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「下落合風景」作品のゆくえ。
佐伯祐三Click!の作品を集めていたコレクターには、有名なところでも5人ほどの人たちが存在している。それらは、のちに個人名を冠して「〇〇コレクション」と呼ばれるようになるのだが、これらの蒐集品の中で『下落合風景』シリーズClick!がどれほど含まれていたのかを探るのが、きょうの記事のテーマだ。...
View Article「荻外荘」の外観と庭園を拝見する。
荻窪の「荻外荘」Click!を杉並区が買収し、緑地公園化あるいは記念公園化のプロジェクトが進んでいる。近衛通隆様Click!が存命中にお邪魔をし、荻外荘の内部を拝見させていただいたのだが、改めて同荘を訪問し建物の外観や庭園も撮影させていただいているので、杉並区の濃い屋敷林も含めた公園化計画と合わせてご紹介したい。...
View Article泥棒は学習院昭和寮にもやってきた。
1933年(昭和8)2月に発行された学習院昭和寮Click!の寮誌「昭和」第8号Click!には、巻末に「全寮日誌」と第一寮から第四寮まで各寮別に別れた「寮だより」が付属している。昭和寮の内部や学習院で起きた、学生生活をめぐるさまざまな動向の記録なのだが、同号には1932年(昭和7)5月から11月までの日誌が掲載されている。...
View Article季節はずれの怪談物語。(4)
そもそも、新橋「花月」における怪談会Click!は、いつからどのような目的ではじまったのだろうか? これが、『主婦之友』主催の会席ではなく、以前からつづいていた会席であることは、泉鏡花Click!の発言からもうかがえる。元気なころの劇作家・小山内薫も出席していたというから、少なくとも大正期から定期的に開かれつづけていたのではないかと推定できる。...
View Articleさて、西洋館のお掃除がコマッタ。
大正期から昭和初期にかけて建設された洋風の住宅には、それを維持するための大きな課題があった。従来の畳部屋ではなく、床面が板張りあるいはリノリウム張り、コルク張りといった広い洋間が登場したことで、その清掃の道具がまったく存在しないことだ。畳部屋を掃除する、昔ながらの和ぼうきはあったものの、細かなチリやホコリを清掃するには、日本家屋の板張り廊下などにならって、相変わらず雑巾がけが行われていた。...
View Article動物ビジネスが盛んな目白界隈。
大正期から昭和初期にかけて、さまざまな動物飼育をビジネスとする事業が、東京郊外のあちこちで起業されている。その中で、もっとも多かったのが乳牛を飼育して東京市内へミルクを供給する「東京牧場」Click!と、同様に新鮮な卵を供給する養鶏場だ。...
View Article目白通りには来てほしくないの。
2014年もあと24時間、今年もみなさまにはたいへんお世話になりました。新年には福よ来い!……ということで、大晦日にオバカ物語をひとつ。 ★...
View Article牧野虎雄のタコ揚げ場所は?
あけまして、おめでとうございます。今年も、「落合道人」サイトをよろしくお願いいたします。さて、きょうはお正月らしく、子どものころの遊びのエピソードから……。 ★...
View Article学習院昭和寮で起きた事件いろいろ。
下落合406番地の学習院昭和寮Click!では、大小さまざまな事件が起きている。以前に泥棒事件Click!は紹介していたけれど、きょうは「全寮日誌」ではなく、各寮で記録されていた日毎の「寮だより」から、それらの事件類を紹介してみよう。...
View Article「不良思想」で筆を折った吉屋信子。
1940年(昭和15)になると、文部省では「戦時家庭」における教育の“ありかた”の策定をはじめ、翌1941年(昭和16)には『文部省戦時家庭教育要項』全5巻を発表している。同要項は、国家が天皇-家-父親-母親-子というヒエラルキー構造である確認と、軍国主義下における家庭内の支配構造を改めて規定するためのものだった。...
View Article1921年(大正10)真冬の下落合を歩く。
目白中学校Click!へ通っていた生徒は、全国の道府県から集まった子どもたちClick!も少なからずいたが、やはり地元東京府の出身者が圧倒的に多かった。よその地方から東京地方へやってきた生徒たちは、学校近くの下宿や山手線沿線にある駅前の下宿から通学している。また、先にご紹介した松原公平Click!のように、目白中学校のごく近所である落合や戸塚、高田地域の自宅から通っている生徒たちも多い。...
View Articleネコ5匹と暮らすアル中の甲斐仁代。
甲斐仁代Click!は晩年、練馬の桜台にアトリエをかまえていた。我孫子に借りていた志賀直哉の書斎Click!から、雑司ヶ谷、落合町下落合1385番地の借家Click!、野方町上高田422番地の故・虫明柏太アトリエClick!と、このあたりを中出三也とともに転々としていた様子がうかがえる。しかし、桜台のアトリエにはすでに中出三也の姿はなかった。...
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