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戦前からはじまった東邦生命の御留山開発。
下落合にある御留山Click!(現・おとめ山公園)の相馬邸について、またまた誤りのある資料を見かけたので改めて整理しておきたい。同時に、1936年(昭和11)に相馬孟胤Click!が他界して、相馬家が1939年(昭和14)に中野地域へ転居したあと、その敷地を購入した東邦生命Click!が1940年(昭和15)ごろから推進した、御留山の丘上に展開した宅地開発についてもついでに考察してみたい。...
View Article文化住宅を超える落合の次世代型住宅。(3)
昭和初期、落合地域に建設された住宅の3軒めは、建築家・輪湖文一郎が設計した上落合470番地の邸だ。上落合470番地という住所で、すぐに思い出すのが1923年(大正12)の関東大震災Click!で大蔵省の庁舎Click!が焼けたとき、自宅の居間や食堂を“開放”して新たな帝国議会議事堂Click!設計チームの業務を継承した、建築家・吉武東里Click!の大きな自邸Click!だ。...
View Articleソビエト政権への反乱を禁じる特高。
『詩戦行』を通じて、劇作家であり小説家でもある飯田豊二とかかわりができた秋山清Click!は、1930年(昭和5)の秋ごろから演劇の世界へと踏みこんでいる。飯田豊二が、アプトン・シンクレア原作の『ボストン』を築地小劇場で上演していたころだ。このころの秋山清は、東京朝日新聞社のエレベーターボーイを突然クビになり、飯田豊二の紹介で出版社に勤め出していた。...
View Article生涯を賭けた大賀ハスの種1粒。
1951年(昭和26)の3月31日、そろそろあたりが黄昏の雰囲気を漂わせはじめた午後5時ごろ、千葉市の東京大学検見川厚生農場内にあった「落合遺跡」で、当時、中学3年生の西野真理子という生徒が、手のひらに1粒の種子らしいものを載せて大賀一郎Click!のもとへ見せにきた。これが、3000年前の縄文時代にまでさかのぼる、「古代ハス(大賀ハス)」発見の瞬間だった。...
View Article文化住宅を超える落合の次世代型住宅。(4)
1929年(昭和4)に出版された『朝日住宅図案集』Click!は、東京朝日新聞社が実施した郊外中小住宅の設計コンペティション(同年2~4月)の入賞図案を85点収録したものだ。当初の稿でも書いたように、中には図面のままで実際には建設されずに終わった“作品”も含まれているかもしれない。賞金総額が2,300円だった同コンペには、約500作品の応募があり、選ばれた85作品の図案展覧会まで開かれている。...
View Article龍膽寺雄が暮らした「目白会館」を探せ。
1928年(昭和3)6月から1930年(昭和5)6月ごろまで住み、『アパアトの女たちと僕と』(改造社/1930年)を書いた龍膽寺雄Click!(龍胆寺雄/りゅうたんじゆう)だが、彼が暮らしたとされる下落合の「目白会館」が、どうやら第三文化村の下落合1470番地に建っていた「目白会館・文化アパート」Click!ではなさそうなことが判明している。...
View Article大賀一郎が開催した不忍池「観蓮会」。
「古代ハス(大賀ハス)」の種子を発見した大賀一郎Click!が、柏木の蜀光山 (現・北新宿1丁目)に住む内村鑑三Click!主宰の「聖書研究会」Click!へ参加したのは、一高生になったばかりの1902年(明治35)ごろからだった。南原繁Click!が、内村の聖書研究会で「白雨会」を結成する、およそ7年ほど前のことだ。大賀は岡山ですごした幼年時代、すでに岡山教会で洗礼を受けている。...
View Article南畝の『高田雲雀』にみる通称「中井村」。
江戸期までさかのぼる時代、現在の住所「中井」とされるエリアは「中井村と呼ばれていた」という大正期以降の資料を見かけるが、それはなにを根拠にしているのだろうか? 「中井村」と呼ばれていたから、中井駅になったのだとされるのだが、地元の方に訊いても、「さあ……」「わからない」という答えばかりが返ってくる。...
View Article目白駅で「7色パンティ」抱え途方に暮れる。
わたしはまったく知らなかったのだが、1950年代の後半に若い女の子の間で「7色パンティ」、あるいは「ウィークリーパンティ」というのが大流行したらしい。高校生から20代の女性まで、競い合うように「7色パンティ」を買い求め、1週間を毎日ちがうカラーの下着をはいて楽しんでいたようだ。...
View Article東京35区時代のプライオリティと名所。
1932年(昭和7)10月1日に、従来の東京15区が35区に再編成されたとき、新たに編入された区部を紹介する書籍や冊子が、いっせいに出版されている。その中でも代表的なのが、1932年(昭和7)に東京朝日新聞社が発行した『新東京大観』上・下巻Click!と、翌1933年に博文館が出版した『大東京写真案内』だろうか。...
View Article『大東京写真案内』にみる新宿区エリア。
1932年(昭和7)に東京35区制がスタートすると、当時のメディアでは新たに東京市へ加えられた20区の紹介が盛んだった。前回の記事Click!では、新たに誕生した20区紹介のプライオリティや観光・散策に出かける際の「名所」などをご紹介したけれど、きょうは1933年(昭和8)に博文館から出版された『大東京写真案内』を中心に、35区のどのような街並みや「名所」が紹介されているのかを見ていこう。...
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