1933年(昭和8)2月に発行された、学習院昭和寮Click!の寮誌「昭和」第8号Click!には、小説作品も何篇か掲載されている。その中で、もっとも目を惹くのは、日米が戦争になり太平洋のあちこちで海軍艦艇による海戦が繰りひろげられる、第一寮に住む騎士夢兒(本名・米田正武)が書いた『米国海軍中尉』だ。ちなみに、騎士夢兒はかなり以前から書きためていたようで、日米が実際に開戦する10年以上も前から、本作は執筆が進められていた。
しかも、この戦闘を日本側からではなく、米海軍の駆逐艦に勤務するM.ハーターソン中尉の視点から描いているところが、本作のきわめて特異なところだ。今日のジャンルでいうと、SF戦記(軍事)小説ということになるだろうか。騎士夢兒は、寮誌『昭和』への連載を予定していたらしく、同号が第1話ということになっている。『米国海軍中尉』の冒頭から、著者の付言を引用してみよう。
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M.ハーターソンの手記
此の手記は三箇年に渡つた日米戦争中に於ける彼の素晴しい奮闘振りを記した(も)ので約百頁に渡る貴重な実戦録である。/従つてこれを全部諸君に公開する事は容易な事ではないので若し諸君が御希望なら次の機会に続けて発表したいと思ふ。/で之を読まれる前に一寸お断りして置きたい事は即(すなわち)こゝにかゝげた部分は丁度日米戦争が起つてから約四箇月程たつた時――諸君は良く憶へて居られると思ふが丁度日本軍が多くの犠牲を払つてフイリピンを得た時で又支那が有形無形の援助を合衆国に与へ始めた時である。で今彼は駆逐艦二三九号の乗組士官としてハワイから一路東洋に向けて進んでいる所です。――(カッコ内引用者註)
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すでに、日米戦争は3年間で終了していることになっており、「フイリピン」は「占領」しているが、中国沿岸部やシンガポールは米国の勢力圏……というのが前提だ。
この中に登場する米駆逐艦239号は、1932年(昭和7)現在に実在する艦であり、クレムソン級駆逐艦の「オバートン」(DD239/1920年竣工)のことだ。ハーターソン中尉は「オバートン」に乗り、日本艦隊や日本の輸送船を補足して撃滅する命令を受け、「真珠港(パール・ハーブアー)」を出撃するところから物語がはじまる。出港早々に、米国の輸送船と仮装巡洋艦が、敵(日本)潜水艦の攻撃を受けて苦戦中の一報が入り、「オバートン」が救援に向かうことになる。
だが、同艦が戦闘海域へ到着してみると、すでに米艦船は大きな損害を受けており、敵は新たな米艦船の姿を認めて逃走したあとだった。その後、「オバートン」は小笠原方面の偵察から帰った米巡洋艦隊と合流し、日本艦隊の撃滅に向かうことになる。
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一方敵はと見ると我艦の煤煙をすばやく見出した為か、すでにその姿を我々の視界より掩つてしまつてゐた。我々は直ちに付近に約四個の機雷を投下して潜下せる敵艦を粉砕すべく活動した。その結果は全々(ママ)疑問ではあるが、若し日本潜水艦がいまだ付近にぐずいて居たならば勿論海底の藻屑にしてしまつた事は疑いない事だ。/遭難者の救助をすませ翌日予定の通り小笠原方面の偵察から帰つた巡洋艦サンフランシスコ号と駆逐艦三〇六号と合し目的地に向つて航行をつゞけた。
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ここで、実際の日米戦争を経ている現代の目から見ると、非常に奇異なことに気づく。米艦隊が小笠原近海まで進出できてしまうとすれば、日本はとっくに“負け”なのだ。すなわち、本作には機動部隊(空母部隊とその艦載機)がまったく登場してこない。戦闘に制空権の課題は存在せず、あくまでも砲撃戦や雷撃戦を前提とする艦隊決戦のみで戦争が行なわれているのだ。潜水艦へ向け、積極的な爆雷攻撃ではなく機雷を沈めるだけの攻撃も古くさい。
上記の文章に登場する、米巡洋艦「サンフランシスコ」と駆逐艦306号も実在する艦で、後者は「オバートン」と同型だったクレムソン級駆逐艦の「ケネディ」(DD306/1920年竣工)のことだ。著者の騎士夢兒は、米国の艦隊事情をかなり詳しく知っていたようで、いま風にいえば軍艦ヲタクClick!というところだろうか。ただし、このとき米重巡洋艦「サンフランシスコ」の存在を、著者がどうして知りえていたのかは“謎”だ。同艦は、1932年(昭和7)現在では起工して間もないころで、進水はおろか艦名もまだ決まっていなかったはずだ。「サンフランシスコ」が竣工するのは1934年(昭和9)のことであり、著者はどうして建造中だった米重巡の艦名を知りえたのだろう?
米艦隊が最初に遭遇するのは、単独で作戦行動中の吹雪型駆逐艦「初雪」(1929年竣工)だった。艦体の横に、「ハツユキ」と白くカタカナで書かれているから、米艦隊側では敵艦を「初雪」だと認識したようなのだが、実際の太平洋戦争では艦体に書かれた艦名は、相手に艦の所属する部隊がどの海域で作戦行動中なのかを宣伝しているようなものなので、すべての艦艇から抹消されている。つづけて、遭遇戦の様子を引用してみよう。
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しかし意外な事に我々三隻が真しぐらにつき進んで行くにも関らず此の孤独な日本の駆逐艦は依然として進路を変更せず、むしろ速力を三十二・三節(ノット)にあげ自分等の方に向つて来るのであつた。/此の行動は船尾にかゝげてゐる日章旗に対する我々の敵愾心と共に我々の憤懣を爆発させずにはおかなかつた。/我々は速力を最高三十七節にまで高め三十分の後には彼我の間隔は1万米にまでちゞめられた 此の時日本駆逐艦は始めて我々に気がついたかの如く、くるりと艦首を廻し煙突よりは真黒な煙幕をはいてものすごい速力で逃走し始めた。逃がしては我々の面目が立たねとばかり三艦は平行になつて之の追撃にうつゝた。(カッコ内引用者註)
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ところが、米艦隊は37kt(ノット)という高速で追尾しているにもかかわらず、ついに「初雪」には追いつくことができなかった。つまり、「初雪」は40kt以上の船足で米艦隊から逃げており、このあたりから日本の「驚異的な造船術」の記述も含め、とたんにSF戦記的な色が濃くなってくる。「初雪」が反転した際、魚雷管から一斉射出が行なわれた魚雷は、米艦隊へまっしぐらに突き進んでくるのだが、米艦隊が即座に転舵で回避しようとすると、無線操縦で操作されているのか魚雷が米艦を追いかけてくるのだ。追尾魚雷をふりきるために、米艦隊は全速で逃走する「初雪」とは逆方向へ退避しなければならなくなった。
もちろん、実際の「初雪」は40kt以上の速力など出せないし、追尾魚雷の製造も無線操縦も当時の技術では不可能だ。ハーターソン中尉はさっそく、「日本海軍の魚雷は無線操縦なる事と駆逐艦の速力は少くとも四十節である事をハワイの艦隊司令部」へ打電することで、他の米艦隊の損害を未然に防いだことになっている。米艦隊の“面目”は、緒戦で丸つぶれになった。
さて、米艦隊はシンガポールで給油したあと、艦隊を解いて駆逐艦「オバートン」は再び単独行動にもどった。そして、日本郵船の海外航路に就航している、「照国丸」や「六甲丸」、「上海丸」などの貨客船を補足して沈める通商破壊作戦を展開する。太平洋をはさんで日米戦が開始されているのに、日本郵船がそのまま定期航路を就航させていること自体が奇異だけれど、そこはSF小説なので気にせずに進もう。ちなみに、ここに登場する貨客船はすべて実在の船名で、まず「照国丸」が撃沈されることになっている。これも、偶然の一致にしては、とても不思議な展開だ。なぜなら、実際に第2次世界大戦がはじまったとき、ドイツ軍がテムズ川河口に投下敷設した機雷に触れ、1939年(昭和14)11月に沈没した日本で最初の貨客船こそが、当時、ヨーロッパ航路に就役していた「照国丸」だったからだ。実際の沈没から7~8年も前の小説で、不思議なことに「照国丸」は日本の貨客船で最初に沈没したことになっていた。
このあと、日本郵船の貨客船が攻撃されたので、日本の艦隊が出動してくるのだが、ここでも不思議な記述が登場している。その部分を、第1話の後半から引用してみよう。
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二十三日我々は再びこの壮快なる活動を続けるべく東支那海に入つて行つた(ママ) が今度は以前程楽な行動ではなかつた、と云ふのは二隻の汽船の撃沈により付近警戒が俄に厳重になつた事で我々は午後一時頃日本巡洋艦北上と海風、山風二隻の駆逐艦に遭遇し猛烈な攻撃を受けたが幸ひ速力が優つてゐたので敵の攻撃から逃れる事が出来た。/がそれから五時間の後再び日本巡洋艦長良と遭遇し再び高速を利用して逃れ得た。
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このあと、日本艦隊の追尾をふりきって無事に帰投するのだが、実際の米駆逐艦「オバートン」は35.5kt、軽巡洋艦の「長良」と「北上」はともに36.0ktだから、事実に照らせば追撃を振りきれたとは到底思えない。また、ここでも不可思議な記述が登場している。日本の駆逐艦「海風」と「山風」だが、この明治に竣工した老朽艦の2隻は、1930年(昭和5)にはすでに掃海艇に類別され、現役の駆逐艦ではなくなっていた。著者の軍艦ヲタクらしい騎士夢兒は、当然それを知っていたはずなのだが、小説では最新鋭の駆逐艦「海風」「山風」として描かれている。つまり、新たに竣工し就役した2代目の駆逐艦「海風」「山風」が登場していることになる。
でも、実際に2代目の白露型駆逐艦の「海風」と「山風」が就役するのは、両艦が竣工した1937年(昭和12)以降のことなのだ。なぜ著者は、両艦がいまだ起工さえされていない5年も前に、艦名を含めてそのことを予測できたのだろうか?
明治の末、文学界ではSF軍事冒険小説のはしりのような作品が次々と登場している。特に、日本海軍の架空艦艇などが活躍する、東京専門学校(現・早稲田大学)法学科の現役学生だった押川春浪が書いた『海底軍艦』、『武侠艦隊』、『新造軍艦』などは明治から大正期にかけ、青少年の間でベストセラーとなっている。『米国海軍中尉』を書いた騎士夢兒も、当然それらを読んで育っているだろう。だが、彼は日本海軍側の艦艇ではなく、米海軍の駆逐艦に勤務する士官の目から、しかも実在する艦を登場させて、日米戦争を空想的に描いているところが特異なのだ。
騎士夢兒こと米田正武は大学を出たあと、一時は拓殖奨励館に勤務していたようだ。東南アジアの国々の資料を網羅したものだろう、1940年(昭和15)には編著『南洋文献目録』(日本拓殖協会)を出版している。もともと南洋へのあこがれが強かったものか、騎士夢兒の表現にも南方の国々や港が登場している。しかし、実際に日本が米国との戦争へ突入する10年ほど前に、どうしてこれだけリアルな、一部の記述は未来を予知するかのような空想戦記小説が書けたものか、ちょっと不可思議な気がするのだ。
◆写真上:下落合の日立目白クラブ(旧・学習院昭和寮の本館)の上階から、当時のままだと思われるシャンデリアが残る階段を下りる。
◆写真中上:上は、1932年(昭和7)現在で実際に就役していた物語の主人公が勤務する米駆逐艦「オバートン」(DD239)。中は、1932年(昭和7)にはいまだ建造中の米重巡「サンフランシスコ」(左)と就役中だった駆逐艦「ケネディ」(右/DD306)。下は、1929年(昭和4)就役の吹雪型駆逐艦「初雪」。
◆写真中下:上は、日本郵船の貨客船「照国丸」(左)と「上海丸」(右)。中は、1921年(大正10)から就役していた軽巡「北上」。下は、同じく大正期に就役した軽巡「長良」(左)と、1937年(昭和12)に竣工予定の白露型駆逐艦の2代目「海風」(右)。
◆写真下:左は、1933年(昭和8)2月発行の学習院昭和寮の寮誌『昭和』に掲載された第一寮の騎士夢兒(米田正武)『米国海軍中尉』。右は、明治から大正期の青少年を熱狂させた1904年(明治37)出版の押川春浪『武侠艦隊』(1976年/桃源社版)。