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「東京詩学協会」=外山卯三郎の仕事。

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 先日、ネットオークションに下落合1146番地の「東京詩学協会」が1927年(昭和2)6月に出版した、『詩集・ジアニインの歌章』(外山卯三郎・訳)の特製限定50部版が出ていて、めずらしいので入手した。(安価だった) 「東京詩学協会」Click!とは、もちろん外山卯三郎の自宅Click!のことだ。佐々木久二邸Click!の東隣り、現在ではフジオ・プロClick!がある一帯の敷地だ。
 『詩集・ジアニインの歌章』は、特製限定版が50部、限定版が300部、そしてほかにも普及版があったと思われるが、特製限定版50部は当時の定価で5円ととても高かった。装丁にもたいへん凝っていて、布張りに観音開き仕様の豪華な函に入っており、扉を閉じているのは象牙製あるいは鹿角製と思われるクサビ状の綴じ具。詩集の本体は和綴じ本で、劣化や変色がしにくい厚手の用紙に、印刷品質も当時の上質な活字が用いられている。
 原書に挿入されていた挿し絵13点は写真製版で印刷され、表紙の真っ赤なラメ入りの和紙には、ギリシャ神話のハーピーのような“鳥女”を描いた版画が、1枚1枚手作業で貼付されている。版画には、「u.t/1927」のサインが入っているので、おそらく外山卯三郎自身が制作して50冊全部に貼っているのだろう。1927年(昭和2)の当時、外山卯三郎は1930年協会Click!とともに活動していた時期であり、事実上、同協会のスポークスマン的な役割りをはたしていた。
 当時の外山卯三郎は、笠原吉太郎アトリエClick!へ西洋画を習いに通っていた、ひふみ夫人Click!と結婚する2年ほど前であり、大学を出たばかりのころだろう。結婚と同時に、里見勝蔵Click!とともに井荻の西武住宅地Click!へ新居を建て下落合の実家を出ているので、その時点で東京詩学協会もまた、下落合から井荻へ移転しているものと思われる。本の内扉の次に、「此の拙なき訳詩集を/南江二郎氏に捧ぐ」という献辞ページが挿入されているが、南江二郎は詩や文学、演劇などの和訳を手がけていた同時代の翻訳家で、外山もいろいろと和訳上のアドバイスを受けていたと思われる。おそらく、外山の大学の先輩にあたる人物でもあるのだろう。
 『詩集・ジアニインの歌章』は、Jeanne Alain(ジャンヌ・アラン)というパリ在住の女性が1924年(大正13)に書いたものだが、この“詩人”については外山自身もどのような女性なのかまったく知らず、また現在でもフランスの詩人にジャンヌ・アランという女性は見あたらない。外山は、同詩集の原書を読んで感動し、急に翻訳を思い立ったようだ。出版からわずか1年余で、フランスの新刊詩集が日本へ輸入されている点に留意したい。外山の序文を、短いので全文引用してみよう。
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 「ジアニインの歌章」は如何に私の心をひいたことでせう! 私は限りなくこの詩を愛するのです。此の私のこゝろが拙ない訳をさせてしまつたのです。然し私はどうしても此の詩を忘れることが出来ないのです。それは失へる恋ひ人のまぼろしの様です。/「ジアニインの歌章」は如何に私の心をひいたことでせう! 私は心からこの詩が好きなのです。私はジアンヌ・アーランを知らないのです。然し私はパリイのソシエテ・ミユチユエユ・デデイシヨンから出た此の詩集を愛するのです。此の美しい詩が、限りなく私を魅するのです。それは恰かも彼女の唇の様です。/Lado Goudiachviliの挿絵の如何に鋭いことでせう! ピアズリイの絵の白銀の様に冷たいのに反して、ラドウの絵のいかに悩ましく又感覚的な鋭敏さをもつことでせう! ジアンヌは文字によつてそのこゝろを歌ひ、ラドウは線によつて其の心を描うとするのです。私はジアンヌの詩を愛すると同じく、又ラドウの線を愛するのです。/私は唯だ一九二四年の十二月二十日にうすらさむいパリイのかたすみのルウ・サンーモオル街百十番地の「アンデパンダン」で印刷された、此の不思議な詩集を愛し、今東京のかたすみからほがらかな太陽を慕ひつゝ此の訳詩集を人々の前に送るのです。
       一九二七年六月一日     下落合にて   外山卯三郎識す
  
 詩集の内容はといえば、上流階級のサロンへ出入りしていたと思われる著者のジャンヌ・アラン(筆名?)という女性が、自分から離れていこうとする恋人との想い出や、その恋い焦がれる気持ちを感情的かつ刹那的なワードを散りばめて綴った、まるで砂糖菓子のような甘ったるい恋愛詩で、わたしなどは「なんだかな~…」の感想しか持てない作品なのだが、これを読んで感動した外山卯三郎は、まさにひふみ夫人との恋愛の真っただ中にいたのかもしれない。おそらく外山が後年、この序文を読みなおす機会があったとすれば、ひそかに赤面していたのかもしれない。
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「ロシュテファン王とアワタンディの狩猟」不詳.jpg
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 ジャンヌ・アランは相当なおカネ持ちだったらしく、パリ郊外の別荘へ出かけたり、自由に遠出や旅行ができたりする女性のようで、ひょっとすると既婚で子どもさえいたのかもしれない。サロンの華だった時代が忘れられず、当時の取り巻きのひとりだった若いツバメが忘れられず、追いかけつづけた有閑マダムの恋愛詩集…という匂いさえ、そこはかとなく感じとれる。外山が手にした原書は、ひょっとすると彼女自身が制作費と印刷費を全部負担し、自費出版したものなのかもしれない。自分から離れていく男にも、1冊贈っていたりするのだろうか?
 同詩集に挿画を提供しているLado Goudiachvili(ラドー・ゴウディアチビリー)は、1920年代にパリのモンマルトルやモンパルナスあたりに在住したロシア人画家で、いわゆるエコール・ド・パリの一員だった。歴史的な逸話や情景を描くのが得意だったらしく、また本の挿画も数多く手がけており、現在でも世界じゅうのギャラリーで作品を観ることができる。『詩集・ジアニインの歌章』のジァンヌ・アランと知りあったのも、おそらくパリのサロンでなのだろう。この裕福な女性詩人は、ひょっとするとエコール・ド・パリにいた若い画家たちの庇護者のひとりだったのかもしれず、当時ほかにも詩集を出版していて、挿画を若い画家たちに担当させていたのかもしれない。
 外山卯三郎が訳した、特製限定50部の装丁は非常に豪華なものだが、パリで出版された原書の装丁もまた、とても凝った意匠をしていたのではないだろうか? ひょっとすると、このジャンヌ・アランの詩集は当時のパリ社交界で評判となり、本書をめぐりさまざまなエピソードやゴシップを残しているのかもしれない。だからこそ、流行詩集ということで日本に輸入された可能性が高い。
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「カフェ・モンパルナス」1925.jpg
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 入手した特製限定50部『詩集・ジアニインの歌章』の表2対向ページに、大きくて立派な蔵書印が押されている。古代中国の、いまだ漢字へと進化していない象形文字を2文字あしらったようなデザインなのだが、右側に象形文字で「〇山」、左側に篆書体で「蔵書」と刻まれている。古代芸術にも造詣が深かった外山卯三郎なのだが、もし「〇山」が「中山」ではなく、「外山」を表わす象形文字だったとすれば、わたしは外山卯三郎が保存していた蔵書を手に入れてしまったことになる。「中(内)」の反対は「外」なので、「外」の象形が気に入らなかった外山が、「中」の文字から「外」側へとなびく“フラグ”のような形象をデザインして、「外山」と読ませているのかもしれない。

◆写真上:下落合1146番地の東京詩学協会=外山卯三郎が1927年(昭和2)に翻訳して出版した、凝った装丁のジャンヌ・アラン『詩集・ジアニインの歌章』(特製限定50部版)の外函。
◆写真中上は、同書の表紙()と奥付()。は、中面見開きページ。表紙の版画には「u.t./1927」のサインがみえるので、おそらく外山卯三郎自身の作品だろう。
◆写真中下は、ラドー・ゴウディアチビリーによる『詩集・ジアニインの歌章』の挿画13点のうちの2点。下左は、ラドー・ゴウディアチビリー『ロシュテファン王とアワタンディの狩猟』(制作年不詳)。下右は、1923年(大正12)に描かれたラドー・ゴウディアチビリー『Brouiquel風景』。
◆写真下上左は、1925年(大正14)制作のラドー・ゴウディアチビリー『カフェ・モンパルナス』。上右は、制作年およびタイトル不詳の挿画らしいラドー・ゴウディアチビリー作品。下左は、1925年(大正14)に撮影されたラドー・ゴウディアチビリー(左端)。下右は、表2対向ページの蔵書印。


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