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下落合を描いた画家たち・曾宮一念。(6)
曾宮一念Click!が、下落合623番地にアトリエClick!をかまえてから1年後、1922年(大正11)に描いた『落合ニテ』と題するスケッチが残っている。明らかに冬季の情景で、光線は画家の正面やや右手の上から射しているようで、描かれた家々の主棟の向きからすると、正面やや右手が南の方角とみられる。...
View Article淀橋浄水場の沈澄池で自殺をするな。
1955年(昭和30)12月31日の正月をひかえた大晦日、下落合2丁目276番地(ママ)で水道管が破裂する事故が起きている。1966年(昭和41)に東京都水道局から出版された、『淀橋浄水場史』(非売品)にも収録されるほどの大事故だった。ただし、当時の276番地は2丁目ではなく1丁目なので誤植ではないかとみられるが(2丁目になるのは1971年より)、氷川明神社Click!のすぐ北側に位置する地番だ。...
View Article安倍能成が証言する第二文化村空襲。
以前、目白文化村Click!は第二文化村の振り子坂Click!沿い、下落合3丁目1724番地(現・中井2丁目)に住んでいた星野剛男の戦時日記Click!をご紹介したことがある。1945年(昭和20)4月13日夜半の、第1次山手空襲Click!前後の状況を記録した貴重な資料だ。今回は、同じ第二文化村の下落合4丁目1665番地(現・中落合4丁目)に住んでいた、安倍能成Click!の証言をご紹介したい。...
View Article鬼子母神の駄菓子屋に通った秋田雨雀。
雑司ヶ谷24番地に住んでいた秋田雨雀Click!は、落合地域に関連する人物たちのエピソードには頻繁に顔をのぞかせている。古くはエスペランティストという側面から、下落合370番地にアトリエをかまえた竹久夢二Click!や、中村彝Click!のアトリエへモデルとして通ったエロシェンコClick!などとともに、全国を講演してまわっていた。...
View Article落合周辺の種苗店と牧野虎雄の「花苑」。
長崎村(町)荒井1721番地(現・目白4丁目)に小さなアトリエをかまえ、のちに下落合(2丁目)604番地(現・下落合4丁目)に転居してくる、牧野虎雄Click!が制作したアトリエ前の庭園シリーズClick!について記事にしたことがある。いわば、牧野虎雄の「長崎風景」シリーズといったところだ。...
View Article井上円了博士でも解けない「真怪」。
落合地域の西側に隣接する、“お化け”博士で有名な井上哲学堂Click!の井上円了Click!のもとに集まった怪談の中で、理性で解明し説明することのできない「真怪」Click!として位置づけられた体験譚がいくつか残っている。その中のひとつに、「三人見た白い手の幽霊」という記録が伝えられている。今年も夏がめぐってきたので、当サイトでは恒例化している怪談をいくつかご紹介したい。...
View Article続・画家たちへの奇妙なアンケート調査。
ずいぶん以前、1925年(大正14)の春に中央美術社Click!が実施した、画家たちへの奇妙なアンケートの記事Click!を書いたことがある。その際、村山知義Click!の回答と小出楢重Click!、池部鈞Click!など一部の回答についてはご紹介していた。今回は、他の画家たちの回答も見つかったので、改めてご紹介したい。 中央美術社が用意した画家たちへの質問は、以下の10項目だった。...
View Article続々・ほとんど人が歩いていない鎌倉。
北鎌倉のアルバムの中に、住宅らしい建物がとらえられた写真が1枚が残っている。これが、わたしの母方の祖父の妹(大叔母)にあたる人物が、戦前から住んでいた自宅だろうか?...
View Article「たべて見たいと思つたよ」の安倍能成。
夏目漱石Click!の弟子だった松根東洋城が、1915年(大正4)に創刊した俳句誌に「渋柿」というのがある。現在も存続している創刊104年の非常に息の長い雑誌だが、安倍能成Click!は同誌に16回にわたって『下落合より』と題したエッセイを執筆している。戦時中の1942年(昭和17)の「渋柿」10月号から、1945年(昭和20)の「渋柿」2月号までの、2年半にわたる連載だった。...
View Article絵の具がひっ迫する戦時下の画家たち。
戦時下、戦争画Click!をなかなか描かず軍部に協力的でない画家たちは、統制下におかれた絵の具の配給が満足に受けられず、油彩・水彩を問わず本格的な作品が描けないでいた。逆に戦争画を描く画家には、軍部からふんだんに絵の具や筆、キャンバスなどの画材・画道具がまわされ、画面の制作に困ることはなかった。...
View Article陸軍の地下壕が掘られた淀橋浄水場。
これまで、戦時中に東京の市街地が、どのよう組織Click!によって米軍による空襲Click!から「防衛」され、またどのような施策Click!によって空襲の被害を抑えようとしていたかを、落合地域を問わず東京各地の様子をあれこれご紹介してきた。だが、東京市内にあった社会インフラの施設や設備が、どのような方法で守られようとしていたのかには、ほとんど触れてきていない。...
View Article淡谷のり子の語る“生き霊”怪談。
淡谷のり子Click!は、関東大震災Click!の直前まで恵比寿に住み、震災後は上落合に転居してきている。そして、長崎1832番地(現・目白5丁目)にアトリエがあった田口省吾Click!の専属モデルをつとめるために、アトリエの近くへ引っ越したのだろう、大正末から昭和初期にかけ母とともに下落合の家で暮らしていた。だが、彼女の落合地域における住所はわからず、いまもって判明していない。...
View Article上落合の村人はニホンオオカミに出会ったか?
肉食獣のオオカミが、塩を欲しがるという傾向は世界じゅうで記録されている。米国では、海水をなめるために山から下りたオオカミの群れが、わざわざ海岸線まで40kmも夜間移動するのが観察されている。肉食のオオカミの腸の長さは、体調の4倍ほどの長さにすぎず、雑食性のイヌに比べてかなり短い。塩分が不足気味になるのか、オオカミが塩を欲しがるのは国や地域の別なく、世界に共通する特徴のようだ。...
View Articleなぜ駅名と地名は乖離したがるのか。
先日、駅のホームで電車を待っていたら面白い……というか、愕然とする発見をした。西武新宿線の「新井薬師駅」で電車を待ちながら、駄菓子を大人買いしたあとホーム上でぼんやりしていたときのことだった。ここの駅名は「新井薬師駅」ではなく、「新井薬師前駅」が正確な名称だったのに気がついたのだ。(爆!) 帰ってから、さっそく拙サイトの13記事25ヶ所にわたる「新井薬師駅」を、「新井薬師前駅」に訂正した。...
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