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わたしは、拙サイトで落合地域に現存する(した)店舗や企業の“宣伝”記事を意識的に書いたことは、過去に2~3件ほどしかなかったと思う。ひとつは、江戸期とあまり変わらない製法で胡麻油を製造している小野田製油所Click!と、なにかと原稿書きなどでお世話になった「カフェ杏奴」Click!などだ。きょうは加えてもうひとつ、企業でも店舗でもない組織(団体)の「日本民話の会」を加えてみたい。
先日、「佐伯祐三生誕120年記念」の講演会+街歩きClick!には、日本民話の会の方もおみえだったようなので、印象深い同会の活動について少し書いてみよう。日本民話の会は、日本全国にわたる多彩な催しや、さまざまな語り部たちが紡ぎだす物語・フォークロアの類を記録し、出版する組織としてあまりにも有名だ。
日本各地に残る多種多様な物語を採取したり、先の戦争や東日本大震災で生まれた物語などを記録しているので、わたしもその何冊かは目にしている。拙サイトには、地元の古老から取材した口承伝承や、この地域で生きていた人々が紡いだエピソード、地域に眠る物語などを発掘して記録するという側面があるので、どこか日本民話の会の仕事と相通じるところがあるように思う。もっとも、同会の記録作業は日本国内をとうにスケールアウトして、海外の民話や昔話、フォークロアにまで及んでいるのだが……。
先の戦争の加害や被害については、これまでわたしの家族の体験Click!も含め、(城)下町や乃手Click!を問わず数多くの物語を取りあげてきている。戸山ヶ原Click!の陸軍施設を抱え、「軍都」とも呼ばれた新宿地域には、膨大な戦争にまつわる伝承が眠っている。おもに二度にわたる大空襲Click!で、現在の新宿区エリア(旧・牛込区/四谷区/淀橋区)は全区域の8割以上が焦土と化し、約6,700人が死亡している。また、1945年(昭和20)8月15日から数日間、戸山ヶ原Click!の陸軍施設や市ヶ谷の参謀本部では、膨大な資料が証拠隠滅のために焼却され、発生した大量の煙の量だけ加害の歴史があったのだろう。
また、明治になって最大の火災である両国大火Click!や東京大洪水Click!は個別に紹介しているが、関東大震災Click!については下町と乃手を問わず、繰り返しここで取りあげてきた出来事だ。15階までとどくハシゴ車が1台しかなく、あとは10階までがせいぜいの現状で、それ以上の階数がある高層マンションの火災をどうすればいいのか。また、大震災が起きた場合は地割れや家屋倒壊、駐車列などで道路が機能せず(関東大震災時がそうだった)、そもそも緊急車両が現場にいきつけない問題(東日本大震災で現実化した)や、水道管の破断により消火栓が機能しないのはどうするのか。1964年(昭和39)に開催された東京オリンピックの前後、河川や運河を埋めてしまい消火用水が確保できないのはもちろん、水運による救援物資ルート(関東大震災では最大限機能した)がなくなり、延焼止めや避難場所として設けられた広場や公園などの防災インフラが消滅したのをどうするのか……etc.。まったく誰も、なにも考えていない現状に愕然とする……というような記事を、これでもかというほど書いてきた。
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これらの課題に対する“気づき”や問題意識、リスク管理意識は、被害に遭った肉親を含め語り部たちによる物語が伝承され、アタマのどこかで常に意識されているからこそ継承できるテーマなのだ。ちょうど、1933年(昭和8)に起きた昭和三陸大津波による被害の物語や伝承を継承し、住宅を海岸線近くから高台へと移した人々が、東日本大震災では被害を最小化できているのを見ても明らかだろう。もっとも、原発事故で漏れた放射性物質による被害や障害は、まったく防ぎようがないのが現実だが。
日本民話の会では、『聴く 語る 創る』24巻で「戦後70年 戦争の時代を語りつぐ」を、同書21巻では「東日本大震災を語り継ぐ」、同書25巻では「東日本大震災 記憶と伝承」を刊行している。その中には、決して忘れてはならない、教訓化して孫子の代まで伝えなければならない物語が横溢している。東京は、1923年(大正12)の関東大震災以降にやってきた人たちが増え、それらの家庭では震災の物語がまったく継承されておらず、小林信彦Click!のコトバにならえば「いけいけドンドン」の「町殺し」Click!開発で、安全・安心への担保が街から駆逐される状況が進み、明日にでも現実化しそうな「いま、そこにある危機」が、まったく見えなくなっている。このような状況や“気づき”を問いかけても、多くの人たちはエポケー(判断停止)状態に陥るだけだ。
このような断絶した伝承を、あるいは忘れられがちな物語を、肉親や経験者に代わって後世へと伝えていく作業は、非常に重要な仕事であり大きなテーマであると思うのだ。それは、ご都合主義的に整えられてしまった教科書的な「歴史」ではなく、資料室に眠る整理されてしまったレポートや論のたぐいでもなく、危機的な現実・現場に遭遇してなにを感じ、どのように考え、また、なにをどう判断して生きようとしたのかの「肉声」にほかならないからだ。これからも、下落合の聖母坂に本部がある「日本民話の会」Click!の仕事には、さまざまな催しも含め注目していきたい。
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さて、うちの子どもたちが小さいころ、映画『学校の怪談』シリーズを観たことがある。わたしも、「ドラえもん」や「ドラゴンボールZ」などを見せられるよりは、よほど楽しく、ウキウキしながら画面を眺めていた憶えがある。校長先生が金の懐中時計を「か~えして~」と、どこまでも首を伸ばして廊下を追いかけてくるろくろっ首・岸田今日子Click!や、子どもたちの前に現れては脅かす怪しい坊主・米倉斉加年には、オシッコをちびりそうで「ヒェ~~~ッ」と叫んでは、子どもたちと狂喜したものだ。そう、前世紀末に大ブームを巻き起こした「学校の怪談」は、日本民話の会が監修した出版物『学校の怪談』シリーズが発信源なのだ。
ちょっと本棚から、1994年(平成6)にポプラ社から出版された日本民話の会『学校の怪談⑩ 真夜中のミステリー・ツアー』を探し出して、少し引用してみよう。
▼
★自転車にのってたらけしきがかわって、たんぼがたくさんあって、人が一人うかんでた(ぜんぜんしらない人)。(東京都世田谷区 S・S 10歳 男子)
★ぼくとしんせきの人とで午前二時か二時半ぐらいに家を出発し、びわ湖にいくとちゅうでした。国道で道にまよったのでおばあさんにききました。「あっちだよ」といわれていってもつきません。やっとついたのがおばあさんのたっていたところ、またおばあさんがいました。またきいて、一〇回ぐらいいってもいけなく、なにげなく逆にいったらいけました。(京都府京都市 U・K 11歳 男子)
★友だちと家に帰るとき、きゅうに強い風がふいた。するととつぜんあたりの草がカマできられるようにきれていた。ふとたんぼをみると、カラスが三羽血だらけになっていた。ぼくの顔もそのとききられた。とてもいたかったよ。(岡山県勝田郡 K・T 9歳 男子)
★学校のブランコの二番めにのると、ぜったいおちてけがをします。今までほとんどの人がおちてひどい目にあっています。(愛知県春日井市 N・A 10歳 女子)
▲
中には、体育館の床を掃除しても掃除しても、血がポタポタとたれてくる……、あっ、あたしの鼻血だ!――というような、大ボケ怪談の「恐怖」もあるのだけれど。w
その時代の子どもたちが、なにに興味をもち、なにを見て、なにに恐怖を感じていたのかがわかって、民俗学的にも非常に興味深い。これが半世紀前であれば、日常を超えたまったく異なる事件や出来事に怖れを抱いていた、わたしたちの姿と重なってくる。
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わたしの子どもたちは、映像版『学校の怪談』は喜んで観ていたが、せっかく購入した本は読まなかった。しかたないので、わたしが代わりに読んで楽しんでたりするのだが、映像よりも想像力が無限に広がる本や語りのほうが、ほんとうはもっと怖いのだぞ。
◆写真上:下落合の聖母坂にある、「日本民話の会」本部の近くから。
◆写真中上:いずれも日本民話の会から出版されている『聴く 語る 創る』シリーズで、21巻の「東日本大震災を語り継ぐ」(上左)、25巻の「東日本大震災 記憶と伝承」(上右)、24巻の「戦後70年 戦争の時代を語りつぐ」(下左)と、『新しい日本の語り』13巻の「出雲かんべの里の語り」(下右)。
◆写真中下:上は、日本民話の会による『こども妖怪・怪談新聞』(水木プロダクション共同制作/左)と、同会学校の怪談編集委員会による『学校の怪談⑩ 真夜中のミステリー・ツアー』(右)。下は、『学校の怪談⑩ 真夜中のミステリー・ツアー』のコンテンツ。
◆写真下:1996年(平成8)に公開された『学校の怪談2』(東宝)より、岸田今日子の校長先生が怖すぎる。1998年(平成10)の『学校の怪談3』には黒木瞳や野田秀樹が出ていて、「あ、あ、あなたは、顔がないかもしれないけど、あ、あたしは胸がないんだからね~! キャーーッ!」といって逃げだす女教師が印象に残っている。w
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わたしは、拙サイトで落合地域に現存する(した)店舗や企業の“宣伝”記事を意識的に書いたことは、過去に2~3件ほどしかなかったと思う。ひとつは、江戸期とあまり変わらない製法で胡麻油を製造している小野田製油所Click!と、なにかと原稿書きなどでお世話になった「カフェ杏奴」Click!などだ。きょうは加えてもうひとつ、企業でも店舗でもない組織(団体)の「日本民話の会」を加えてみたい。
先日、「佐伯祐三生誕120年記念」の講演会+街歩きClick!には、日本民話の会の方もおみえだったようなので、印象深い同会の活動について少し書いてみよう。日本民話の会は、日本全国にわたる多彩な催しや、さまざまな語り部たちが紡ぎだす物語・フォークロアの類を記録し、出版する組織としてあまりにも有名だ。
日本各地に残る多種多様な物語を採取したり、先の戦争や東日本大震災で生まれた物語などを記録しているので、わたしもその何冊かは目にしている。拙サイトには、地元の古老から取材した口承伝承や、この地域で生きていた人々が紡いだエピソード、地域に眠る物語などを発掘して記録するという側面があるので、どこか日本民話の会の仕事と相通じるところがあるように思う。もっとも、同会の記録作業は日本国内をとうにスケールアウトして、海外の民話や昔話、フォークロアにまで及んでいるのだが……。
先の戦争の加害や被害については、これまでわたしの家族の体験Click!も含め、(城)下町や乃手Click!を問わず数多くの物語を取りあげてきている。戸山ヶ原Click!の陸軍施設を抱え、「軍都」とも呼ばれた新宿地域には、膨大な戦争にまつわる伝承が眠っている。おもに二度にわたる大空襲Click!で、現在の新宿区エリア(旧・牛込区/四谷区/淀橋区)は全区域の8割以上が焦土と化し、約6,700人が死亡している。また、1945年(昭和20)8月15日から数日間、戸山ヶ原Click!の陸軍施設や市ヶ谷の参謀本部では、膨大な資料が証拠隠滅のために焼却され、発生した大量の煙の量だけ加害の歴史があったのだろう。
また、明治になって最大の火災である両国大火Click!や東京大洪水Click!は個別に紹介しているが、関東大震災Click!については下町と乃手を問わず、繰り返しここで取りあげてきた出来事だ。15階までとどくハシゴ車が1台しかなく、あとは10階までがせいぜいの現状で、それ以上の階数がある高層マンションの火災をどうすればいいのか。また、大震災が起きた場合は地割れや家屋倒壊、駐車列などで道路が機能せず(関東大震災時がそうだった)、そもそも緊急車両が現場にいきつけない問題(東日本大震災で現実化した)や、水道管の破断により消火栓が機能しないのはどうするのか。1964年(昭和39)に開催された東京オリンピックの前後、河川や運河を埋めてしまい消火用水が確保できないのはもちろん、水運による救援物資ルート(関東大震災では最大限機能した)がなくなり、延焼止めや避難場所として設けられた広場や公園などの防災インフラが消滅したのをどうするのか……etc.。まったく誰も、なにも考えていない現状に愕然とする……というような記事を、これでもかというほど書いてきた。
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これらの課題に対する“気づき”や問題意識、リスク管理意識は、被害に遭った肉親を含め語り部たちによる物語が伝承され、アタマのどこかで常に意識されているからこそ継承できるテーマなのだ。ちょうど、1933年(昭和8)に起きた昭和三陸大津波による被害の物語や伝承を継承し、住宅を海岸線近くから高台へと移した人々が、東日本大震災では被害を最小化できているのを見ても明らかだろう。もっとも、原発事故で漏れた放射性物質による被害や障害は、まったく防ぎようがないのが現実だが。
日本民話の会では、『聴く 語る 創る』24巻で「戦後70年 戦争の時代を語りつぐ」を、同書21巻では「東日本大震災を語り継ぐ」、同書25巻では「東日本大震災 記憶と伝承」を刊行している。その中には、決して忘れてはならない、教訓化して孫子の代まで伝えなければならない物語が横溢している。東京は、1923年(大正12)の関東大震災以降にやってきた人たちが増え、それらの家庭では震災の物語がまったく継承されておらず、小林信彦Click!のコトバにならえば「いけいけドンドン」の「町殺し」Click!開発で、安全・安心への担保が街から駆逐される状況が進み、明日にでも現実化しそうな「いま、そこにある危機」が、まったく見えなくなっている。このような状況や“気づき”を問いかけても、多くの人たちはエポケー(判断停止)状態に陥るだけだ。
このような断絶した伝承を、あるいは忘れられがちな物語を、肉親や経験者に代わって後世へと伝えていく作業は、非常に重要な仕事であり大きなテーマであると思うのだ。それは、ご都合主義的に整えられてしまった教科書的な「歴史」ではなく、資料室に眠る整理されてしまったレポートや論のたぐいでもなく、危機的な現実・現場に遭遇してなにを感じ、どのように考え、また、なにをどう判断して生きようとしたのかの「肉声」にほかならないからだ。これからも、下落合の聖母坂に本部がある「日本民話の会」Click!の仕事には、さまざまな催しも含め注目していきたい。
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ちょっと本棚から、1994年(平成6)にポプラ社から出版された日本民話の会『学校の怪談⑩ 真夜中のミステリー・ツアー』を探し出して、少し引用してみよう。
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★自転車にのってたらけしきがかわって、たんぼがたくさんあって、人が一人うかんでた(ぜんぜんしらない人)。(東京都世田谷区 S・S 10歳 男子)
★ぼくとしんせきの人とで午前二時か二時半ぐらいに家を出発し、びわ湖にいくとちゅうでした。国道で道にまよったのでおばあさんにききました。「あっちだよ」といわれていってもつきません。やっとついたのがおばあさんのたっていたところ、またおばあさんがいました。またきいて、一〇回ぐらいいってもいけなく、なにげなく逆にいったらいけました。(京都府京都市 U・K 11歳 男子)
★友だちと家に帰るとき、きゅうに強い風がふいた。するととつぜんあたりの草がカマできられるようにきれていた。ふとたんぼをみると、カラスが三羽血だらけになっていた。ぼくの顔もそのとききられた。とてもいたかったよ。(岡山県勝田郡 K・T 9歳 男子)
★学校のブランコの二番めにのると、ぜったいおちてけがをします。今までほとんどの人がおちてひどい目にあっています。(愛知県春日井市 N・A 10歳 女子)
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中には、体育館の床を掃除しても掃除しても、血がポタポタとたれてくる……、あっ、あたしの鼻血だ!――というような、大ボケ怪談の「恐怖」もあるのだけれど。w
その時代の子どもたちが、なにに興味をもち、なにを見て、なにに恐怖を感じていたのかがわかって、民俗学的にも非常に興味深い。これが半世紀前であれば、日常を超えたまったく異なる事件や出来事に怖れを抱いていた、わたしたちの姿と重なってくる。
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わたしの子どもたちは、映像版『学校の怪談』は喜んで観ていたが、せっかく購入した本は読まなかった。しかたないので、わたしが代わりに読んで楽しんでたりするのだが、映像よりも想像力が無限に広がる本や語りのほうが、ほんとうはもっと怖いのだぞ。
◆写真上:下落合の聖母坂にある、「日本民話の会」本部の近くから。
◆写真中上:いずれも日本民話の会から出版されている『聴く 語る 創る』シリーズで、21巻の「東日本大震災を語り継ぐ」(上左)、25巻の「東日本大震災 記憶と伝承」(上右)、24巻の「戦後70年 戦争の時代を語りつぐ」(下左)と、『新しい日本の語り』13巻の「出雲かんべの里の語り」(下右)。
◆写真中下:上は、日本民話の会による『こども妖怪・怪談新聞』(水木プロダクション共同制作/左)と、同会学校の怪談編集委員会による『学校の怪談⑩ 真夜中のミステリー・ツアー』(右)。下は、『学校の怪談⑩ 真夜中のミステリー・ツアー』のコンテンツ。
◆写真下:1996年(平成8)に公開された『学校の怪談2』(東宝)より、岸田今日子の校長先生が怖すぎる。1998年(平成10)の『学校の怪談3』には黒木瞳や野田秀樹が出ていて、「あ、あ、あなたは、顔がないかもしれないけど、あ、あたしは胸がないんだからね~! キャーーッ!」といって逃げだす女教師が印象に残っている。w