落合地域の西側に隣接する、“お化け”博士で有名な井上哲学堂Click!の井上円了Click!のもとに集まった怪談の中で、理性で解明し説明することのできない「真怪」Click!として位置づけられた体験譚がいくつか残っている。その中のひとつに、「三人見た白い手の幽霊」という記録が伝えられている。今年も夏がめぐってきたので、当サイトでは恒例化している怪談をいくつかご紹介したい。
「三人見た白い手の幽霊」は、利根川の沿岸近くにある千葉県香取郡小見川町(現・香取市)にあった古い旅館が舞台となっている。同地の佐原小学校の教師たちと懇意になった、保田守太郎という人物がレポートし、のちに井上円了へ記録を提供しているとみられる。同県香取郡の郡書記が、この旅館に泊まった夜、血だらけになった女の幽霊が現われて大騒ぎになったのがはじまりだった。
その後、同じ部屋に泊まった客たちが次々と不気味な女の幽霊に遭遇し、しかも旅館に宿泊した月日が3人とも同じだったという偶然(女性が死んだ命日か?)まで重なっていた。当時の記録を、1924年(大正13)に帝国教育研究会から出版された『精神科学/人間奇話全集』より引用してみよう。
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其要領を記さんに、香取郡小見川町に皆花樓とて旅店と割烹店とを兼たる一樓あり、今より七年前の四月中旬一日、客あり(当時郡書記)此樓に宿り。其夜十一時過ぎ書見の後眠らんとする折しも、枕辺の方に当つて人の気はひするまゝら驚きて見れば、こは如何に今まで幽かなりし燭火の光り煌々として四辺まばゆきばかり照輝き、あなたの壁際に年頃二十余りとも覚しき女の、鮮血にまみれてをどろの黒髪を振り乱し、いと恨めし気に睨まへたる眼光の凄まじさ、見るより客の驚きは譬へんにものなく、忽ち五体打すくみて覚えず一と声絶叫せしかば、宿の主人等客の室に走り行きしに、既に面色土の如く声も得立てず、冷汗身を浸して打伏してゐた。
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この話が記憶されたのは、幽霊を見たのが郡書記であり友人など周囲の人間に話して、宿で遭遇した怪異エピソードを拡げたからだろう。宿に泊まると幽霊が出るという話は、別にそれほどめずらしくはないありふれた怪談のたぐいだが、このケースが特異なのは同じ宿で幽霊の目撃譚が繰り返し起きている点だ。
「皆花樓」の心霊現象は、上記の血まみれの黒髪を振り乱した女の目撃談だけにとどまらなかった。それから3年後の同月同日、群書記が遭遇した怪談など知らない一般の宿泊客と、隣室に泊まった県会議員ともども、ふたりがほぼ同時に怪奇現象にみまわれている。同書より、つづけて引用してみよう。
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又他の一客(同く郡書記某なるも前の怪事を知らず)其室にて寝床に入り、まだ眠らずしてほの闇き燈火に四辺の屏風襖の絵杯打ち眺めてゐたるに、立てきりある襖の間より、白く細長き女子の腕が現はれた。下婢の戯れならんと思ひ、黙して注視したるに少時にして隠れると同時に隣室の客(県会議員某)忽ち一声叫んで急を人に告るものゝ如し。/前なる客驚き駈つけて其の故を聞けば、我今夢に墓場を過ぎしに、墓石の間より白く細長き女子の腕現はれて、我が袂を引くに驚き振り放さんとするも五体すくみ、動くも叶はずして救ひを呼びたるなりと。前の客も今みた奇を語り互ひに驚きしが、其後二人の内の一人が三年前に怪を見た人に偶逢ふて其怪談を聞き、話し合てみれば前後の怪事は同じ月同じ日であつたに益々驚いた。
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なぜ、女の恨めし気な幽霊が出るのかといえば、「皆花樓」の先代主人が粗暴かつ性格も悪く、雇人の女子のひとりを虐待して、ついに死にいたらしめたことがあったからだ……と説明されている。これも、よくありがちな設定で、たとえば乃木希典Click!が金沢の旅館で遭遇した女の幽霊Click!も、先代の主人に虐待されて死んだ女中だった……というオチがついている。
井上円了が、この怪談を「真怪」(理解不能)に分類したのは、当時の科学や論理では説明ができなかった点からだろう。まず、女の幽霊を目撃したのが年を隔てた、まったく関係性の見いだせない3人の人間(まったくの他人同士)であり、集団幻覚や集団暗示とは考えられないこと。しかも、目撃した月日が偶然にも合致しているところだ。偶然にしては、あまりに“できすぎ”の一致であり、それを合理的に説明できる論理を、井上博士はついに発見できなかったということなのだろう。
こちらでも何度か登場している南方熊楠Click!もまた、怪談の収集家として有名だが、同書にはこんなエピソードが紹介されている。南方熊楠が住んでいた和歌山県田辺町(現・田辺市)に、近くの秋津村からウナギや箒を売りにくる坂本喜三郎(80歳)からの取材として記録したものだ。坂本翁がまだ30歳のころ、秋津村で実際に起きた怪異だという。
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其村の雑貨店の主婦が池に身を投て死んだ。村の大庄屋が村役場より夜帰る時、突然差してゐた傘の上に彼の女の幽霊が留つた、大いに惧れて矢庭に傘を投出し、近所の綿屋に駈込んだ。其頃坂本翁は一友と夜網を打ちにゆかんと、小泉堤を歩みしに、友は十四五間後れてゐた。萬呂村の方から鸛(こう)の如き白い物飛来り、五六間先になつて消えたと思ふと、三間ばかり前を普通の人の歩くやうな速度で行く女があつた。おどろの髪を被り、藍縞の着物を着て。(ママ)腰から下がない、水の入つた近所の綿畠の中へ立た所へ、後れ馳せの友が来て、今かゝる物が飛んできたと噪ぐ紛れに、彼の女の姿は見えなくなつた。予て幽霊に逢た者が、落ついて問へば、必ず其意趣を語ると聞いてをつたが、其の時尋ねなんだは残念なと力んでも、五十年もあとの祭で詰らない。
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なぜ、女の霊が出現するのか、なぜ雑貨屋の主婦は池へ入水自殺したのか、その因果関係がまったくわからず怪異な現象だけが記録されている。なんとなく、化けて出られた大庄屋と雑貨屋の主婦との間に、なにかあったのではないか?……とも推測できるが、まったく関係のない坂本翁たちの前にも姿を現しているので、なんともいえない。
既存の怪談には、幽霊が出現する因果関係が必ず説明されていた。井上円了の「真怪」では、先代が雇用人を虐待死させた、だから死んだ女の幽霊が恨みを抱いて必然的に出現しているのだ……という理屈とともに、聴者がなるほどと腑に落ちる説明がなされている。乃木希典が遭遇した金沢の宿の怪談もまったく同様だ。民谷伊右衛門が、お岩さんClick!を騙して殺したからお岩さんの霊に祟られた、皿を割っただけでお菊さんClick!を手打ちにし井戸へ投げこんだから祟られた……と、従来の怪談は必ず基盤としての原因=因果関係が必ず付随して語られていたはずだ。
ところが、南方熊楠が採取した怪談にはそれがない。いきなり、女の霊が傘にとり憑いたり、なんの関係もない若者たちのゆく手へ、理由もなくフラフラ現れたりする。この幽霊の不条理かつ不可解な出現の仕方こそ、現代に語られる怪談に直結する構成でありストーリー展開なのだ。幽霊の出る原因を、妙なウワサ話でこじつけたり、ありがちな因縁話を持ちださないところ、すなわちわけのわからないうちに怪異現象に出あい、自身が巻きこまれていくところに、南方熊楠が記録した怪談の新しさがある。
人間関係が希薄になり、隣りに誰が住んでいるのかも知らないような都会において、もっとも怖がられるのは、自分とはなんの関わりがないにもかかわらず起きてしまう、原因がまったく不明な怪奇現象なのだ。つまり、人を殺めても傷つけてもいないし、虐待してもイジメてもいないにもかかわらず、いつ誰がどこで巻きこまれても不思議ではない怪奇現象が、現代ではもっとも理不尽で怖ろしい怪談ということになる。
相変わらず、落合地域で語られる怪談を探しているのだが、すでに語り尽くされたのだろうか、最近はなかなか遭遇できないでいる。こんなときは、「コッコッコッコッコッ、おっかしいなぁ~、ギイィィ~~~~ッ、ドン! …いる、誰かいる! 怖い怖い、すごく怖い、冷たい汗がツーッと流れる。すごく怖いんだ、これが……」の稲川怪談に頼り、「落合のアパート」Click!をご紹介してキーボードを置きたい。下落合か上落合か、西落合かは不明だが、話の様子からして1970年代に落合地域で起きた出来事のようだ。
◆写真上:お化けの行進で、国芳『源頼光公館土蜘作妖怪図』(1842~43年/部分)。
◆写真中上:江戸期の怪談『累ヶ淵』の芝居をベースにした浮世絵作品で、上は国芳『かさねぼうこん』(1833年/部分)。中は、三代豊国『藤原敏行朝臣累の亡魂』(1852年/部分)。下は、三代豊国『与右衛門女房かさね』(1857年/部分)。
◆写真中下:四世・鶴屋南北『東海道四谷怪談(あづまかいどう・よつやかいだん)』の芝居をベースにした浮世絵で、上は芳艶『おいわ』(1848年/部分)。中は、三代豊国『お岩の亡霊』(1861年/部分)。下は、周延『お岩ノ霊』(1884年/部分)。.
◆写真下:講談から生まれた『番町皿屋鋪』の芝居をベースにした、上は国芳『お菊のぼうこん』(1851年/部分)。中は、国周『皿屋鋪化粧姿鏡』(1892年/部分)。下は、講談や芝居の「鍋島化猫騒動」がベースの国周『小笹の方猫の精』(1864年)。