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Channel: 落合学(落合道人 Ochiai-Dojin)
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陸軍科学研究所のもっとも危険な部局。

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 下落合の南、戸山ヶ原Click!にあった陸軍科学研究所Click!では、どのセクションも危険な兵器開発を行なっていたが、その中でも特別に危険な兵器や資材を開発していた部局がある。1927年(昭和2)5月に、戸山ヶ原の科学研究所第2部内へ、ひそかに設けられた「秘密戦資材研究室」だ。室長には、すでにこちらでも陸軍兵務局分室(工作室=ヤマ)Click!陸軍中野学校Click!との密接な関係をご紹介している、陸軍大佐・篠田鐐が就任している。以降、秘密戦資料研究室は「篠田研究室」とも呼ばれるようになった。
 第一次世界大戦の影響から、戸山ヶ原(山手線西側エリア)で繰り広げられた塹壕戦Click!の演習は、こちらでも何度かご紹介Click!してきているが、同大戦はそれまでの戦法を塗り変えたのに加え、戦争自体の姿も大きく変えてしまっていた。従来は、敵対国同士の軍隊が正面から衝突して、戦争の優劣や勝敗を決定づけていたが、第一次世界大戦は軍隊同士の戦闘にとどまらない、近代国家同士の「総力戦」であることを広く認知させた戦争でもあった。近代戦は、軍隊(軍人)たち同士が戦うだけでなく、国家間が国民とその生活のすべてを動員して戦われることを決定づけた。
 「総力戦」の中身は、単純に前線における軍隊の軍事作戦・行動のみにとどまらず、「思想戦」や「政略戦」、「経済戦」などの概念にもとづき、敵対国の国内を混乱させる後方攪乱(経済・通貨破壊など)をはじめ、情報・宣伝工作、スパイ(諜報)工作、要人の盗聴や暗殺、爆破などの謀略工作、防諜戦など表面化しない「秘密戦」が、不可欠な要素であることが知られるようになった。
 その秘密資材づくりに設置されたのが、戸山ヶ原の陸軍科学研究所第2部の秘密戦資材研究室(篠田研究室)であり、同じく戸山ヶ原(山手線東側エリア)にあった陸軍兵務局分室(ヤマ)に属する中野学校出身の工作員Click!たちが、それを実際に使用する実践部隊という位置づけになる。彼らは外交官や商社員、観光客、新聞記者、商人、使用人などに化けて国内外に散っていった。
 日本における秘密戦の研究は、欧米に比べて大きく出遅れていたため、秘密戦資材研究室では当初、どのような機材を研究開発していいのか見当がつかず、スパイ資材の研究には外国の映画や小説、欧米の文献などを参考に手さぐりの状態だったらしい。だが、1931年(昭和6)の満州事変以後は、科学研究所とともに秘密戦資材研究室は規模拡充の一途をたどった。1935年(昭和10)ごろから、満洲の関東軍参謀部や関東軍憲兵司令部、各特務機関などを相手に技術講習会を開けるまでになり、中国やソ連での各種スパイ工作に協力している。
 1936年(昭和11)になると、陸軍科学研究所は陸軍技術本部の傘下に置かれることになり、戸山ヶ原の広大な敷地では東側が科学研究所、西側が技術本部として機能するようになる。秘密戦資材研究室(篠田研究室)では、スタッフや開発設備・機材も充実し、秘密戦のさまざまな兵器を完成させていった。また、同年には機密戦を実践する戦士を教育・養成するために、陸軍兵務局分室へ協力して「後方勤務要員養成所」(のちの陸軍中野学校)が設立されている。
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 秘密戦資材研究室(篠田研究室)には、大学の理工系学部を卒業した学生ばかりでなく、東京美術学校Click!の出身者も採用されているのが興味深い。これは敵国の経済破壊を目的として、中国をはじめアジア諸国のニセ札づくりのイラストや版下制作を担当したものだろう。大学や専門学校の卒業生ではなく、見習工などの若い所員は、陸軍科学研究所内で「戸山青年学校」という学習組織に属し、英語や理科、電気、機械などを履修することができた。彼らは、仲間同士で親しく交流できたようだが、どのような業務に携わっているかはタブーで、仕事の話はいっさいできなかったという。
 1939年(昭和14)4月、秘密戦資材研究室(篠田研究室)は規模拡充のため、戸山ヶ原から川崎市稲田登戸の拓殖学校跡地に移転し、陸軍科学研究所登戸出張所と改名される。さらに、3年後の1942年(昭和17)からは陸軍第九技術研究所となり、通称「登戸研究所」と呼ばれるようになった。当時の世界情勢を、1989年(昭和64)に教育史料出版会から出版された、『私の街から戦争が見えた』より引用してみよう。
  
 登戸研究所でニセ札づくりが本格化した一九三九(昭和一四)年、ヨーロッパではドイツがポーランドにへ侵攻、第二次世界大戦が開始された。同じころ大本営陸軍部は中国南部に支那派遣総軍を設置し、戦禍は拡大の一途を辿っていた。四〇年には「陸軍中野学校令」が制定され、中野学校と登戸研究所によって秘密戦の人的・技術的基盤は完成された。太平洋戦争前年のころまでに登戸では研究開発がほぼ完成し、実用化の段階になっていたと言われている。/日本国内では、大政翼賛会の発足により既存の政治団体は解散し、特高警察や憲兵などによる治安維持法の網のなかで、日本のファシズム体制は完成しつつあった。(中略) そのような状況下、登戸研究所は仏領インドシナ、サイゴンに進駐した南方軍参謀本部に対し、謀略器材を中心に研究所はじまって以来の数の補給・取り扱い指導を行なったのである。
  
 戸山ヶ原から稲田登戸へ移転した旧・秘密戦資材研究室(科学研究所登戸出張所)は、小田急線の東生田駅(現・生田駅)と稲田登戸駅(現・向ヶ丘遊園駅)との間にある、小高い丘の上に設置された。約11万坪という広大に敷地に、24棟の工場や研究所が並び、農作物を枯死させる細菌や枯葉剤を実験する畑をはじめ、動物実験をするための動物舎、爆薬実験場などが付随していた。
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 研究所の一科では無線や電波兵器、怪力光線、風船爆弾などいわゆる物理系兵器が、二科では特殊爆弾や毒物、細菌、写真、特殊インクなどの化学系兵器が、三科では各国のニセ札や偽造パスポートなど印刷物が、四科は開発された兵器の製造・管理・移送がおもな業務だった。研究所員は、所長の篠田鐐(中将)をはじめ、将校クラスが134人、下士官クラスが54人、技師が16人、技手が55人、工員や雇人を合わせると同研究所は約1,000名ぐらいの大所帯となっていた。
 この中で、二科が爆薬や毒物、細菌などを直接扱うもっとも危険な研究室だったろう。暗殺用の毒物をはじめ、敵国の町にばらまく細菌兵器、穀物を枯死させる病原菌、土壌のバクテリアを死滅させる細菌、地上の植物を枯死させる枯葉剤、特殊爆弾(缶詰・レンガ・石炭・歯磨きチューブ・トランク・帯・雨傘などの形状をした暗殺爆弾)、謀略兵器(レンガ・石鹸・発射型・散布型の放火焼夷弾)、超小型カメラ(ライター・マッチ・ステッキ・ボタン型の写真機)などを開発・製造している。
 これらの膨大な研究資料は、敗戦直後に陸軍省軍事課より出された通達「特殊研究処理要領」により、「敵ニ証拠ヲ得ラルル事ヲ不利トスル特殊研究ハ全テ証拠ヲ陰滅スル如ク至急処置」すべしという命令によって、ほとんどすべてが焼却された。戦後、GHQによる科学研究所員への訊問が行われたが、二科および三科所員の何人かは米軍にスカウトされて米国にわたり、朝鮮戦争やベトナム戦争に登場する生物兵器や枯葉剤の研究などに応用されたといわれている。また、国内においては、帝銀事件Click!で名前が挙がっている遅効性の猛毒「アセトンシアンヒドリン」(青酸ニトリール)Click!や、偽造千円札「チ-37号」事件などが、登戸研究所との関連を強く疑われている。
 登戸研究所では、研究員や工員たちが薬物(毒物)中毒になった場合の、救命治療マニュアルのようなものを用意していた。1943年(昭和18)現在では、同研究所で扱われていた死にいたる薬物は、30種類をゆうに超えている。これらによって製造された毒物兵器や毒ガス兵器は、ひそかに前線へと運ばれていった。
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 戸山ヶ原(山手線西側エリア)の住宅建設現場から、イペリット・ルイサイトなど毒ガス兵器が発見され、自衛隊の手で掘りだされたのは、それほど昔の話ではない。ほかにも、敗戦直後の「特殊研究処理要領」により、地中深くに埋められ廃棄された毒ガス兵器や毒物兵器、細菌兵器がどれほど眠っているものか、当時の証言者がほとんどいなくなってしまった今日では、戸山地域と登戸地域ともに見当もつかない。

◆写真上:戸山ヶ原に展開した陸軍科学研究所の、中枢部門があった跡の現状。
◆写真中上は、陸軍科学研究所の建物跡に残るコンクリート残滓。は、1941年(昭和16)に斜めフカンから撮影された戸山ヶ原の陸軍技術本部・陸軍科学研究所。
◆写真中下は、毒ガスや毒物の研究開発からか独特な形状のフィルターがかけられた陸軍科学研究所の煙突群。1988年(昭和63)に光芸出版から刊行された濱田煕『記憶画・戸山ヶ原-今はむかし…-』より。は、1944年(昭和19)に撮影された最大規模になった戸山ヶ原の陸軍科学研究所。は、陸軍科学研究所跡の現状。
◆写真下は、日本に国内の全研究機関のリストと資料開示などを命じたGHQ文書の和訳(現物)。は、1944年(昭和19)撮影の陸軍第九技術研究所(登戸研究所)の全貌。

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