1929年(昭和4)に出版された『朝日住宅図案集』Click!は、東京朝日新聞社が実施した郊外中小住宅の設計コンペティション(同年2~4月)の入賞図案を85点収録したものだ。当初の稿でも書いたように、中には図面のままで実際には建設されずに終わった“作品”も含まれているかもしれない。賞金総額が2,300円だった同コンペには、約500作品の応募があり、選ばれた85作品の図案展覧会まで開かれている。
この中で、上位入賞した16案を、当時開発中だった成城学園の街へ実際に建設し、同年10~11月に見学会を開催して、来訪した希望者に分譲販売している。翌1930年(昭和5)には、成城学園へ建てた上位16案の住宅を撮影し、『朝日住宅写真集』(東京朝日新聞社)として出版している。このような大規模な設計コンペティションや、実際に作品を新興住宅地に建設して分譲販売が可能になったのは、東京市民の郊外住宅に対する関心が急速に高まっていたせいだろう。
そのベースには、関東大震災Click!により住環境に対する見直しが急務になったことと、都市部の生活環境における結核の蔓延Click!などが要因となっていることは、すでに何度か触れたとおりだ。そしてもうひとつ、生活改善運動Click!の一環として定義された大正期の「文化住宅」Click!が、いつの間にか実質的な本意を外れて流行を追いかけるだけの、ただの“オシャレ”な生活スタイルと捉えられるようになったり、ステータスや生活水準を誇示するための手段のひとつとなってしまったことにもよるのだろう。
このような形骸化の流れを止揚し、大正期の「文化住宅」からさらに住環境を進化・前進させるために、東京朝日新聞の設計コンペは企画されたものだと思われる。そこには、家族を中心とする部屋割りの考え方(応接室の廃止または居間や書斎との兼用)や、より効率化や機能性を追求する間取りとデザイン、家族個々人のプライベートな空間を重視する設計思想などが透けて見える。同設計コンペの様子を、2012年(平成24)に世田谷美術館で開催された、「都市から郊外へ―1930年代の東京―」展図録から引用してみよう。
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具体例をみていくと、朝日住宅は入賞順位にしたがって号数がふられているため、二号型(HO-16)は第二位入賞の設計案ということになる。ちなみに、競技規定には想定家族構成と建築工費によって二種類の部門が設定されており、甲種は夫婦に子ども二、三人、女中一人で工費五千円以内、乙種は夫婦に子供一、二人、女中一人で工費三千円以内である。敷地面積は一律五〇坪内外。二号型は甲種の方で、図案集に掲載された設計趣旨を見ると「洋風というよりは和風の家をある程度まで洋式化した」とあり、ハーフティンバー・スタイルを応用した、日本趣味豊かな設計である。(中略) 写真集巻末に付された購入者からの寄稿を読むと、住宅について多少の不便や部分的な改善の余地を指摘しているものの、総体的には満足している様子がうかがえる。そして皆一様に、環境の良さを挙げている。「移転以来子供の血色が目立って好くなって来た事と、子供の遊び方が自然に親しむようになった事」を喜ぶ感想や、日あたりの良さを強調して「正に『太陽の街』である」と称える声からは、郊外での生活を謳歌する、サラリーマン家庭の姿が浮かび上がってくる。
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設計条件の甲種と乙種に触れられているが、これまでご紹介してきた3邸のうち下落合の2邸が甲種応募、上落合の1邸が乙種応募となっている。
さて、『朝日住宅図案集』の巻末には、当時の家を建てる際の注意事項が触れられている。「新に家を建てる方々に」と題された建築家・中村傳治による一文では、自宅建設に関する方法として次の3つのケースが取り上げられている。
①建てる方が自身で設計をやる事
②面倒だといはれる方には全然白紙で建築士に依頼する
③多数の出来合品の中から選定する法
今日的な状況から、住宅の建て方(購入のしかた)を考えると①と③が多く、②は稀になっているのではないだろうか。③は、今日でいえば建売り住宅を選んで購入することであり、もっとも経済的かもしれない。①は、自身で家の構造やデザイン、間取り、材料などをある程度想定してこしらえ、住宅建築会社に所属する建築家と打ち合わせを重ねながら、段階的に図面を起こしていくやり方だろう。もっとも、構造的に無理な点や建築力学的に脆弱な箇所は、プロの設計士が指摘してくれるので完全な自作とはいえないが、オリジナルの設計は随所に残すことができる。
3つの方法で、もっとも高価で時間のかかるのは②だろうか。自身の気に入った建築家に依頼し、自身を含む家族の生活環境や趣味、暮らしの習慣、主張などを深く理解してもらいつつ、どのような家に住むのが快適かを、建築家の側から何案かプレゼンテーションしてもらう方法だ。そのためには、建築家と最低でも6ヶ月は親しくすごすことで、自身の家庭や家族を理解してもらう必要があるとしている。「技師と家庭とが隔意なき親類づきあひ」をし、家庭の諸事情を建築家が十分に理解したうえで、初めて設計図面を起こすことになる。
同書では、上記3つの自宅建設方法のうち①を推奨している。ただし、自分で設計するとはいえ、近くの工務店に図面を持ちこんですぐに大工が建てはじめる……という手法ではなく、プロの建築家なり設計士に検証してもらうのが前提だ。
同書の、中村傳治「新に家を建てる方々に」から引用してみよう。
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他の建築と違ひ住宅許りは建てる方が自から設計するのに限る。最も己を知る者は己である。家庭の内容、家風、趣味、是等は住宅建築の最要素である。此要素を知悉しないでは「己れの住宅」は出来る筈がない。自分で設計するに限るといふのはこゝである。然し設計には相当の予備知識が必要である。私は親戚や友人からよく住宅の設計を頼まれる。其場合いつも私の信頼する住宅に関する書籍一二を推薦して、どうか奥様と一処によく之を勉強して頂きたいといふ。其予後知識を得た上で御自分でプランをやつて御覧なさいといふ。出来たものを見ると可なり滑稽なものもあるが、少くも其家庭独特の主張が強く太く画かれてゐる。構造の事など御構なしでやられるのであるから、技術家から見たら問題にならない様な点は勿論あるが、少くとも其家庭の趣味主張は是れ以上他人には窺はれない作品が出来る。私は之を原石として之に磨きを掛ける。建坪の倹約や、不合理な柱の位置やらを訂正し、何とか其主張を破壊せず、経済的にもなる様にと漕ぎつける。是で初めて建てる方もどうやら満足する様である。
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①のケースは、建築家ないしは住宅会社所属の設計士に、図面をブラシュアップしてもらう必要があるものの、なにもない白紙状態からの設計ではないので、②よりは廉価な設計コストで済むだろう。
また、仕事が多忙でなかなかまとまった時間の取れない人には、むしろ経済的な③を推奨している。その場合は、家族で多くの住宅(や図面資料)を事前に見て歩き、できるだけ全員が気に入るような家(設計図)を選ぶことだと書いている。そうすれば、①②に比べてムダのない効率的な住宅選びができ、また経済的にも安価に家を手に入れることができるとしている。
なお、①②の注意点として、ようやく設計図ができあがったあと、工務店や住宅会社へ見積りをとってみたら、「高価で建てられない」ことが判明して建築をあきらめるケースを挙げている。中村傳治自身も、設計依頼者が「こんなにかかるとは思わなかった」といって、建設を断念する事例をいくつか見ているのだろう。今日では、まず家を建てる際に総予算をある程度想定してから、住宅会社へ相見積もりをとるのがあたりまえとなっているが、当時はそのような習慣が希薄だったものだろうか。このような事態を回避するためには、「故に此場合は其技師兼請負業者の人格の如何が唯一の基本になつて来る」として、誠実な業者を選定するよう注意を喚起している。
でも、生涯に何度も取り引きをする業者でない以上、素人がそれを見きわめるのはかなり難しかっただろう。郊外住宅ブームを当てこんだ、悪質な詐欺まがいの会社も暗躍していたのかもしれない。予算を明確に2種類へと限定した、東京朝日新聞社による住宅設計コンペは、次世代の新しい「日本住宅」の姿を模索するのと同時に、ブームにのって不当な価格で住宅を建てている業者を、排除する意味合いも含まれていたのかもしれない。
◆写真上:『朝日住宅図案集』に収録された、設計コンペの1号型住宅。1号型から16号型は、実際に成城学園駅の西側に建設され販売されている。
◆写真中上:上~中は2号型住宅と3号型住宅、および同住宅の子供室。下は、1948年(昭和23)に撮影された成城学園駅近くの「朝日住宅地」。〇で囲んだ住宅が、1930年(昭和5)に建設された1号型~16号型までの朝日住宅。
◆写真中下:上左は、1930年(昭和5)に成城学園へ実際に建てた住宅を撮影した『朝日住宅写真集』。上右は、2012年(平成24)に世田谷美術館で開催された「都市から郊外へ―1930年代の東京―」展図録。中は、朝日住宅と同じころに建てられたとみられる現存する下落合の邸。下は、4号型住宅。
◆写真下:5号型住宅(上)と、同邸の子供室(中)。下は、昭和初期に建てられたとみられる下落合の邸のひとつだが、すでに解体されて現存しない。