最後に小泉清と会った画家。
小泉清Click!は、1962年(昭和37)2月21日の夜、中野区鷺宮3丁目1197番地のアトリエClick!でガス自殺をとげた。同じく、鷺宮にアトリエをかまえていた峰村リツ子Click!は翌2月22日、前日に小泉清からもらったチケットを手にして、上野の美術館へ出かけている。展覧会場へ着くと、知り合いから小泉清が死んだことを聞かされた。...
View Articleぜんぜん面白くないクイズや娯楽コラム。
記事の資料にするため、とあるテーマを抱えながら昔の雑誌や新聞をひっくり返していると、必ず読者向けの娯楽コラムや懸賞クイズが掲載されている。いまでも、新聞や雑誌などに囲碁や将棋、クロスワードパズルのコーナーがあるのと同じように、戦前のメディアにもおそらく記者たちが頭をひねって考案したのだろう、読者が喜びそうなクイズやお笑いコラムなどが載っている。...
View Article江戸の屋敷や商家跡から出土するもの。
近ごろ東京のあちこちで、江戸期に建てられていた屋敷や商家の遺構の発掘調査を耳にする。数年前に新宿歴史博物館Click!の近く、三栄公園で埋蔵文化財の発掘調査が行われているのを目にした。江戸時代は北伊賀町にかかるエリアなので、なにか商家の遺構でも発見されただろうか。...
View Article情報の共有と交流を促進する「親族メディア」。
地域の取材を進めていると、家族や親戚・親族に限定したミニコミメディアに出会うことがある。きょうは、落合地域を取材していて偶然に出会った、そんな地域限定……ならぬ家族や親戚、さらにその友人知人に限定されたメディアをご紹介したい。...
View Article目白・落合地域よりもすごい目黒駅東。(上)
『伽羅仙台萩(めいぼくせんだいはぎ)』にちなむ目黒鬼子母神Click!へ立ち寄りがてら、江戸期には下目黒村と中目黒村の入会地(字大塚とその周辺域)にかつてあった、大塚山古墳について調べながら現地を歩いているとき、目黒駅周辺の空中写真を年代を追って眺めていた。そして、目黒駅の東側にハッキリと刻印されたフォルムに、期せずして思わず目が釘づけになった。...
View Article戸山ヶ原と大磯に展開するスパイ網。
しばらく前に、大磯の吉田茂邸に入りこんだ陸軍中野学校Click!出身の諜報員(スパイ)、東輝次Click!について書いた。マークした吉田茂の電話盗聴を行う「乙工作」から、実際に邸の中へ入りこんでさまざまな情報を収集する「辛工作」を行なっていた人物だ。その東輝次の手記がようやく読めたので、戸山ヶ原Click!周辺での動きや大磯Click!での具体的な工作の様子を詳しく理解することができた。...
View Article学習院の丘の南斜面を考える。
早稲田大学図書館に保存されている、寛政年間に書かれた金子直德『和佳場の小図絵』Click!の写本には、直德が選び絵師の県麿が再写して描いた鳥瞰図「雑司ヶ谷、目白、高田、落合、鼠山全図」が付属している。当時の牛込馬場下町あたり(現・喜久井町界隈)の上空から北を向いた鳥瞰図で、東は関口から目白台、雑司ヶ谷、下高田、下落合、池袋などまでの展望が描かれている。...
View Article焼け残り沿線住宅に撒かれた米軍ビラ。
戦争も末期になって、連日、B29の機影が日本の上空へ頻繁に現れるようになると、膨大な量の「伝単」と呼ばれた米軍宣伝ビラ(Propaganda leaflets)が空から撒かれるようになった。その多くは、国民の戦意を喪失させるような「平和」志向のものであったり、太平洋の各地で行われた日米戦の戦闘詳報であったり、ときには次の爆撃都市を予告する内容であったりした。...
View Article二度にわたる山手空襲の証言。
これまで一度も見たことのない、めずらしい空中写真を見つけた。敗戦から6ヶ月後に、B29から撮影された画面だ。写真のタイムスタンプは、1946年(昭和21)2月23日となっている。板橋の上空あたりから、ほぼ真南を向き斜めフカンで撮影されてたもので、東京西部が広くとらえられており、主要な街々はほぼ全域が焼け野原だ。...
View Article両神山系にオオカミの遠吠えが響く。
ニホンオオカミについては、ここでも江戸郊外の各地に勧請された三峯社Click!とともに何度かご紹介Click!しているが、先日、もっとも目撃情報が多い秩父連山へ出かけてきた。両神山の山麓まで出かけたのだけれど、別にニホンオオカミに出会いたくなって雪が残る秩父連山へ出かけたのではなく、ただ温泉へのんびり浸かりたくなったのと、食いしん坊のわたしはももんじClick!=シカ料理が食べたくなったからだ。...
View Article落合地域で20回の狩りをした徳川吉宗。
千代田城の8代将軍・徳川吉宗が、落合地域で鷹狩りをしたのは1717年(享保2)に鷹狩り場(御留山/御留場)の「六筋」を設置して以来、中野村への道すがらも含めると合計20回にもおよんでいる。「六筋」とは、千代田城Click!を起点に五里四方へ狩り場のコースを規定したもので、6つの筋ごとに鷹場役所や、筋沿いの村々では鷹場組合が結成されている。...
View Article文化住宅を超える落合の次世代型住宅。(2)
今回は久七坂筋Click!に建っていたかもしれない、とても大正期が終わったばかりの昭和の最初期に造られたとは思えない住宅を、『朝日住宅図案集』Click!(東京朝日新聞社/1929年)の収録作品からご紹介したい。まるで、現代のモデルハウスのような意匠をしており、内部の間取りも今日とほとんど変わらず現代的だ。...
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