佐伯は落合第一小学校の校舎を描いている。
少し前に佐伯祐三Click!が『セメントの坪(ヘイ)』Click!の画面下層にある、画家自身のアトリエを描いたとみられる、1926年(大正15)の8月以前に制作された『わしのアトリエ(仮)』Click!をご紹介した。同作は、「下落合風景」シリーズの第1作かもしれないのだが、実はほかにも疑わしい画面がいくつかある。...
View Article中村彝と「巣鴨の神様」山田つる。(下)
山田つるClick!が、どのようにして「神通力」にめざめたのかは、実際に目撃した第三者がいないので委細は不明だが、夫の山田勝太郎によれば、医者も見離した難病に苦しめられ病臥を繰り返していた中、突然「神霊」のお告げを受けて、「身を清めてから死にたい」と夫に別れを告げたころからはじまる。医者から、余命わずかといわれたのがショックだったのか、半ば自暴自棄のような精神状態でもあったようだ。...
View Article下落合を描いた画家たち・曾宮一念。(5)
大正中期の落合地域を描いた絵画作品は、本格的な宅地開発が行われる以前の風景Click!なので、描画場所の特定がきわめてむずかしい。描かれているモチーフは、田畑や耕地整理を待つ原っぱ(空き地)、農家、森林、ポツンポツンと建ちはじめた郊外住宅などで、現代につながる目標物がほとんど存在しないからだ。...
View Article第一文化村の梶野邸を拝見する。(下)
梶野邸を設計したのは、目白文化村Click!でも事例が多い住民自身、すなわち末高邸Click!と同様に梶野龍三自身だが、そのコンセプトは明快だ。1926年(大正15)に実業之日本社から発行された「婦人世界」5月号より、つづけて引用してみよう。 ▼...
View Articleラムネ玉宝珠の「池袋の神様」岸本可賀美。
中村彝Click!へ結核治癒の祈祷を行なった、「至誠殿」の「巣鴨の神様」こと山田つるClick!と混同されたのが、詐欺で収監・起訴された「天然教」の「池袋の神様」こと岸本可賀美だ。山田つるは、オオクニヌシ(大黒天)の神託を伝え、おもに病気を治す「神通力」を発揮する巫女すなわち女性なのに対し、名前からしてまぎらわしいのだが岸本可賀美は「千里眼」を駆使する占い師であり男だった。...
View Article「塔ノ部屋」から矢田津世子への手紙。
1936年(昭和11)3月1日、東京では4日前に降った大雪があちこちの日陰に残っていた。前日の2月29日(同年はうるう年)までつづいた陸軍皇道派Click!のクーデター、いわゆる二二六事件Click!はあらかた終息していたが、東京の街角にはあわただし気な落ち着かない暗い空気が、そのまま居座ったように残っていた。この日、本郷の菊富士ホテルClick!に男がひとり転居してきている。坂口安吾だ。...
View Article第1次滞仏作品をつぶした『下落合風景』。
これまで、佐伯祐三Click!の『下落合風景』シリーズClick!に関連し、そのの出来が気に入らず上から別の画面で塗りつぶし、改めて描かれたとみられる『わしのアトリエ(仮)』Click!と『小学生(仮)』Click!の2作品をご紹介してきた。だが、下層の絵が塗りつぶされて描かれた『下落合風景』作品はほかにもある。...
View Article下落合を描いた画家たち・片多徳郎。
片多徳郎Click!が、名古屋の寺院で自裁する少し前に描いた、絶作『風景』(1934年)という作品が残されている。通常のキャンバスではなく、板に描かれ木目が浮き出ているから薄塗りで、かつ23.5×33.0cmの小品だ。収蔵先の大分県立美術館によれば、「自宅近くを描いたもの」と規定されている。...
View Article国立の佐野善作邸を拝見する。
先日、BS-TVを観ていたら、目白文化村Click!に建っていたような西洋館が出てきたので、思わず録画してしまった。山田太一の脚本で、1983年(昭和58)に放送された『早春スケッチブック』(フジテレビ)というドラマだった。これもまた、下落合でロケClick!されたものかな?……と一瞬思ったのだが、同年はすでに下落合に住んでいたので、なにかのロケが行われていたとすれば耳に入ってもいいはずだった。...
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