神田川を遡上し、産卵を終えたあと寿命がつきたサケ……と書きたいのだが、神田川Click!にはアユClick!の遡上はあちこちで見られるものの、サケはまだ上ってきていない。サケの遡上は、いまだ隅田川や多摩川止まりとなっている。冒頭の写真は、渡良瀬川で産卵して寿命を終えたサケたちだ。
先年の秋、久しぶりに「カフェ杏奴」Click!へと出かけた。もちろん、足利市通2丁目のカフェ杏奴で、足利市立美術館で出雲の「スサノヲの到来-いのち、いかり、いのり-」展が開かれていたのにかこつけて、ウキウキと楽しく出かけたのだ。足利地域は、そこいらじゅうに八雲社が鎮座する、ことのほか出雲色が強い地域だ。渡良瀬川の中橋をゆっくり渡りながら撮影したのが、冒頭の河原の浅瀬に身を横たえる寿命を終えたサケたちだった。中橋からひとつ上流の橋を見やりながら、「♪わたし・た・だ・のミーハ~」と森高を想い浮かべたのだけれど、今回の目的は渡良瀬橋ではなくカフェ杏奴だ。そういえば、わたしの好きなJAZZピアニストの板橋文夫Click!も「渡良瀬」つながりなのだが、今回はカフェ杏奴へわき目もふらずにまっしぐら。開店の10時30分にお店の前に近づくと、向こうから自転車に乗ったママさんClick!が、なにか叫びながらやってきた。
少しあと、杏奴でブログ友だちとも合流して、久しぶりに杏奴のメニューを味わう。杏奴の店内は、まるで図書室のような風情で、その蔵書からは、わたしのちょっと苦手で少し距離のある文学・思想領域、「日本浪漫派」的な匂いがそこはか漂っていくる。w 三鷹で自裁した、村上一郎Click!の本まで見つけてしまった。もうひとつ、蔵書とは別に、いつも重要な参考書のひとつとしてお世話になっている本で、いまとなっては記述がやや古くなってしまったが、1999年(平成11)に三一書房から出版された前澤輝政『概説・東国の古墳』Click!など、わたしが興味を惹く書籍がレジの近くにズラリと並べて置かれていたので、「あっ、読んだ。あれ、これ持ってますよ」といったら、なんと、わたしがお馴染みの前澤輝政氏が、杏奴のママさんのお父様だったのだ。(爆!)
杏奴の下落合時代Click!、わたしは杏奴ブレンドを味わいつつ、前澤氏の著作を参照しながら原稿を書いていたこともあり、一瞬、言葉もなく愕然としてしまった。そう、足利を含む栃木や群馬は、古墳時代に南武蔵勢力Click!(南関東勢力)と連携してヤマトに鋭く対抗した、上毛野(かみつけぬ)または下毛野(しもつけぬ)など大きな勢力を誇った毛野勢力Click!の本拠地であり、大王の巨大古墳が散在する一大エリアでもある。そして、鎌倉幕府Click!の武家政権を継いだ足利幕府の本拠地でもあるのだ。
床屋の角にポツンとある公衆電話……なんかを探してる場合じゃなく、さっそく足利氏の広大な屋敷(現・鑁阿寺境内)を見学することにした。市街は戦災による被害をほとんど受けていないせいか、あちこちに戦前からの建築が残り、初めて訪れたのにどこか懐かしい感慨がわいてくる。ちょうど紅葉の季節で、足利尊氏もすごしたであろう屋敷の敷地は、木々の葉が鮮やかに彩られていた。ちなみに、足利尊氏の墓は足利にはなく関東では鎌倉の長寿寺にあり、代々の足利一族の墓所は尊氏の祖父・足利家時が開基した、同じく鎌倉は浄明寺ヶ谷(やつ)Click!の報国寺にある。なお、足利から南西へ10kmちょっとのところにある太田市世良田Click!地域が、鎌倉幕府へと参画していた世良田氏Click!一族(のち松平・徳川氏)の地盤、つまり徳川幕府の故郷ということになる。
さて、『概説・東国の古墳』ではすっかりビックリしてしまい、いまだに不思議な感覚にとらわれているわたしだが、もうひとつ驚いたのが家へ降りそそいでくる落ち葉だ。例年は、12月の半ばから1月にかけて落ちてくるケヤキの膨大な落ち葉掃きに忙殺されるのだけれど、今年は45リットルのゴミ袋に12月で13袋、1月で10袋の計23袋が家の周囲に降りそそいだ。これは、例年に比べて数袋ほど少ない量なのだが、袋に入れて測った放射線量Click!は、逆に昨年よりもピーク値が高かった。昨年は、0.28μSv/hが最高値だったものが、今年は0.30μSv/hを超えていた。ある程度予想していたこととはいえ、これは福島第一原発の事故から4年、樹木の一部に放射性物質の“濃縮”現象が生じている可能性がある。放射線は「正直」で、決して「ウソ」はつかない。
何度か計測を繰り返したところ、南側の落ち葉の平均値が0.23μSv/hで、建物の陰になる、あるいは他の樹木の陰になる北側の落ち葉の平均値は、正常値に近い0.10μSv/hだった。ケヤキの生えている場所(面している方角)はもちろんだが、落ち葉自体に含まれている放射性物質の量に加え、その落ち葉が朽ちはてて地面に降り積もっているチリやホコリ(風で空気中を漂いかねない)、土などの課題もあるだろう。やはり、下落合では建物や木立の南側に、放射線の線量計が強く反応をするようだ。
落ち葉掃きをしていて気がついたのだが、今年はヒヨドリの鳴き声は聞こえるけれど姿を見かけることが例年より少なく、しょっちゅう姿を見せるのはオナガとシジュウカラだ。特に大きなオナガは、いつも10羽を超える群れで行動していて、シュロの木があると幹の毛の間に虫でもいるのか、盛んにつっついては移動している。1本のシュロに、5~6羽のオナガが群がっていて、グェーギュギュギュ……と鳴き交わす声がかなりうるさい。そんな声を聞きながら、暮れから新年にかけて最新版の佐伯祐三『下落合風景画集』Click!(第7版)と松下春雄『下落合風景画集』Click!(第3版)の編集をつづけた。
佐伯祐三の『下落合風景画集』には、新たに発見した『下落合風景』の画像と、描画ポイントの現状写真を加えている。少なくとも、現時点で確認ができる『下落合風景』は約50点だ。また、松下春雄の『下落合風景画集』には、山本和男様・彩子様Click!ご夫妻が保存されている松下春雄アルバムから、当時の下落合を撮影した貴重な写真類を何点か追加した。ふたりの画家に関しては、これからも作品や写真が発見される機会が多いと思われるので、そのつど画集を改訂していきたいと考えている。
そうそう、暮れには白洲正子も常連だったらしい目白の割烹「太古八」Click!(彼女が揮毫したお店の扁額は、いまもそのままだ)で、カニ&ワイン三昧の忘年会を経験させていただいた。大きなカニを1匹を丸ごと食べてしまうという、佐伯祐三Click!なみのゼイタクClick!をするのは生まれて初めての経験だった。他の料理も、季節の食材を活かした美味なものばかりで、「太古八」の女将さんに感謝!
年が明けて、正月気分のまま三遊亭の落語会を楽しんだあと、ようやく新装オープンした新宿中村屋Click!とサロン美術館へ。中村屋のスペースは、ずいぶん縮小した印象だ。
さて、節分に盛大な豆まきをしたのだけれど、玄関から外にまいた大量の豆が一夜のうちに、キレイさっぱり消え失せてしまった。近くにはキジバト(ヤマバト)も棲んでいるので、一瞬、「オバカな人間が、食べ物を粗末にして外へ投げ棄ててるぞ、デーデーウポポポポ」と、みんなさらって食べてしまったのかと思ったのだが、それにしては消え失せるのがあまりにも早すぎる。これはもう、三人吉三狸白浪Click!(さんにんきちさ・たぬきのしらなみ)くんwたちが、「ほんに今夜は節分ポン、西の空から道端ポン、落ちた福豆厄落としポン、こいつぁ春から縁起がいいポン」と、平らげてしまったにちがいない。
◆写真上:渡良瀬川を遡上し、産卵を終え寿命をまっとうしたサケの群れ。
◆写真中上:足利のカフェ杏奴(上)で、さっそく懐かしいカレーを注文(中)。下は、中橋から眺めた渡良瀬橋で帰りがけには確かに夕陽がきれいだった。
◆写真中下:上は、足利氏の屋敷跡である鑁阿寺境内の多宝塔。中左は、昭和初期の建築とみられるめずらしいミニ蔵。中右は、古墳関連の記事ではお世話になっている1999年(平成11)に出版された前澤輝政『概説・東国の古墳』(三一書房)。下は、鎌倉の浄明寺ヶ谷にある報国寺境内の“やぐら”で足利一族の墓所。
◆写真下:上左は、シュロにとまって幹の間をついばむオナガ。上右は、腰を痛める最大要因となっているケヤキの木々たち。中は、建物南側の落ち葉を集めた測定値(左)と北側の同じく測定値(右)。下は、私家版で非売品の『下落合風景画集―下落合を歩く佐伯祐三―』(左)と、松下春雄『下落合風景画集―下落合を巡る松下春雄―』(右)。その下はオマケの画像で、わたしのA4ノートPCよりもはるかに大きい「太古八」のマツバガニ。