あけましておめでとうございます。相変わらず拙い長文で読みにくく、ご迷惑をおかけしていますが、きょうは短めに。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
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子どものころ、正月になると家には獅子舞いがやってきた。わたしの海辺の家には、ときどき思い出したように訪れることはあったが、恒常的にやってくることはなかった。小学校の高学年になるころからは、一度も姿を見たことがない。ただし祖父の家には、毎年欠かさず獅子舞いは姿を見せた。
1月2日に祖父の家を訪れると、午前中にはどこか近所から馬鹿囃子(ばかっぱやし=江戸祭囃子)の音色が聞こえてきて、徐々にこちらへ近づいてくる。門戸をガラガラと引き玄関を開ける音とともに、家じゅうにお囃子が鳴り響くと、家族たちは「お獅子だ!」と玄関へ駆けつけた。関東の獅子舞いは、竹の横笛と太鼓の囃子方をバックに、獅子のひとり舞い(+囃子方2人=計3人)が基本だ。江戸期の町内によっては、3人獅子で舞っていたようだが、わたしの知る限り祖父母の代からずっとひとり獅子だった。
獅子に頭を噛んでもらうと、邪気(邪鬼)が払えるとか頭がよくなるとかいわれたけれど、噛んでもらっても特に頭がよくなったとも思えないので(逆に幼児のころは真っ白になってトラウマ化した)、ただ怖い思いをしただけの印象しかない。初めは、囃子方の笛と太鼓は生演奏だったが、わたしが10歳をすぎるあたりからだろうか、人手不足から録音テープになり、獅子舞いはたったひとりで各戸をまわるようになった。それでも、獅子舞いがやってくれば喜んで迎え入れ、当時のおカネで500円札か1,000円札を噛ませてやると、喜んでサービスのおどけた舞いを見せてくれた。
江戸東京(というか東日本全体)の獅子舞いは、民俗学的に分類すると「風流系獅子舞い」というのだそうだが、その原型となる歴史はさかのぼれないほど古い。中国や朝鮮半島からもたらされた獅子舞いとは異なり、古代日本から行われてきた「ひとりシシ舞い」が、その原型として基底にあるといわれている。ここでいうシシとは、中国で用いられている抽象化されたライオンの「獅子」ではなく、日本カモシカ(アオジシ)や日本鹿(シシ)、猪(シシ)など動物神(シシ神はときに山ノ神と結びつく)を模した頭(かしら)をかぶり、腹に太鼓をつけて打ち鳴らしながら舞う「ひとりシシ舞い」だ。
その多くは、悪神(霊)退散や五穀豊穣、山ノ神やときに海ノ神へ大猟(漁)や安全などを祈願するおめでたい舞いで、古代日本からつづく祭礼のひとつといわれている。関東地方で古くから成立している「ひとりシシ舞い」もその系統で、必ず「シシ1匹=舞い手1人」の原則が踏襲されている。いつのころからか、頭にかぶるシシ頭(がしら)は中国のライオンを模した獅子と習合し、江戸期に入るとめでたい祭囃子(ばかっぱやし)と溶けあって、正月の縁起物であり風物詩として、大江戸の街中に定着していったのだろう。
わたしが中学2年生のとき、祖父は1月2日の午前9時ごろに目をさますと、寝床で甘い葡萄酒(ポートワイン)をひっかけ、寝起きのタバコを一服吸い終えると、「きょうはお獅子がくるから、門と玄関のカギを開けときな」と、そばにいた伯父にいいつけた。伯父は、いわれたとおり門と玄関のカギを開け、祖父のもとへもどってみると、寝床で再び眠っている。しばらく、そのまま寝かせておいたが、いやに静かなので枕もとに近寄ってみると、すでに息をしていなかった。
わたしの家に電話があったのは、その1時間後ぐらいだったろうか。それまで、伯父は心臓マッサージをしたり、かかりつけの医者を呼んだり、「救心」を口にふくませたりといろいろ救命処置を施したようだが、獅子舞いが訪問する直前に、祖父は80歳で他界した。この日が、祖父の家で獅子舞いを断わった唯一の正月だったろう。
80歳の祖父が、医者を必要とする重篤な病気にもかからず、ポートワインをひっかけ一服してから眠るように死んでいけたのは、待ち遠しい獅子舞いを嬉々として迎え入れ、毎年噛まれつづけためでたい効用のおかげだろうか。世間は正月でもあり、また80歳のポックリ大往生でもあったためか、通夜や葬儀は暗くならずどこか陽気だったのを子ども心に憶えている。わたしもできれば、おしまいはこのように逝きたいものだ。
それから40年を超える歳月が流れ、街中で獅子舞いを見かけることは、ますます少なくなった。浅草や下谷地域では、いまだ獅子舞いが健在で各戸をまわっているとウワサで聞いたが、学生時代を含め38年にもなるけれど、わたしは落合地域でただの一度もお獅子を見かけたことがない。そのうち、町内をまわった獅子舞いのにぎやかしも、伝統芸能として無形民俗文化財に指定されたりするのだろうか。
江戸祭囃子と獅子舞いの歯音や鈴音がしない正月は、やはりどこかさびしい。
◆写真上:江戸東京をまわった、獅子舞いの獅子頭(ししがしら)。
◆写真中上:江戸期の歌川国芳が描く、浮世絵『春のにぎわひ』(部分)。
◆写真中下:江戸から明治にかけて活躍した、豊原国周の浮世絵『獅子舞』。
◆写真下:残念ながらホンモノではなく、江戸東京獅子舞いの模型。