高校生も終わりに近づくころ、家では絵ばかり描いて本を読み漁っていたわたしは、まがりなりにも大学の受験勉強をしなければならなくなった。時間を好きなように使えなくなる受験勉強は、苦痛以外のなにものでもなかったが、学校へ通うのはそれほどキライでもなく、授業は退屈だったが友だちに会えるのは楽しかった。
当時、わたしのクラスは女子が32人に男子が16人と、文系進学クラスでもとりわけ女子が圧倒的に多い構成だったので、たいがい以前の学年で同じクラスだった友だち(もちろん男子)もいっしょに誘っては、下校のときなど寄り道をして遊んでいた。女子が多く集まると、あまり男子の目が気にならなくなるのか、まるで女子高のような「やりたい放題」状態で、他のクラスの生徒からは「いいな~!」などとうらやましがられたが、そのたびに現場の実態をあまりにも知らなさすぎると感じていた。
男女がフィフティフィフティで、双方が拮抗している状態だからこそ緊張感も持続し、うまくバランスがとれるわけで、女子が男子の2倍もいるクラスだとあらゆる面でアンバランスの“弊害”が生じてくる。夏など、男子などそこにいないかのように平然と着替えたり(うっかり目を向けたりすると、女子更衣室をのぞいた痴漢のようにののしられる)、わたしではないが好きな女子のいるグループから、その弱みにつけこまれ黒板写し係や宿題係を命じられる、まるでパシリのような情けない男子もいた。
10代後半の男子が抱く、異性に対する“夢”や“妄想”や“期待”を打(ぶ)ち壊すには、大勢の女子の中に少数の男子を放りこんでおけば、数ヶ月もたたないうちにウンザリした気分になってくるだろう。そのうち面倒なので、女子がニコッとしながら、あるいはなぜか鋭い目つきをしながらなにをいおうが、「はい、わかった~」「はいはい、いいよ~」としかいわなくなるにちがいない。このあたり、3人姉妹の中でたったひとり育った男子を想像してみれば、あながちピント外れでもないだろう。
さて、大学受験が近づくにつれ、クラスには少しずつ緊張感が生まれてきたのだが、わたしは相変わらず絵を描いて好きな本を読んでばかりいた。教師たちも、「この部分の問題がよく入試には出題されるので、マークしておくように」などと、受験がらみの授業が多くなっていたせいかムダ話をまったくしなくなり、よけいに面白くなくなっていた。当時は共通一次試験も共通テストも存在せず、大学入試はその場かぎりの一発勝負で、そのチャンスを逃すと(落ちると)希望する大学へは進学できなかった。どうしてもその学校に入りたければ、浪人するのがあたりまえの時代だった。
受験勉強などしたくないわたしは、できるだけ勉強机の前に座りたくなく、また参考書の問題をあくせく解くこともせず、居間で家族といっしょにTVを視ながら、いつまでもグズグズしていたのを憶えている。特に日曜日ともなると、また明日から受験色が日に日に濃くなる学校へいかなければならず、現実逃避をはかるために日曜洋画劇場で映画を11時まで観ていた。でも、解説の淀川長治Click!が「まあ、次回もまたヒッチコックのこわいこわい、こわいこわい作品ですね。さ、もう時間がきました。それでは、次週をご期待ください。さよなら、さよなら、さよなら」といって、「声の出演」とともにエンディングテーマが流れてもまだ、わたしはソファでねばって画面を視ていた。
エンディングテーマが流れ、「この番組は松下電器、サントリー、小林製薬の提供でお送りいたしました」と、女性アナの声が流れるとともに、たいがい「もう、いったいいつになったら勉強するのよ!?」という、業を煮やした母親Click!の声がかぶさる。「もう少し、♪ロンロンリロンシュビラレン~エロ~エロ~レ~を聴いてから」と、わたしはとっさに答えるのだが、はたして日曜洋画劇場のエンディングテーマのあとに、サントリーオールドのCM「顔」Click!が流れるとは限らなかった。
向田邦子Click!の「寺内貫太郎」の、いや小林亜星のこの曲が運よく流れたりすると、あと60秒間だけ居間でグズグズできるのだ。ちなみに、「♪ロンロンリロンシュビラレン~エロ~エロレ~」は、ブラウン管TVのモノラルサウンドが不鮮明だったせいの空耳で、実際は「♪ドンドンディボンシュビダドン~バ ラリ~ホラ~レ~」(唄:Silas Mosley)が正しい。
このCMは母親も好きだったようで、大人しくいっしょに視ている60秒の猶予だった。いまでこそ気づくが、親父は「勉強しろ」とは一度もいわなかったように思う。そのあたり、ふたりで話しあって役割分担ができていたのだろう。「♪ドンドンディボンシュビダドン~バ」のCMが終ると、「さて、そろそろ勉強するかな」という気分になり、2階の自室に引きあげるのだが、もちろんすんなり受験の参考書を開くわけもなく、中学時代にめずらしく小遣いを貯めずに買ってもらえたGXワールドボーイ(RF-858)Click!の赤いパワースイッチをオンにすると、FMかFNNにダイヤルを合わせて洋楽ばかり聴いていた。
小学校高学年から中学生にかけては、深夜放送Click!をよく聴いたけれど、このころはダイヤルを合わせれば「♪あなたは~もう忘れたかしら~」Click!とか、「♪あ~だから今夜だけは~君を抱いていたい~」とか、みじめでジメついたフォークソングClick!ばかりが流れたので少なからずウンザリしていた。クラシックは、もの心つくころから母親にさんざん聴かされていたので、選択肢は洋楽(ロック・ポップス・JAZZなど)しかなかった。
ラジオから流れるバッドカンパニーやシカゴ、ピンクフロイド、P.マッカートニーとウィングスなどを聴きながら、東京の地図を広げて「ドラマの舞台になってる、新宿の下落合はどんな街なんだろ?」と、飽きもせずに電車や道筋などを眺めていた。ドラマClick!のロケは学校のチャイムが聞こえるから、この大きな公園のある小学校Click!の近くなのかもしれないな、ふーん、佐伯祐三Click!が住んでたんだ……などと地図上に印をつけ、来週の日曜日にでもいってみようかなどと、受験勉強そっちのけで電車の乗り継ぎや歩く道筋、施設などの見学コースを地図へ書きこんだりしていた。
そうこうしているうち、アッという間に1時間ほどがすぎて歯を磨きに1階へ降りると、母親が編み物をしながらひとりでカクテルを飲んでいる。親父はアルコールを1滴も飲めなかったが、母親は少なからず好きだったのだ。当時、サントリーでは20種類ほどのカクテル頒布会を開催しており、母親はそれに入会して毎月とどく壜詰めのカクテルを楽しんでいた。すでにシェイクされた壜カクテルだけでなく、それに見あうグラスやコースター、シェーカー、ジガ―カップ、バースプーンなどが毎月セットになっていて、頒布会が終わるころには食器棚の一隅がカクテルバーのような風情になっていた。
わたしが様子を見に居間へ入ると、ほんの1時間ほど前まで「いつになったら勉強するのよ!?」などといっていた母親が、「ちょっとだけ味見する?」と少しだけお裾分けしてくれた。親父が下戸で、家では自分だけしか飲まないのが少しうしろめたかったのか、“共犯者”をつくりたかったのだろう。マンハッタンとかドライマティーニ、バイオレットフィズ、バレンシア、カカオフィズ、カシスオレンジとか、当時は苦かったり甘すぎたりして子どもの口にはまずかったが、いまとなっては母親と酒を飲みながらすごした懐かしい時間だ。
当時は、大学受験という目に見えない環境圧力を、家でも学校でもひしひしと感じていたけれど、こういう自分だけのひとときに母親は「受験勉強は進んでるの?」などと、野暮なことはいわなかった。「バイオレットフィズのスミレのリキュールって、どうやって作るのかしらね?」などと、頒布会の解説パンフをテーブルに置きながら、手もとの編み物の針をせわしなく動かしていた。
野見山暁治は、1978年(昭和53)に河出書房新社から出版された『四百字のデッサン』の中で、ルノワール(文中ではルナアル)の言葉を引用して次のように書いている。
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ルナアルの日記の一節にこういうのがあった。――嫌いなものが嫌いなほど、好きなものが好きでない――。人間どんなに忙しい時でも、嫌いなものにぶち当れば、その場ではっきりと嫌悪感がある。キライな食物、気味悪い生物、退屈な会話。例えばだ。キライな食物を口に入れたときは、即座に吐き出すか、食堂を逆流して戻ってくるかだ。もしもだ。それほどの強い力をもって、好きなものが口から喉へ、そして食道へと伝わってくれたらどんなに幸福だろう。快感とか幸福感とかいうものはその時点においては実感として押し寄せてはこない。振り返った時にそういう感触で受止めるのだ。あとの祭りか。
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確かに、幸福感はその場では実感として味わいにくいが、あとで回顧してみると改めて「あのときは……」と気づくことが多い。受験勉強はキライだったし、母親が喜んで飲んでいるカクテルはまずくて辟易したが、少年時代の最後に味わう深夜のこういう時間は好きだった。きっと、いまから思えば幸福な時代だったのだろう。スマホのバイブや、PCのメール着信音、横文字だらけのICT用語などに煩わされることもなく、受験で尻に火が点いていたにもかかわらず、ゆったりとした空気が漂う静かな時間だった。
さて、そろそろ勉強でもしようかと自室にもどるが、アルコールのまわった頭ではロクな勉強などできるわけがない。こんな不マジメな受験生が、必死で受験に備えている連中といっしょになって入試を受けても、たちまち落ちて浪人するのは目に見えていた。
それでも、明日はなにか学校で面白いことがあるかな、今度の日曜は下落合でも散歩してみようか、それにしても、なぜあんなまずいカクテルを大人は喜んで飲むのかな……などと、とりとめのないことを考えながらラジオのスイッチを切って寝床に就く。こんな毎日が、実は幸福な日々だったとは当時は露ほども思わず、カクテルでボーッとなった頭に毛布をかぶりウツラウツラしはじめながら、「それでは、次週をご期待ください。さよなら、さよなら、さよなら」とかなんとかつぶやいているうち、徐々に意識が遠のいていった。
◆写真上:下落合の日立目白クラブ(旧・学習院昭和寮)にあるバー。
◆写真中上:上は、日曜洋画劇場(NET/10ch)で解説していた淀川長治。下は、1970年代半ばに流れていたサントリーオールドのCM「顔」。
◆写真中下:上は、いちばん多くデッサンに用いたアグリッパの石膏モチーフ。下は、めずらしく小遣いをためずに親が買ってくれた松下電器のGXワールドボーイ。
◆写真下:上は、いまでも家に残る母親のカクテル頒布会でオマケについてきたストレートグラスとオンザロックグラス。なぜ残っているのかはよくわからないが、きっとカクテルグラスに比べ割れにくかったのだろう。下は、ドライマティーニのあるカウンター風景。