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Channel: 落合学(落合道人 Ochiai-Dojin)
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第1次滞仏作品をつぶした『下落合風景』。

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洗濯物のある風景19260921.jpg
 これまで、佐伯祐三Click!『下落合風景』シリーズClick!に関連し、そのの出来が気に入らず上から別の画面で塗りつぶし、改めて描かれたとみられる『わしのアトリエ(仮)』Click!『小学生(仮)』Click!の2作品をご紹介してきた。だが、下層の絵が塗りつぶされて描かれた『下落合風景』作品はほかにもある。
 1926年(大正15)秋に記録された「制作メモ」Click!に残る、20号の『洗濯物のある風景』Click!は、下層に隠れた画面の存在が明らかだ。しかも同作のキャンバス裏には、第1次滞仏のときに制作した『煙突のある風景』Click!(20号)が描かれている。つまり、佐伯は第1次滞仏から持ち帰ったキャンバスの裏(表?)に、連作『下落合風景』のひとつ、中井御霊社Click!の下にあたる下落合4丁目2158~2159番地あたりの『洗濯物のある風景』を描いていることになる。
 換言すれば、『煙突のある風景』の裏面(ないしは表面)に描かれた、『洗濯物のある風景』の下層に眠る画面は第1次渡仏作品か、あるいは同作より以前に描かれた『下落合風景』などの可能性があるということだ。では、『洗濯物のある風景』の画面に残された痕跡から、それがどのような作品だったのかをたどって類推してみよう。
 同作の画面を観察すると、どんよりとした広い空の両側のスペースにまず違和感をおぼえる。明らかに、下層に描かれた画面の名残りが見てとれ、凸凹状に盛られた油絵の具の痕跡が見てとれる。画面の右側には、なにやら電柱のような柱状のものが描かれ、何本かのタテの線が走り、左側にはいくつかのタテヨコの線が交叉したフォルムを確認できる。左側上部の太い線は、なにやら神社の屋根で見かける堅魚木(かつおぎ)のような形状をしているが、それにしてはかたちが不揃いで一定していない。その下には、絵の具が厚塗りされた小さな円弧状のものがふたつ見え、その周囲にはタテに描かれた線が何本も上下に走っている。
 当初、隠れている下層の画面は『下落合風景』の1作で、『わしのアトリエ(仮)』や『小学生(仮)』と同様に、その出来が気に入らず佐伯が別の『下落合風景』を上から塗りつぶしてしまったのかと考えた。だが、『洗濯物のある風景』の画面から透けて見える下層の絵は、同キャンバスをタテにしてもヨコにしても、逆さまにしても当時の下落合の風景に思いあたる場所はない。しかも、同作が描かれたのは1926年(大正15)9月21日であり、それ以前に制作された『下落合風景』の作品点数を考慮すれば、下落合の風景ではない画面である可能性のほうが高そうだ。
 キャンバスをタテにし、左側の痕跡を下にすると、なんとなく鳥居のようなフォルムが見えるので、またしても曾宮一念アトリエClick!の前にある大六天Click!あたりを描いた、1926年(大正15)8月以前から描かれている諏訪谷シリーズClick!の1作かとも考えたが、それでは画面の上部に横たわることになってしまう、建物の梁のような形状の説明がつかない。また、キャンバスを横にし画面右側の柱状のものが電柱だとすれば、その途中に巻かれた看板のようなものの正体が不明だ。
 しかも、佐伯が電柱の表面をこのような質感で描いた作品は、ほかに1点も存在していない。絵の具の厚塗りで表現されているのは、木製の物体の表面ではなく、明らかに石かコンクリートによる構造物を連想させるものだ。また、右側の痕跡を電柱とすれば、左側に描かれているのはなんらかの建築物か樹木などになるはずだが、描かれた線の痕跡をいくらたどっても、それらのイメージは浮かんでこない。神社の堅魚木のようなかたちを、テラスにある藤棚の天井部分や、建築途上にある住宅の骨組みなどに見立てても、具体的な姿が想定できないのだ。
洗濯物のある風景19260921タテ.jpg
煙突のある風景1924頃.jpg
洗濯物のある風景上部A.jpg
洗濯物のある風景上部B.jpg
ピエール・デュメニル1925プレート.jpg
 そこで、一度『下落合風景』からいっさい離れ、佐伯祐三の画集や図録を片っ端からめくりながら、第1次滞仏作品群を参照してみることにした。すると、『洗濯物のある風景』の下層に描かれている絵の“部品”とみられるかたちが、いくつかの作品から次々と見つかった。それを説明するためには、同画面をタテにしなければならない。
 まず、上に描かれている建物の梁のような棒状のものは、パリのアパルトマンや商店などに多い、番地や商店名を刻むプレートを貼りつけた、建物ないしは商店の入口の上部だろう。その下にも、何本かの横線が確認できるが、石ないしはコンクリートでできた建物の入口に設置された、ドアの木枠部なのかもしれない。第1次滞仏作品で、それに似た表現は『ピエール・デュメニル』(1925年)をはじめ、『ブランジュリー』(同)、『パリの街角』(同)などでも見ることができる。
 画面の下部に見えているフォルムは、どうやらそのアパルトマンか商店の入口に向かってつづく、短い階段のように見える。階段の両側には、日本では“ささら板”と表現されるような、手すりよりもかなり低い石製かコンクリート製の側桁が設置されているようだ。この階段は、少なくとも4~5段はあり、その上にアパルトマンなど建物のドアか商店の入口が設置されているのだろう。このような短い階段つきの建物あるいは商店は、第1次滞仏時の『レ・ジュ・ド・ノエル』(1925年)をはじめ、『パリ風景(壁)』(同)、『村役場』(同)、『クラマールの教会』(同)などで目にすることができる。
洗濯物のある風景下部C.jpg
洗濯物のある風景下部D.jpg
レ・ジュ・ド・ノエル1925階段.jpg
 そして、その建物の入口に向かって階段を上っているのは、どうやら長めのスカートないしはコートを着た女性のようだ。絵の具を厚塗りしている、ふたつの円状の痕跡は、階段を踏みしめている女性が履くハイヒールのかかとのように見える。少し風があるのか、スカートないしはコートの裾が左側へなびいているようだ。このように空がまったく描かれず、建物へかなり近接した画面は第1次滞仏時の佐伯作品では少ないが、『靴屋(コルドヌリ)』(1925年)や『絵具屋(クルール・エ・ヴェルニ)』(同)、『ピエルー・デメニル』(同)など、商店の入口を描いたものが何点か残されている。
 パリの街角を歩く女性の表現はといえば、第1次滞仏作品では随所に見ることができる。たとえば、『リュ・デュ・シャトーの歩道』(1925年)をはじめ、『アントレ・ド・リュ・デュ・シャトー』(同)、『リュ・デュ・シャトー』(同)、『パリ雪景』(同)、『パリ15区街』(同)、『運送屋(カミオン)』(同)、『リュ・ブランシオン』(同)、『酒場(オ・カーヴ・ブルー)』(同)、『食料品店』(同)、『ガレージ』(同)などだが、その中には女性を真うしろから描いた作品も少なからず存在している。
 そのほか、『洗濯物のある風景』に描かれた空の中央にあたる部分や、下落合の西端に残された古い農家や手前の妙正寺川の土手に隠れ、下層に描かれたパリの街角とみられる風景は判然としない。なにか佐伯の眼を惹くような看板でもあり、それを薄塗りでスケッチしたために、ほとんど痕跡が残らなくなってしまったのだろうか。
洗濯物のある風景モノクロ.jpg
ガレージ1925頃女性.jpg
 佐伯が、せっかく持ち帰った第1次滞仏作品を塗りつぶし、なぜ『洗濯物のある風景』を描いたのかは不明だが、画面いっぱいにとらえた建物入口の構図が気に入らず、もう少しパースのきいた奥ゆきのある構図の作品を残したかったのだろうか? あるいは、1924年(大正13)から翌年にかけ、表現や手法が急激に変化しつづけていた時期なので、初期に描いた画面がどうしても気に入らなくなり、上から『洗濯物のある風景』で塗りつぶしてしまったものだろうか。

◆写真上:1926年(大正15)9月21日制作とみられる、佐伯祐三『洗濯物のある風景』。
◆写真中上は、『洗濯物のある風景』をタテにした構図(上)と裏面に描かれた1924年(大正13)ごろの佐伯祐三『煙突のある風景』(下)。は、『洗濯物のある風景』をタテにした上部に描かれた下層画面の痕跡。は、1925年(大正14)制作の佐伯祐三『ピエール・デュメニル』に描かれたドア上の「HOTEL」プレート。
◆写真中下は、画面下部に描かれた下層画の痕跡。は、1925年(大正14)制作の佐伯祐三『レ・ジュ・ド・ノエル』に描かれた建物入口への階段。
◆写真下は、『洗濯物のある風景』の下層に想定できる全体構図。は、1925年(大正14)制作の佐伯祐三『ガレージ』に描かれたうしろ姿の女性。

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