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2014年もあと24時間、今年もみなさまにはたいへんお世話になりました。新年には福よ来い!……ということで、大晦日にオバカ物語をひとつ。
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つい最近まで、わたしは西島三重子という歌手が唄う『目白通り』Click!(作詞:佐藤順英/作曲:西島三重子)という曲を知らなかった。1977年(昭和52)4月にアルバムがリリースされ、その後、『ジンライム』という曲とともにシングルカットされているようだが、当時はJAZZばかり聴いていたので邦楽には無関心、まったく目を向けていなかった。
特に、うじうじとみじめったらしい「フォーク」や、ひたすら“内向”や“反芻”をする「ニューミュージック」が好きではなかったので、そっぽを向いていた。(いまは、そうでもないが) だから、この歌手の存在もぜんぜん知らず、『目白通り』のほかにも同じ歌手が唄う『千登世橋』という曲があるらしい。さて、曲のサビで「♪目白通りには 来てはほしくないの~」と唄う歌詞の背景には、どのような物語が秘められているのだろうか?
千登世橋の欄干に ひじをついて話しこんだ
あの夜は卒業の コンパの帰りでしたね
……と曲のアタマは、いきなり彼との別れのシーンではじまる。彼は卒業して「社会人」になり、年下の「私」はいまだ学生生活を送るという展開だ。「♪走りすぎる都電さえ さびしそうな後姿」に感じるふたりの情景は、すでに別れ話がかなり以前から進行しており、この卒業コンパがラストシーンであることをうかがわせる。「♪もうあなた社会人 私は学生のまま」と唄われているので、卒業生と学年が下の彼女が同時に出席したのは、学部ないしはゼミの卒業パーティではなく、おそらくサークルの卒業生追いだしコンパではなかったか。つまり、彼と彼女は同じサークルに所属していた。
彼女は、どこか別れが不本意であり、そのあとに「♪だけどあと少し目白通りには 来てはほしくないの」と、失恋の傷みがうずくので、しばらく彼の顔は見たくないとハッキリ表明しているから、卒業を契機に別れ話を持ち出したのは就職が決まった彼のほうだろう。つまり、彼女は学生生活における期間限定の間に合わせ的な「彼女」であって、社会に出てからもずっとつき合う、それほど重要なパートナーとしての「彼女」ではなかった……ということだ。それが、歌詞の一人称で歌われる「私」=彼女には、とても口惜しいことだったにちがいない。
さて、この男女共学と思われる、目白駅ないしは目白通りに近い総合大学は、学習院大学Click!以外には想起しにくい。目白通りに比較的近い大学はあるけれど、立教大学Click!なら池袋でコンパだろうし、早稲田大学Click!なら高田馬場か新宿がメインだろう。ここは、どうしても学習院大学を想定してしまうのだ。卒業コンパと表現されてはいるものの、千登世橋の向こう側、コンパなどと呼ぶにはおよそほど遠い、すっごくおカネがかかる椿山荘Click!での卒業パーティだった可能性が高いのだ。このあと、ふたりは夜道を歩きながら、千登世橋をわたって目白駅へともどってくる。
彼が卒業したあと、「♪今は同じサークルに 恋人なら出来たけれど」と唄う彼女は、早々にサークル仲間の男子を「彼のマネして、学生期間限定ですことよ!」と、間に合わせボーイフレンドにしてみたけれど、まだ目白通りのイチョウ並木に彼の面影が消えないと嘆息している。彼とつき合っていたときにおぼえたタバコの味だが、禁煙しても「♪何一つ変わらない 私は私でいるの」と未練たらたらの様子だ。そして卒業の季節、つまり「♪春が過ぎたら 落ちつきました」と初夏のころに唄いながら、「♪だけどあと少し目白通りには 来てはほしくないの~」とルフランしているところをみると、彼女はぜんぜん立ち直れてはおらず、彼に対してしつこく恨みを抱いていそうな気さえする。
さて、就職した彼のほうはどうしただろうか? 文学部の哲学科を卒業した彼は、とある出版社へ就職したのだけれど、2ヶ月をすぎたあたりからもう転職を考えはじめていた。ある健康雑誌の編集を担当させられたのだが、毎日、午前3時前に帰宅できたためしがなく、〆切り前は徹夜もあたりまえで、健康雑誌をつくりながらどんどん身体が不健康になっていき、このままでは身がもたず過労死すると考えた彼は、友人が紹介してくれた学術書専門の出版社をのぞいてみる気になったのだ。それには、改めて履歴書と卒業証明書を持参しなければならない。でも、卒業証明書は大学の教務課へ申請しなければ取得できない。後輩のウワサによれば、「目白通りには来てほしくないの!」といってるらしい、顔がひきつっている別れた彼女のことを考えると、彼はとても気が重かった。
そう、あれは千登世橋の上で、都電の後ろ姿を見送りながらコンパ帰りに話した夜のこと。「ジュネーブ大学のアミエルは、世の中のことはなんでも我慢できる、しかし、幸福な日々の連続だけはどうにも我慢がならない……と、正鵠を射たことをいってるんだ。トイレが近いとき、トイレのドアへたどり着く前に、ホックをはずしてファスナーを下げ、あらかじめジーンズをズリ下ろして準備するのと同じさ。ボクたちは、そろそろアウフヘーベンすべきじゃないかな。冬の旅立ちはつらいけど、もう、春はすぐそこなのさ」と彼はいった。「学習院の女子はファスナーおろして、あらかじめズリ下ろしたりなんかいたしませんの!」と、彼女の顔は引きつっていたっけ。
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「そうだ、目白通りに来てほしくないのなら、目白通りから大学へ入らなければいいのだ」と気づき、彼は急に希望がわいてきた。目白駅を利用すると、橋上駅なのでどうしても目白通りに出てしまう。でも、学習院の正門や西門を利用するリスクを冒さなくても、キャンパスに入れるじゃないか。品が悪くて、気に入らない学生がゴロゴロしている高田馬場駅Click!で下りるのは、この際しかたがないからガマンするとして、赤い手ぬぐいマフラーなんかにする不潔で不可解な、ジメついた神田川をなんとかわたって品の良い椿坂Click!を上がれば、西坂門から入れるじゃないか。そうすれば、血洗池Click!をまわってキャンパスのほぼ真ん中あたり、中央教育研究棟の1階にある教務課へたどりつける。やっかいなのは、中央教育研究棟が大学の中央にあって、少なからずキャンパスを歩かなければならないということだ。そのとき、執拗に恨んでいそうな彼女とうっかり鉢合わせしたら、いったいなにをいわれて報復されるか知れたもんじゃない。
いや、まてよ、彼女は法学部だから東2号館、つまり教務課の東隣りの校舎じゃないか。しかも、教務課の西隣りには法学部の模擬法廷が設置された西2号館が建っている。うっかり西2号館の前を通って見つかり、法廷の窓から法衣姿の彼女に「主文! そこを歩く被告人は死刑に処す! 理由! 目白通り立入禁止の処分による刑の執行猶予中にもかかわらず……」などとわめかれたら、恥さらしでたまったもんじゃない。しかも、西2号館の裏には隣接して黎明会館があるじゃないか。「ボクと彼女がいたアーチェリー部の部室は、会館の123号室だから、こりゃヤバイぞ」と、彼は西坂門から入り血洗池をまわって、教務課のある中央教育研究棟へ近づくルートをあきらめた。
「そうだ、学習院馬場Click!から崖を登り、乃木館Click!か珍々亭……もとへ富士見茶屋跡Click!の裏へ出れば見つからないぞ」と、彼は別ルートを思いつく。飼料を収納したサイロ裏からキャンパスに入れば、深い樹林があるから目立ちはしない。万が一、彼女が近くを歩いていても、すぐに濃い緑や木陰へ隠れることができるから見つからない。でも、このコースはさらに気が重かった。彼は大学へ入学した当初、女子がとっても多い馬術部Click!へ入ろうとした。ところが、なぜか彼と馬とは相性が悪く、どの馬も彼を見るだけで鼻息荒くたてがみを立ててあばれ、中でも牝馬(ひんば)のシリカちゃん(香桜号)Click!には髪の毛を噛まれて引っぱられ、500円ハゲにされた痛くてにがい思い出がある。先輩の女子部員に「キミ、馬場へは来てほしくないの。では、ごきげんよう」といわれてからは、怖くて一度も馬場へ足を向けたことがなかった。
そうなると、学習院馬場から明治通りまで歩いて、東側の中・高等科のある絶壁を登ろうかとも考えたが、すぐに誰かに見つかって警察へ通報されるのがオチだ。目白通りを歩かず、周囲へ目立たずにキャンパスへ入るのは意外にむずかしいことがわかり、彼はアタマを抱えた。残る可能性は、その昔、稲荷神社Click!があったといわれるあたりから、コンクリートの擁壁を登ってバッケに取りつき、全身が泥だらけになるかもしれないけれど、急斜面を這い上がるしか方法がなさそうだった。この計画を実行するためには、しばらくボルダリングに通って登攀のトレーニングをしなければならないだろうか。
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「いや、まてよ……」と、彼は再び考える。ようやくバッケを這い上がったら、その上の稲荷跡は、アーチェリーの射的場じゃないか。部活で彼女が練習してたら、どうするんだ? もし万が一見つかったら、「うりゃーっ! なにが、ボクたちの関係を止揚して、ふたりでより高みへ向けた螺旋状の、新たなテーゼの世界へ旅立とうなんですのよー! 目白へはおとといお越しあそばせー、これでも召しあがれー! では、ごきげんよー!」と2射、いや、彼女のノッキングはすばやいから最低でも3射はくらうかもしれない。飛んでくる矢を避けるには、ヨロイは欠かせないかな。はて、西洋ヨロイの姿で絶壁は登れるかどうかと考えたところで、彼はふと気がついた。
そう、変装をすればいいのだ。しかも、ふつうの変装だと万が一のとき、矢がそのまま貫通してしまうので、できれば身体との間に距離のある“かぶりもの”、つまり“ゆるキャラ”が着ているような丈夫な着ぐるみに変装すればいい。まてよ、別にキャラクターの変装なら目白通りを堂々と歩いたって、彼女に見とがめられる心配がないじゃないか。
でも、学習院のキャラクターといったら“さくまサン”だけど、ぬいぐるみばかりで、着ぐるみはかえって怪しまれるかな。着ぐるみは、プロテ星人Click!ぐらいしか思い浮かばないが、ちょっとつくるのが複雑で難しそうだし、学生たちから「また出たぞー! 今度は小さいヤツだけど、地球を侵略される前に、校舎を破壊される前にやっちまえー! ♪もゆる火の火中(ほなか)に殺せ~、ウルトラ警備隊に通報だー!」などと騒がれたらコトだし。……ここは、当たり障りのない地元の地域キャラクターがいいかな。
「そうだ、豊島区の<いけふくろう>にちなんだミネルバ、“としまくん”に化ければいいんだ」と、彼は自身の知的で哲学的な思いつきに満足した。“としまくん”が目白通りの横断歩道を、フクロウらしからぬペンギンみたいな歩き方でわたっていても、別に誰からも怪しまれはしないし、たとえ中等部のワルガキどもに背後から蹴り倒されても、きっと誰かが助け起こしてくれるだろう。それに、学習院キャンパスを歩いていても、なにかのイベントだと思って容易に見すごしてくれるにちがいない。目白通りの正門からでも西門からでも、そのまま最短で堂々と中央教育研究棟へ歩いていき、1階の教務課窓口に立てば、あとは卒業証明書の申請書へ記入するだけだ。“としまくん”Click!は、1日借りると8,000円も取られるのだが、この際、それぐらいの出費はしかたがない。
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「……だが、まてよ」と、彼は再び逡巡する。フクロウの“としまくん”は手がなくて羽だから、どうやって申請書に記入するんだ? それに、「卒業生DBの登録写真データと、お顔がだいぶちがいますわ。まあ、お顔が緑色!」と、教務課になりすましを疑われたらどうしようか? そのときは、“としまくん”の頭のかぶりものを取ればいいんだけれど、偶然、彼女が同棟にある学生相談室に、「3月の卒業シーズンからずっと、イチョウ並木の目白通りを歩くと気分がすぐれませんの」などと、たまたまカウンセリングに来てたらどうしよう? 教務課のカウンターで、いきなり“としまくん”の格好のまま捕まり、「うりゃーー! おとしまくーん! この、おとしまえ、どうつけてくださるのかしらー! ごきげんよろしく、ないんでございますのよー!」とヘッドロックされたら、ボクは一生、母校へは恥ずかしくて二度と、顔出しできなくなってしまうではないか……。
◆写真上:目白通りに架かる、1932年(昭和7)竣工の千登世橋を明治通りから。
◆写真中上:上左は、1977年(昭和52)に発売された西島三重子のEP『ジンライム』でB面が『目白通り』。上右は、千登世橋から見下ろした都電荒川線。中は、学習院キャンパスの西側にある血洗池。正面の樹間にチラリと見えているのが、学生のサークル部室が集まる黎明会館。下は、キャンパスの南側にある学習院馬場。樹幹の陰に、首から先が見えているのがかわいい牝馬のシリカちゃん(香桜号)。
◆写真中下:上は、乃木館の裏側(左)と珍々邸跡(右)。中は、キャンパス南側につづくバッケ状の急斜面。下左は、1907年(明治40)まで丘上に八兵衛稲荷社があった学習院東部の崖線。下右は、“としまくん”でも怪しまれそうなサクラの季節の学習院正門。
◆写真下:上は、学習院のイラストマップ。中・下は、閑静なキャンパス内の風情。この状況で“としまくん”が歩けば、やはり怪しまれるだろう。w
★さて、この物語は1970年代の学習院であって、現在ではいたるところに防犯カメラとセンサーが設置され、そう簡単には門以外の場所からは侵入できないと思われます。もっとも、1970年代後半に“としまくん”はいませんが。w