親父の小引き出しを整理していたら、戦前に売られていた懐かしい「キング切手印紙葉書入」が出てきた。1937年(昭和12)4月から、1942年(昭和17)3月までの間に売られていた製品だ。なぜ販売期間までわかるのかといえば、同ハガキ入れには郵便料金が記載されており、手紙が4銭でハガキが2銭の時代は、上記5年の期間しかなかったからだ。そして、わたしが懐かしいのはもちろん同時代に生きていたからではなく、わたしが物心つくころから大学生になり独立するまで、わが家では「キング切手印紙葉書入」がそのまま現役で使われていたからだった。
同ハガキ入れは、東京地方だけで売られたバージョンなのか、東京市内から地方各地あるいは「外地」への郵便料金や航空便料金が記載されている。他の都市で売られた製品は、その街を基準に料金一覧が掲載されていたのかもしれない。親父が日本橋の家から独立して大学予科へ入る際、実家から諏訪町Click!(現・高田馬場1丁目)の下宿先へ持ってきた品物のうちのひとつなのだろう。日本橋に置いてあったら、1945年(昭和20)3月10日の東京大空襲Click!で焼けているはずだが、親父の下宿先は同年4月13日と5月25日の二度にわたる山手空襲Click!に遭いながらも、かろうじて焼け残っている。
「キング切手印紙葉書入」の仕様は秀逸で、二つ折りの扉を開くと袋状になった奥の収納が官製ハガキや往復ハガキ入れ、手前に少しずつずらしながら重なるように折られているページが切手・印紙入れになっている。しかも、切手は値段別に入れられ、二つ折りの底部は横から切手が滑り落ちないよう両側が接着されている。しかも、底には丸いパンチ穴が連続して開けられており、必要な値段の切手の有無が、いちいち二つ折りを開かなくてもすぐに確認できる。また、二つ折りの切手・印紙入れの裏側ページは住所録になっていて、頻繁に郵便をやり取りする相手の忘備録となっている。
1937年(昭和12)の時点での郵便料金を見てみると、封筒の手紙が20gまで4銭(第一種郵便)。120gまでが4銭+3銭=7銭、以降120gごとに+3銭(第一種割増)となっている。また、ハガキは2銭、往復ハガキは4銭(第二種)で、手紙の半分の値段なのがいまと比べると割安感がある。新聞や雑誌を送る第三種郵便は60gまでが5銭、以降60gごとに+5銭増し。書籍や印刷物、写真、書画などを送る第四種郵便は120gまでが3銭、以降120gごとに+3銭が必要だ。
特異なのは、第五種郵便として農作物の種子が料金に設定されている点だろう。当時は、寒冷地適応など品種改良された農作物の種子を、国内や「外地」に販売する事業が多かったのだろう。特に、冷害で恒常的な凶作にみまわれた地域では、さまざまな農作物の種子を大量に必要としていた。また、満州や台湾、朝鮮半島などの植民地(開拓村)では、農地拡大のために多種多様な農作物の作付けが実験的に繰り返されていた。したがって、種子を安価に配送する特別な郵便制度が不可欠だったとみられる。農作物の種子は、120gまでが1銭と極端に安く設定され、以降120gごとに+1銭ずつ加算されていく。つまり、種子を1kg超送ったとしても、わずか10銭の配送料で済んだわけだ。
同ハガキ入れには、電報料金も記載されている。通常電報で東京市内同士は、15字までで15銭、以降5文字ごとに3銭増し。内地(国内)相互間で15字以内は30銭、以降5文字ごとに5銭増し。内地(国内)と台湾、朝鮮、樺太、小笠原諸島、沖縄諸島間は15字以内で40銭、以降5文字ごとに5銭増しとなっており、「ウナ電」(至急電)の場合は上記料金の2倍が請求された。また、面白いのは「ムニ電」(照校電報)というのが存在したことだ。これは、打電する文面を局員が反復して復唱校正(電文反復照合)するサービスで、ただそれだけで上記料金の2分の1増しが請求された。
たとえば、「アスエキニツク(明日駅に着く)」の電文で反復照合電報を依頼すると、その電文を受け付けたちょっと怪しい電報局員が、「♪あなたに捨てられてラ・メール~の“ア”、♪すずめ鳴け鳴けもう日は暮れた~の“ス”、♪江ノ島が見えてきたおれの家も近い~の“エ”、♪君を見つけたこの渚で~の“キ”、♪にしん来たかとカモメに問えば~の“ニ”、♪津軽海峡冬景色~の“ツ”、♪クジラのスーさんお空泳いできた~の“ク”……でまちがいないですね? きょうは、夏らしく海シリーズで反復唱合してみました」「…うるせ~よ!」と、1文字1文字を反復して確認してくれるのだ。
同ハガキ入れには、「郵便取扱時間」も掲載されているが、これは郵便局がその業務を行っている開業時間のことで、季節により時間帯が異なるのがめずらしい。切手・印紙入れの裏に記載された開業時間について、そのまま引用してみよう。
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電信 電話(一、二等局)
三月一日ヨリ 十月末日迄 午前六時ヨリ 午後八時迄
十一月一日ヨリ 二月末日迄 午前七時ヨリ 午後八時迄
三等局ハ一年間ヲ通ジテ 午前八時ヨリ 午後四時迄 但 時間外取扱ヒヲモナス
為替 貯金 保険
四月一日ヨリ 七月廿日迄 九月一日ヨリ 十月末日迄 午前八時ヨリ 午後三時迄
其他ノ時期ハ午前九時ヨリ 何レモ土曜ハ正午限 日曜休
小包 書留 其他
一二等局ハ平日午前八時ヨリ午後十時迄 日曜祭日午後三時迄
三等局ハ平日午前八時ヨリ午後六時迄 日曜 祭日ハ休
年末三日間ハ日曜祭日モ平日通リ事務取扱ヲナス
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今日の郵便局よりも、かなり長時間にわたって開業していた様子がわかる。
また、同ハガキ入れの奥付部分には、航空郵便のルートと料金が印刷されている。東京を起点にすると、航空郵便ルートは北へ東京-仙台-青森-札幌と、東京-富山-新潟の2ルート。西へは、東京-名古屋-大阪-福岡-京城-新義州-大連-奉天-新京-ハルピン-チチハル-満州里となっている。また、山陰へは大阪-鳥取-松江、四国へは大阪-高松-松山と分岐し、南へは福岡から分かれ福岡-沖縄-台北-台中-高尾までの航空郵便ルートが開拓されていた。
航空便料金はそれなりに高く、内地同士(中国関東州含む)の手紙だと20gまで基本料金+30銭、内地-満州間は基本料金+35銭、ハガキだと内地同士は基本料金+15銭、内地-満州間は基本料金+18銭となっている。基本料金とは、先述した通常料金のことで、通常の手紙だと国内航空便は34銭、満州まで送れば39銭、ハガキは国内航空便で17銭、満州までなら20銭ということになる。
「キング切手印紙葉書入」の製造元は、神田にあった名鑑堂だが、現在の同社は「キングジム」と表現したほうがピンとくる方も多いのではないだろうか。この記事を読んでいる方のお手もとにも、同社の製品が少なからずあるはずだ。「キングファイル」や「クリアファイル」をはじめ、「クリアバインダー」、ラベルライターの「テプラ」、テキストメモの「ポメラ」など、必ず一度はどこかで目にしているのではないだろうか。もともと神田の名鑑堂は、明治期あたりに起業した会社かと思っていたら、1927年(昭和2)創業と意外に新しい。おそらく、会社の創立後に初めて大ヒットした商品が、「キング切手印紙葉書入」だったのではないだろうか。
タイトルには「70年使われた」と書いたけれど、同ハガキ入れが出てきてから、再びわたしが切手やハガキを入れて使いはじめたので、80年以上つかわれている……ということになる。下部を閉じておく黒いゴム輪は失われたが、まだまだ現役でいけそうだ。
◆写真上:函圧しに金文字と、かなり凝ったつくりの「キング切手印紙葉書入」題字。
◆写真中上:上は、同ハガキ入れの全体像。下は、表紙をめくると各種郵便料金の記載とともに、「はがき入れ」と書いてあるところからハガキがタテに入れられる。
◆写真中下:上は、二つ折りの切手・印紙入れ。パンチ穴が開いており、切手の有無がすぐに確認できる。中は、1937年(昭和12)の郵便局取り扱い郵便物と開業時間。下は、1933年(昭和8)に撮影された落合地域の西隣りにあたる中野町郵便局。
◆写真下:上は、1929年(昭和4)に撮影された落合地域の北隣りにあたる椎名町郵便局。ちなみに、『中野町誌』と『長崎町誌』には郵便局の写真が掲載されているが、『落合町誌』と『高田町史』には未掲載だ。下は、航空郵便のルートと料金表。