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貯金が増えてうれしい「お化け大明神」。

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台所引き窓.JPG

 前回は、下落合の南西部に電気をとどけていた東京電燈谷村線Click!を伝って聞こえてきた「八丁峠の女」怪談Click!をご紹介したが、今回は同じ山梨県の広里村(現・大月市)に設置された駒橋水力発電所から、駒橋線の終点である牛込の早稲田変電所界隈で、明治末から大正初期にかけて囁かれていた怪談をご紹介したい。ちなみに、この怪異譚が駒橋線沿いを伝って、大月あたりまで伝わっていたかどうかはさだかではない。
 牛込区(現・新宿区の一部)は、江戸期からつづく古い住宅が明治期まで数多く残っていた地域のせいか、以前にも岡倉天心Click!「凶宅」怪談Click!をご紹介しているが、今回の礒萍水Click!(いそひょうすい)が1900年(明治33)ごろから蒐集しはじめた怪談も、そんな怪(あやかし)が頻繁に起きる家だった。だが、住民はその怪異をまったく気にせず、幽霊を怖がるよりも高額な家賃のほうがよほど怖ろしかったらしく、いわくのある家=「事故物件」にもかかわらず平気で暮らしている。
 礒萍水の友人のうち、4人までが怪異のある借家で暮らしていたが、そのうちのふたりが幽霊のいるおかげで家賃が安くて済み、貯金がたまる「お化け大明神」をありがたく崇めて住みつづけている。そのうちのひとりは、早稲田変電所から配線される電気で暮らす牛込の住宅だった。この怪談が採取されたのは、大正初期のころだったと思われる。8間(約14.5m)の間口というから、それなりに大きめな屋敷が舞台だったようだ。市電に乗れば、すぐにも東京市の中心部や鉄道駅に出られるため便利な立地だったのだろう。
 この家の家賃は、月額7円50銭ときわめて安価だった。ちなみに、1918年(大正7)現在における1円の価値は給与額から換算すると、おおよそ現在の6,000円弱だ。つまり、大きめな一戸建ての屋敷が月々約45,000円で借りられたことになる。いくら借家の家賃が安い当時とはいえ、おそらく相場の半額かそれ以下ではなかったろうか。事前に、周旋屋(不動産屋)からの怪異情報はなく、近所の評判やウワサをあらかじめ取材せず、友人は家の大きさと立地、そして家賃の安さで即決したようだ。
 その家には、自殺した老人の幽霊がときどき出没していた。その友人に子どもはなく、妻と老母、および祖母の5人で住んでいたようだ。1919年(大正8)に井上盛進堂から出版された礒萍水『怪談新百物語』に収録の、「引き窓」から引用してみよう。
  
 その家は八間あつて、僅かに一ヶ月七円五十銭、これだから少々出る位は当然だて(ママ)、十年程前に、この家でお爺さんが首を縊つて死んだのださうで、時折、暗がりの廊下、老爺さんが死んだと云ふ處へ、老人の顔が見ゑるばかり、別に活動しないから恐くはない、むしろ自家の祖母の方が恐いのさ、と平気なもの、(カッコ内引用者註)
  
 これでは、せっかく驚かそうと化けて出ているのに、幽霊の「お爺さん」は生き甲斐(?)もなにもあったものではない。むしろ、「お爺さん」にしてみれば幽霊を見てもなんとも思わず、一家で「ここは家賃が安くて、貯金が増えるから助かるね」などといってニコニコしている住民のほうが、よほど不気味で怖かったのではないだろうか。
 もうひとりの友人は、日本橋の銀行に月給40円で勤めているサラリーマン家庭で、妻と父母、それに女中がひとりの計5人で住んでいる家だった。月々の家賃が6円(36,000円)とべろぼうに安く、毎月10円ずつの貯金ができたという。
 この家の怪異は、上記の「お爺さん」や「八丁峠の女」のように、幽霊が直接住民たちの前に姿を現すのではなく、家の中で異変を繰り返すことで自身の存在をアピールするという、どこか岡倉家の「凶宅」に通じるやや遠慮がちで控えめな幽霊を想起させる。最初の異変は、転居してきた次の朝からはじまった。
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早稲田発電所(大正期).jpg

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高圧送電線(明治末).jpg

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早稲田変電所1918.jpg

 女中が早起きして台所へ出てみると、そこの引き窓が開いたままだった。女中は、自分が窓を閉め忘れたのだろうと思い、その夜はきちんと戸締りを確認して寝たのだが、次の朝起きて見ると再び開けっぱなしになっていた。この引き窓は閉めたあと、鍵の代わりに綱(ロープ)を結んで戸締りする旧式のものだったので、自然に綱がほどけて窓が開くことなどありえなかった。また、窓が開いているときは、その綱をくくりつける横木も付属しており、綱を見るとていねいに横木へ巻きつけられている。
 その様子を、礒萍水の「引き窓」からつづけて引用してみよう。
  
 するとその次ぎの朝は、またもや開いて居たのを、運悪るく御隠居に見つかつて、不用心だよ、とのお小言頂戴、下女はたしかに閉めて置いたのだが、開いて居て見れば仕方がない、不平ながら罪に伏して仕舞つた、当人頗る不思議で堪らない。/その次ぎの朝も、そのまた次ぎの朝も、何時も御隠居に見つかつては、お小言頂戴、下女は自分で自分が解らなくなつた、斯くの如き事が一週間続いた、御隠居は飽く迄も下女の不注意で、閉めないものと信じて動かぬ、で、お前は不可(いけ)ないから、こゝだけは妾(わたし)が閉めやうと云ふ事になつて、閉めて、さて夜が明けた、/またしても開いて居る、遉(さす)がの御隠居もこれには驚いた、たしかに昨夕は閉めて置いたのに、(カッコ内引用者註)
  
 御隠居は、このあたりはいまだ人家もまばらなので泥棒の仕業だと判断し、引き窓の綱を解けないよう固く結んで、その晩は眠らずに家内の物音に耳をそばだてていた。だが、怪しい物音はまったくしなかったので、これなら窓も開いていないだろうと起きだし、台所に出てみて驚愕とした。引き窓は、いつもどおりに開け放たれていたのだ。
 こうして、御隠居は不思議な出来事の連続に、女中とともに首をかしげるばかりになった。いまならカギを変えてみるとか、窓ごと取り替えてみるとか、いろいろな方策が考えられるが、借家なので勝手にいじるわけにもいかず、またカギも今日のように多種多様なバリエーションのある時代ではなかった。
 この怪異は、次々に家族を巻きこんでいく。つづけて引用してみよう。
  
 そんな事があるものかと、老爺公、若大将、前後して試験したが、これも同じ結果に不思議を叫んだ、けれども若い方は未だ信じきらない、一夜その窓の下で見張つて居た。/すると夜の一時とも覚しき頃、屋根の上には些の音なくして、そろそろと窓は明いた(ママ)、/そして解けた綱は、何者かゞ結び付けるかの如く、旧のまゝに(横木へ)結び付けた。(中略) 雨でも、風でも、欠さず開ける、四年の前から今に至るまで。(カッコ内引用者註)
  
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早稲田変電所跡.JPG

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早稲田変電所付近.JPG

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戸塚球場(明治期).jpg

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早稲田通り(大正期).jpg

 家族一同は、その怪異を不思議がったが、「この家はおかしいし怖いから引っ越そう」とはならなかった。逆に、月々10円の貯金ができるありがたい「お化け大明神」のいる家として、一家はそこに住みつづけ、ほどなく地主と交渉して家を安価に譲ってもらっている。地主のほうも、もとから怪異のあることを知っていたため安い家賃を設定していたらしく、驚くほどの安値でいわくつきの家を手放したようだ。ただし、その「いわく」がなんだったのかは、地主が口を閉ざしたままでわからなかったようなのだが……。
 最近は、不動産屋からの告知で「事故物件」と知りつつ、家賃の安さにつられてアパートやマンションを借りる人が増えているらしい。確かに、家賃が市価の半額か3分の1だったら、幽霊が出ようが出まいが借りたくなるのだろう。たいがいのことは気のせいで済ませられる人には、逆に「事故物件」はありがたい存在なのかもしれない。
 知り合いのデザイナーの会社に、そんな「事故物件」のひとつに住んでいる独身の男がいた。それほど古くはないアパートらしいが、家賃がかなり安いかわりに、ほとんど毎晩のように“出る”のだという。それでも彼は、そこを引き払おうとは考えないらしい。なぜなら、真夜中にフッと壁から現れてキッチンに立ち、後ろ姿でなにか料理を作るような仕草をする幽霊が、彼好みの若くてロングヘアの美しい女性だからだそうだ。
 その後、彼がどうなったのかは知らないけれど、結婚をしていないとすれば同じアパートに住みつづけているのではないだろうか。人間の女子には目もくれず、幽霊の女に恋をしてもしょうがないのに……と思うのだけれど、そんなきれいな女子が毎晩訪ねてくるのなら、まあしょうがないかとも思えてくる。
 なによりも、幽霊の女子はもの静かだし、文句やグチもいわないし、来月から小遣いを削ったりもしないし、「どっか連れてって」などと面倒なこともいわないし、ときどき目を合わせてニコッとかしてくれるだけで、1日の疲れがゾッとすっかり取れそうな気もする。いまの「お独りさま」男子には、願ってもないピッタリなパートナーなのかもしれない。
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百物語幽霊.jpg

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百物語挿画.jpg

 でも、考えてみれば江戸東京はここ400年間で、明暦の大火(振袖火事)Click!から大震災、戦争による空襲や戦後の飢餓状態による膨大な餓死者まで、それこそ60万人ではきかないほどの莫大な死者(それも自ら望まず不本意な死者)が足もとに眠る世界最大の「事故都市」だ。そんな土地柄の街に住みながら、「いわく付き物件」とか「事故物件」「心霊物件」をことさら気にするのは、むしろ滑稽にさえ思えるのはわたしだけではないだろう。

◆写真上:大正期に移築された、下落合のお屋敷(和館)にみる水場の引き窓。
◆写真中上は、大正期に小石川区(現・文京区の一部)にある関口芭蕉庵Click!前の、やや東寄りの路上から撮影された旧・神田上水沿いに建つレンガ造りの東京電燈早稲田変電所。は、明治末に撮影の高圧線を架線した木製の送電塔。は、1918年(大正7)作成の1/10,000地形図にみる早稲田変電所と上掲写真の撮影ポイント。
◆写真中下は、早稲田変電所跡のあたりから神田川をはさみ細川邸Click!(現・肥後細川庭園)を眺めた現状(上)と付近の風情(下)。は、早稲田変電所の近くにあった明治期撮影の戸塚球場Click!(のち安部球場)。遠景に見えているのが目白崖線のグリーンベルトで、球場で行われているのは当時の早慶戦。は、大正末ごろに撮影された早稲田通り。
◆写真下:礒萍水『怪談新百物語』に挿入された、女の幽霊画()とイラスト()。
おまけ
近くの公園の脇で、若いアオダイショウが死んでいた。外観から交通事故ではなさそうなので、おそらく野生のネコに頭蓋骨を一瞬のうちに噛み砕かれて死んだのではないだろうか。人間の前では大人しくゴロニャーンですましているネコたちだが、非常に獰猛かつ凶暴な肉食獣であることに変わりはなく、特に爬虫類を前にすると攻撃力をマックスにする。わたしも、ときどきうちのオトメヤマネコClick!相手にふざけては出血している。
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アオダイショウ.jpg

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