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Channel: 落合学(落合道人 Ochiai-Dojin)
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田中比左良の中央美術「漫画講座」。

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田中比左良エプロンねえちゃん.jpg
 長崎村字新井1832番地(のち豊島区長崎町1832番地=現・目白5丁目)にあった中央美術社Click!が、1929年(昭和4)に出版した田中比左良Click!『女性美建立』の中に、当時としてはめずらしい誌上「漫画講座」が掲載されている。当時は画家などと同様に、有名な(自分の好きな)漫画家に弟子入りして技術を習得し、師匠に掲載メディアを紹介してもうのが普通だったので、「漫画講座」を受講してプロをめざすコースはまれだった。
 例外は、1929年(昭和4)に同じく長崎町大和田1983番地(現・南長崎2丁目)に移転してきた、造形美術研究所Click!(翌年からプロレタリア美術研究所Click!に改称)に開講されていた、岩松惇(八島太郎)Click!が講師をつとめている「漫画講座」Click!だろう。おそらく、学校の教壇で実技をともないながら教える漫画の教室は、同講座が日本初ではないだろうか。だが、この講座は漫画家のプロをめざすというよりも、美術の心得のある学生が体制批判や反戦の漫画を、いかにうまく効果的に描くかがカリキュラムの中心だったと思われ、プロの専門漫画家が輩出したかどうかは不明だ。
 さて、田中比左良は漫画を描くにあたって、「漫画心の性根」から解説しはじめている。技術よりも心がまえが大切だとしているが、その部分を同書に掲載されている『漫談式漫画講座/若い女性の見方かき方』から引用してみよう。
  
 この講座では、――描かうとする対照(ママ)の全面を徹頭徹尾、漫画的に豊かな愛撫の心で抱擁し、漫画的に豊かな愛玩の心で深く観察味到する――これを性根と致しませう。/講者(比左良)が女性を漫画化する場合は重(ママ)にこの性根で行つて居ります。(中略) 銀座あたりを闊歩するモダンガールのアクどい顔の彩色や身に付かぬ洋装等を、直覚『いやだなあ』と唾棄して顧ない心は甚だ浅く軽はづみな心です。これを愛撫の心でしみじみと眺めてゐると言ひ知れぬ面白味を感じて来る。まして絵心でこれを愛撫すると或種の美感さへ感得することが出来るのです。事実、銀ブラからモガモボをマイナスしたら何んな人でも一寸物足りなさを感じるでありませう。非難されながらもモガモボが人の世を豊かにしてゐることは事実であります。(カッコ内引用者註)
  
 この文章が書かれたのは昭和初期だが、時代がおよそ100年もたつと「美意識」はもちろん、人間の体型までが大きく変わってしまうことに改めて気づかされる。著者は、銀座を歩くモガたち若い女性について「身に付かぬ洋装」と書いているが、いまでは多くの若い女性たちが、「身に付かぬ和装」状態になってしまっている。
 手足が長くのび、身長が170cm近くの子もめずらしくない、いまの若い女性が和装をしても、帯下があまりに長すぎて(足が長すぎて)さまにならない……というか上半身との釣り合いがとれないし、骨が太く大きくなり筋肉も発達した首まわりでは、着物にしろ浴衣にしろ「肩が怒(いか)っちゃってるよ~」状態になってしまい、とても着物ならではの「撫で肩」の優美さなど、どれほど着付けがうまい着物の先生に依頼しても無理だろう。胸が前へ張りだしてウェストが細くくびれ、柳腰ではなくお尻が大きい、つまり寸胴型ではなくグラマラスな現代女性の体型も着物の“大敵”だ。
 それほどモガの時代から1世紀、特に戦後の若い女性の姿かたちは大きくさま変わりしてしまったのだ。しかも、体型はいまだに年々“成長”をつづけている。そのせいか、もはや着物姿が別に似合わなくても、身長が高く怒り肩で足が長い、すなわち洋装がよく似合う女性を「美しい」と感じるようになってしまった。それだけ美意識自体も変化してきていることを、あらかじめ前提にして「受講」しないと、田中比左良の「講義」がおかしなものに聞こえてしまう。
①着物.jpg ②着物.jpg
③着物.jpg ④着物.jpg
 では、いかに漫画を描いていくのか、講義の一部を引用してみよう。
  
 この写真をモデルにします。若い女性の胴体であります。
 生真面目に写生しますと……こうなります。だが之では面白くない、味もそつけもありません。そこで漫画心でこのモデルを愛撫すると……(後略)
 之を漫画的に誇張しますと、つひにこんな漫画が出来上がるのです。これは同じ誇張でも無闇な誇張で無く、モデルが包蔵するだけの美を表現するに必然な範囲一ぱいギリギリ決着の誇張でありまして……(後略)
 こんなになつたらもういけません、よく斯ういふ漫画家を世上に散見しますが、これはこのモデルに遺恨があるか若い女性一般の豊麗な尻が癇癪の蟲に触る輩……(後略)
  
 わたしはむしろが、現代女性の着物姿を揶揄し、風刺しているように見えて漫画的に面白いと感じてしまうが、当時はそうではなかったのだ。著者は、「前()の漫画心を採る方が第一描いてゐて楽しいじやありませんか」と結んでいるが、現代から見るとのほうが漫画心も風刺心も上のように見えてしまい、ニヤニヤ楽しみながら描けそうな気がする。
 田中比左良は女性の脚、特にふくらはぎの膨らみに女性美を感じていたようで、いわゆる太い「大根足」には目がなかったようだ。つづけて、彼の講義を聞いてみよう。
  
 モデルを誇張の無い輪郭だけの写生で行くとこんな格恰とします。
 これを漫画愛の心で描くとこうなります。特に脛の面白さを含味(ママ)して下さい。ユーモア味と美し味とが合唱してゐやしませんか。
 一見キタナそうに描けてゝもそれは面白く美しいのです。こうした漫画化は玄怪美(グロテスク)と言つて技術と鑑識とが進まないとなかなか能はない、初学からこんな渋味に赴くことは物象を純粋に愛撫する心の素養行進上キケンですから……(後略)
 こんな風に誇張したらもうペケです。これは親切な観照の無い無闇な漫画化です。
  
 わたしとしては、⑦⑧あたりが面白いと感じるけれど、「初学」なのでさっそく先生から「ペケ」をもらいそうだ。洋画の世界に当てはめると、が帝展、⑥⑦が二科展、⑦⑧が1930年協会展か独立美術協会展の画家たちに見かけそうなスケッチだろうか。
 それにしても、「大根足」の女性に大根を持たせるのはかわいそうのように思えるが、田中比左良は細っそりした脚を好まず、太くてふくらはぎが大根のような脚が特に好みで、ことさら惹かれて美しいと感じているようなのだから、別に「漫画的」な悪意があるわけではないのだろう。いまの若い女性は細くて長い脚が多くなり、いわゆる「大根足」は練馬大根のように希少になりつつあるので、彼にとっては嘆かわしい世の中にちがいない。
⑤大根.jpg ⑥大根.jpg
⑦大根.jpg ⑧大根.jpg
田中比左良ちゃん茶目小僧.jpg
 次に、当時のモダンダンサー(昭和初期に大流行した舞台で踊るレビューのダンサー)をモデルに、漫画化するときの手順について聴講してみよう。
  
 (レビューの舞台は)頭脳を空にポカンと見てゐて面白いから結構だ。
 漫画的に穏健な愛撫の心で描くとこんな風な漫画が出来上ります。
 これは線の軽快味を出したもので、ダンス等の軽快な感じのものを描くにはこんなペンの使ひ方も面白いでせう。
 物象の性格だけを直截に描出すべく、こんな漫画化を採るのも面白い。
 玄怪美(グロテスク)で、悪魔的な審美的な審美眼で描きちぎつた愉快な漫画化です。
 これは日本画の毛筆で描いたもの、岡本一平氏や池辺均氏等が始めてから漫画界を風靡している。これも素描の土台が十分でなければならぬ。
  
 講師が最後に触れているように、これらの講義に共通するのは「素描の土台」、つまりデッサンの技術が基本中の基本であり、「素描の素養も幾分有り稍(やや)画技の進んだ人」が漫画化を試みると、より面白い作品が描けるとしている。
 この課題は別に「漫画講座」に限らず、当時の画家なら必ず押さえておかなければならない、3Dを2Dに落とす際に必須な基本技術だったわけで、和洋を問わず画家と漫画家が未分化な時代だったのが透けて見える。しかも、どこまでが「漫画化」としてとらえられ、どこからが過剰なデフォルマシオンで「ペケ」なのか、その境界も主観的にせよ曖昧だったことにも留意したい。
 また、1929年(昭和4)の時点では、目白文化村Click!村山知義Click!マヴォClick!出身だった高見沢仲太郎(ペンネーム田河水泡)Click!は転居してきておらず、イヌの「黒吉」が出征していくなどという奇妙奇天烈な漫画「のらくろ」は、いまだ登場していない。
⑨ダンサー.jpg ⑩ダンサー.jpg
⑪ダンサー.jpg ⑫ダンサー.jpg
⑬ダンサー.jpg ⑭ダンサー.jpg
 周囲を見まわしてみると、下落合ではすぐに佐伯祐三Click!マンガClick!曾宮一念Click!似顔絵マンガClick!が浮かぶが、岸田劉生Click!も盛んに「麗子」Click!「雲虎(うんこ)」Click!「妖怪」Click!漫画を、ときに新聞や雑誌などへ描いていたのに改めて気づくのだ。

◆写真上:カフェの「エプロンねえちゃん」を踊る、ちょっと危ない漫画家・田中比左良。
◆写真中上:若い女性の着物姿を、田中比左良流に漫画化していく過程。
◆写真中下は、同様に大好きらしい「大根足」の女性を漫画化していくプロセス。は、「ちゃん茶目小僧」を踊るやっぱりかなり危ない漫画家・田中比左良。
◆写真下:レビューのダンサーをモデルに、漫画化していくプロセス。「漫画化」とデフォルメの境界が曖昧で、昭和初期の洋画界から見ると「保守的」に見えるだろうか。

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