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落合地域と「大日本職業別明細図」。

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 拙サイトでは、江戸期から現代にいたるまで作成された、多種多様な絵図・圖書や地図類を引用してきた。これまで引用した地図類は、おそらく50種類をゆうに越えるだろう。明治以降に作成された地図では、参謀本部陸軍部の測量局が初めてフランス式で明治初期に作成した地形図Click!をはじめ、のちのち同本部所属の陸地測量部Click!が制作した1/5,000や1/10,000など縮尺ごとの地形図類Click!や、陸軍士官学校が演習用に作成した演習地図Click!、自治体が境界エリア内の地名・住所・番地などを表現した各種市街図など、挙げだしたらきりがない。
 また一方で、官製ではなく民間の個人や店舗、企業などが生活や観光、商売、事業などの便宜をはかるために作成した、いわゆる「民間地図」も数多くご紹介している。たとえば、その代表的なものに飲食店の出前、あるいは周辺住民が店舗を利用する際の利便性を考慮したとみられる大正期の「出前地図」Click!(1925年)や、現在の「住宅地図」と同様に居住する住民や店舗を網羅的に採取して掲載した大正末から昭和初期の「住宅明細図」Click!「事情明細図」Click!(ともに1926年前後)、火災保険会社が市場把握と営業活動を目的として、建物の仕様などを意識しながら特別に作成した昭和初期の「火災保険特殊地図」Click!(通称「火保図」/1938年前後)などがある。
 ただし、これらの地図は地域性が強く作成エリアが限定的だったり、都市部や市街地のみが作成の対象だったりしたため、全国を網羅する「民間地図」とはいいにくい。個人が地図会社を起ち上げ、大正の初期から昭和30年代にいたるまで、全国を網羅したビジネス地図を一貫して制作しつづけた事例がある。木谷佐一(のち改名して木谷彰佑)が創立した、東京交通社による「大日本職業別明細図」ないしは「大日本職業別住所入索引付信用案内明細地図」、すなわち通称「商工地図」と呼ばれる地図制作の一大プロジェクトだ。
 1917年(大正6)に、40歳で東京交通社を創立した木谷佐一は、社員のトレーサー2名と全国各地に現地調査用の契約社員を展開し、北は北海道から南は沖縄県、さらに朝鮮半島から中国大陸までの「商工地図」を作成している。これらの地図は定期的に改版が重ねられ、年代が下るごとに地図の表現は微細をきわめていく。もっとも古い地図は、1917年(大正6)に制作された日本の主要都市をカバーする都市案内図で、当初からすでに「大日本職業別明細図」というタイトルがつけられていた。
 「商工地図」の詳細について研究した資料に、柏書房から1988年(昭和63)に出版された『昭和前期日本商工地図集成―第1期・第2期改題―』(地図資料編纂会)がある。同書より、木谷佐一について書いた『「商工地図」をよむ』から引用してみよう。
  
 木谷佐一は、明治10(1877)年生れであるから、齢40にして東京交通社をおこし地図刊行事業を開始したことになる。それまで特に地図ないし出版業に関わっていたことはないようで、遺族によれば従来の仕事を中途退職し、前職は「鉄道関係」の由である。「東京交通社」の名はその職種に関わるものと思われるが、あるいは「交通」に人間の移動というより物流すなわち近代的経済活動の意味を含ませた面があったのかも知れない。(中略) 木谷の「独創性」とは、近代的手法が一般化した時代における都市地図と、伝統的な独案内の方法つまり業種別一覧を結合させたところにあった。すなわち業種別一覧の個別の内容を、ひとつひとつ注入した地図を作成したのである。ただしこれはそれ以前に各種店舗案内を記入した地図を作成したものがいなかったということではない。あくまで一定の地図刊行事業としてこのような形式を全国的に成功させたものがいなかったという意味においてである。
  
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商工地図「落合町」1925.jpg

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商工地図「落合町」1925裏面.jpg

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 「商工地図」制作の特色は、地図に企業や店舗を掲載することで広告料(掲載の種類別に料金メニューがあったとみられる)を徴収し、注文を予約制にして発行部数を決定し、あらかじめ印刷ロットを限定して余剰部数が発生するのを極力防止したこと、つまり印刷当初から黒字が見こめるビジネスモデルを確立していたことが挙げられる。だからこそ、「商工地図」は約40年もの間、継続して発行されつづけたのだろう。
 また、「商工地図」は官製地図のように厳密な測量数値を前提としないので、フリーハンドによる表現が主体だった。ただし、地域のかたちが変形し縮尺は正確でないものの、官製地図には見られない使いやすさやわかりやすさを追求している。
 木谷佐一は、ちょうど「火保図」が作られはじめた1938(昭和13)に死去するが、4人いた実子は誰も事業を継承しなかった。東京交通社を継続したのは、長女の夫だった西村善汎(よしひろ)だ。西村は、そのまま従前の地図を刊行しつづけ、戦時中の1942年(昭和17)に一時中断している。もちろん、戦争の影響で地図が勝手に作成できなくなり、国策の統制団体「日本統制地図株式会社」に事業を吸収されたからだ。だが、西村は敗戦後すぐに事業を復活させたらしく、昭和30年代までの「商工地図」を確認することができる。
 木谷佐一は、1937年(昭和12)に「商工地図」の制作コンセプトとでもいうべき、11項目を手書きで列挙している。同書より、少し長いが引用してみよう。
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商工地図「淀橋区」1934.jpg

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商工地図「淀橋区」落合地域1934.jpg

  
 東京交通社発行/大日本職業別明細図の特色並に効用
 一、本図は全国各地数年毎に改版し新聞紙法により毎月十日、二十五日、定期刊行物として永続出版す 二、本図は出版報国の目的を以て全国的統一を計り多大な犠牲を払ひつゝ社会公共に寄与する処甚大なり 三、本図は「大日本職業別住所入索引付信用案内明細地図」とあつて去る大正六年独創著作し爾来各地一定の方針を以て遂に全国の完成を見たり 四、本図製本は之を加除式にしたれば後日改版の地図は其都度差替自由にして常に永久改正を保ち現状を維持するを以て一大特色とす 五、複雑にして多端なる現代の用務は須らく確実迅速を旨とす 本図は裏面職業別によりあらゆる撰択を自由にし索引によりて適確に然も敏速に表面各人の住所の位置を見出すことを得べし 六、本図には国税府県税の納税額を標準として信用ある店舗住所は剰すことなく之を掲載し加ふるに其営業種目電話番号等を詳細懇切に紹介し且名所旧蹟、社寺、官公衛、学校、銀行、会社、工場、病医院、著名商店並に名望家は写真を以て紹介したり 七、故に居ながら各地の情勢を比較対照考察し得て諸種の立案計測に資すべく 八、商工業の進歩を助け各地産業の開発を促がし 九、住宅の表札、営業家の看板の如くあらゆる商工業者の最も信頼すべき羅針盤なり あらゆる家庭の最も懇切な買物案内なり 十、移転、開業の考材として趣味娯楽の内に実益あり一面職業別電話帳の代用ともなる 十一、旅行、訪問、社交、取引、運輸、交通上欠くべからざる必携品なり
  
 わたしの手もとには、1925年(大正14)に発行された「大日本職業別明細図―高田町・落合町・長崎村―」と、東京35区Click!時代を迎え淀橋区が成立したあとの、1934年(昭和9)に発行された「大日本職業別明細図―淀橋区―」がある。
 大正期のものは、道路がオレンジ、市街地が墨囲みに斜線、収録した企業・店舗などは墨囲みに白ベタ墨文字、河川や池は水色で表現されている。また、昭和期のものは記載する項目が増えたせいか、企業・店舗などの所在地を黒丸印で表し、名称を黒丸に接して記載する表現に変わっている。市街地は、特に囲みや斜線が入れられず薄いオレンジ色のベタ塗りとなり、道路は白、鉄道やバス路線を赤色、河川や池は青色で表現されている。見やすさからいえば、やはり昭和期の表現法のほうが場所をハッキリと認識しやすい。
 これらの地図は、大正期から昭和期にかけて地域に存在した、さまざまな企業・店舗などを知るうえでは不可欠な要素を満載している。特に、地図の裏面には、おそらく広告費を払って出稿しているのだろう当時の企業や店舗の広告と、ときに社屋や店構えなどの写真も挿入されていて興味深い。年代順に地図を重ねてみると、どのような事業や商店の盛衰があったのかがひと目でわかる。同時に、時代背景や社会環境を重ねてみると、いままで気づかなかった地域の特色が姿を現したりもする。
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商工地図「淀橋区」1934裏面.jpg

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商工地図「淀橋町」1925.jpg

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商工地図「牛込区・四谷区」1933.jpg

 東京が35区編成になったばかりの1933年(昭和8)、商工地図とは別に大東京市政審査協会から「各区便益明細地図」(別称「実地踏査図」)が発行されている。同地図も、「商工地図」と同様に企業や店舗などを収録している生活便利地図だが、カラー印刷でイラスト入りなのが大きなちがいだ。同地図には建物や公園、施設、邸宅などの絵が挿入されていて、元祖・イラストマップのような趣きだが、その表現や記載事項にかなり不正確な点が目立つことは、以前、こちらのサイトでもご紹介Click!ずみだ。

◆写真上:落合地域が掲載された、1925年(大正14)と1933年(昭和8)の「商工地図」。
◆写真中上は、1925年(大正14)発行の商工地図「高田町・落合町・長崎村」。は、同図裏面に掲載された企業や店舗。は、『昭和前期日本商工地図集成第 1期・第2期改題』(地図資料編纂会)付属の『「商工地図」をよむ』()と木谷佐一の趣旨()。
◆写真中下は、1934年(昭和9)に発行された商工地図の「淀橋区」(全図)。は、同図から拡大した下落合と上落合の全域。
◆写真下は、1934年(昭和9)発行の「淀橋区」裏面に掲載された企業・店舗。は、1925年(大正14)に発行された商工地図「淀橋町」の部分拡大。は、1933年(昭和8)に発行された商工地図「牛込区・淀橋区」の新宿駅周辺の部分拡大。

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