるかのような印象を受ける。/ライデンの剥製はニホンオオカミの大きさの平均値を下げて、ニホンオオカミ像の混乱を増幅させた。さらに、ニホンオオカミとされているものの中にも、本当は複数の動物種が含まれているのではないかという、今日まで続く論争の大きな要因にもなっているのだ。
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ライデン自然史博物館にある剥製には、ニホンオオカミ(Canis hodophilax)とプレートに記載されているが、困ったことに剥製台座の裏側にはJamainu(山犬)と記録されているようだ。同博物館の学芸員が、どこかでシーボルトの標本2体が、実は別種のイヌ科動物であることに気づいたからだろうか。
同書の著者が実際に目撃しているように、ニホンオオカミ(仮称「秩父野犬」Click!)とみられるイヌ科の動物は、確かに秩父の山中に棲息しているようだ。スチール写真ではなく、より情報量の多い動画としてとらえられる日がくることを願うばかりだ。
秩父の山里にある村を歩いているとき、わたしは異様な光景を目にした。案山子(かかし)が横へ手をつなぐように、山に向かって立っていたのだ。案山子は鳥獣の侵入を防ぐために、田畑のあちこちへ等距離に立てられているのが普通だ。だが、秩父では山の斜面を遮るように、横へ連続して拡がるように立てられている。地元の方に訊くと、シカやイノシシ、サルなどが頻繁に村へ下りてきて、畑地の中をわがもの顔で歩いているらしい。
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つまり裏返せば、ニホンオオカミの棲息に必要な動物が、秩父にはふんだんに存在するということだ。いや、この言い方はどこかで逆立ちしている。ニホンオオカミを絶滅近くにまで追いやったせいで、本来なら捕食されるべき動物の個体数が増えつづけ、山での食糧が足りなくなって里の畑地を荒らすようになってしまった……ということだろう。
◆写真上:江戸期の下落合村で勧請したとみられる、中井御霊社に建立された三峯社。
◆写真中上:上は、早春に霞がただよう秩父の山々。中は、さまざまな動物が棲息する秩父の山林。下は、両神山から北東へ3kmほどのところにある氷柱で有名な尾ノ内渓谷の吊り橋。山奥の夜間にもかかわらず、多くの人たちが訪れる。
◆写真中下:上は、山に向かって横一線に並べられた案山子。下は、ニホンオオカミの目撃例が多い秩父連山の両神山と七滝沢あたり。(GoogleEarthより)
◆写真下:上は、西荻窪駅前にある三峯社。中は、井草八幡境内にある三峯社。下左は、秩父を中心にニホンオオカミをめぐる最新動向がまとめられた2017年(平成29)出版の宗像充『ニホンオオカミは消えたか?』(旬報社)。下右は、九州における目撃情報がまとめられた2007年(平成9)出版の西田智『ニホンオオカミは生きている』(二見書房)。