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Channel: 落合学(落合道人 Ochiai-Dojin)
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池田元太郎の「緑柳」と「緑蛙」。

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 多くの資料類では、下落合にあった池田元太郎の研究所兼工場を「下落合17番地」、あるいは「下落合1ノ7」としているようだが、下落合71番地の誤りだ。この下落合71番地という地番は、田島橋Click!の北詰めにあたる住所で、三越呉服店染工部(三越染物工場Click!/下落合69番地)の北隣りに接する敷地だ。1926年(大正15)現在、「下落合事情明細図」の同地番には池田化学工業が採取されている。
 池田元太郎は、大正期から昭和初期にかけ色彩について研究した、色彩学のオーソリティのひとりだ。天然色素や人工色素を問わず、あらゆる“色”に関する最新研究を、欧米での最新知見を取り入れながら日本に紹介している。また、自身でも下落合71番地(のち下落合1丁目71番地)に池田化学工業を設立し、人工色素を中心に絵具や顔料、染料、インク、塗料などの研究および生産を事業として起ち上げている。
 池田は、色彩についてのとらえ方を「人類の文化のバロメーター」と位置づけ、日本人における色彩感覚の「欠如」あるいは「鈍感」さを、文化程度が低いからだと嘆いている。彼の色彩に対する基本的な考えを、1926年(大正15)に丸善から出版された、池田元太郎『色彩常識』から引用してみよう。
  
 一般に文化の程度の低い人々は色彩の「統一美」とか「調和美」とかに至つては其の鑑賞力が非常に劣つて居る。之に反し文化人は深い趣味と高い鑑賞力とを持つて居り色彩を以つて単なる外界的事象として止めず、進んで内界的に思索をめぐらし深遠なる哲理と結合し、精神生活上の重要なる一要素として尊重し、以つてより幸福なる生活を営まんと力めつゝあるのである。故に此の点より考察すれば色彩は実に人類の文化のバロメーターなりと云ふも過言ではない。
  
 以上のような考えにもとづき、日本人の色彩感覚は曖昧模糊としており、ひと口に「赤」といっても多彩な「赤」があることを、客観的に規定し得ていないと嘆いている。たとえば、文房具店からクレヨンを何十種類か買い集め、その中から「赤」のみを取り出して比較すると、緋色・朱色・紅色・赤色・桃色とさまざまであり、国民の基礎教育を行なうべき小学校の色彩教材としては不適切だとしている。
 このような色彩の混乱や乱脈は、色の規定が厳密に行われないから起きるのであり、「合理的根拠に立つ標準色」を定めなければ、色彩学用品としては不適切だとし、緋色・朱色・紅色・赤色・桃色などをひとくくりに「赤色」というのは、「通俗的」だと批判する。確かに、同じ「赤色」にも多種多様な「赤色」があり、それを美術や図画工作などで生徒たちに気づかせる、あるいは教えるのはとても重要なことだろう。
 でも、池田の批判は言語表現における色彩の表現法、すなわち日本語の一般的な色彩表現や生活言語の慣用的な、あるいは地方・地域における方言上の慣習的な色表現のちがいさえ認めず、それらの批判にまで及んでいく。つまり、色彩の表現や規定に対する文字どおり「地方・地域色」や「曖昧」さが、彼の論旨によれば日本の文化程度を低めいている……ということになる。同書の中では、徳富蘆花の文章をやり玉に挙げて次のように書いている。
  
 又前記徳富蘆花氏の文中に「青葉茂りて云々」とあり、大震災印象記の「青」と題する短文中にも「青々とした芝生を見た」とあるが、此等青葉の青や青々とした芝生の青は果して青と指摘して間違は無いのであらうか。(欧米のさまざまな文献からgreen leavesやgreen grassの表現箇所を引用/中略) 右の如く外国の普通読本に於て何れも木の葉や芝生を正しく緑と指摘して居るのを見るとき、吾々日本人は仮令永い習慣性に因るとは云ひながら色彩に対する名称の唱へ方が実にぞんざいではないか。/此の外欧米では緑柳(a green willow)、緑蛙(a green frog)と書物にも明記して居るが吾人は青柳、青蛙などと唱へて居る。
  
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池田化学工業1926.jpg 池田化学工業1935.jpg
 池田にとっては、アオムシは「ミドリムシ」であり、安全を意味する青信号は「緑信号」、青果店は「緑果店」と呼ばれなければ気持ちが悪いのだろう。事実、彼はこのあとグリーンピースを青豌豆と呼ぶのはおかしいにはじまり、さまざまな「青」がついた名詞の事例を出して、日本における色彩表現のおかしさ、非合理性、非論理性について言及している。
 さて、こういう人をなんと呼べばいいのだろうか? 「言語権威」のひそみに倣うなら、欧米の色規定に文字どおり染まってしまった「色彩オーソリティ」とでもいえば適切だろうか。たとえば、「美しい日本語」とか「美しい大和言葉」とかいう怪しげな表現を、なんの不可解さや不自然さを感じずに用いる人がいる。よくよく読んでみると、地域方言や生活言語をいっさい無視した、得体の知れない人造語「標準語」Click!に由来したり、一部を江戸東京方言の山手言葉や下町言葉の丁寧語、ないしは敬語・謙譲語から拝借したりする、生活言語や言語文化の野放図なゴッタ煮ケースが多い。「大和言葉」というからには、ナラや京都あたりの関西方言かと思えば、どうもそうではなくて南関東の方言に由来・依存しているものが多そうなのだ。
 たとえば、山陰地方の方に「因幡の白ウサギに登場するのは、ワニじゃなくてサメだよサメ。日本海にクロコダイルがいるわけないじゃん!」といったところで、「そげ魚は、ここでは昔っからワニだっちゃ」と、冷笑とともに素っ気なくいわれるだけだ。「お礼をいうときは、おおきにじゃないだろ? ありがとうございますとちゃんといえ!」と大阪人にいえば、たちどころに「あんた、大阪には二度と来(こ)んといて」と突き放されるだけだろう。色彩の表現とて、まったく同じだと思うのだ。
 確かに、画家やイラストレーター、各界のデザイナー、染色家などを職業とする方、つまりプロフェッショナルには色彩の厳密な規定と「標準色」化は不可欠だ。同様に、放送局でアナウンサーを職業にしている人には、「標準語」のマスターは必要なのかもしれない。だが、地方や地域にそれを無理やり当てはめ、その地方・地域ならではの色彩感覚や生活言語を押しつぶそうとするのは、「文化程度を向上」させることではなく、逆に文化の多様性や豊かさを否定する偏狭な誤りではないか。
 江戸東京郊外で採れた多彩な近郊野菜や果物を売る店のことを、わたしの地方では江戸期の昔から青物店あるいは青果店と呼んでいた。(関西では「八百屋」が主流だそうだが) 信号機が日比谷交差点に設置されれば、緑色をしていた進めの「安全色」はさっそく青信号と呼ばれている。森林や芝生は青々と茂り、山並みは青く連なり、まかりまちがっても「緑々」していない。それでも、空の青さと木々の青さを、「アオスジアゲハ」の青と「アオダイショウ」の緑を混同することはありえない。
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 これは、その地方・地域における方言、あるいは生活言語における慣習的な色彩表現であって、それが厳密な色彩規定ではないからといって、欧米に比べ「文化程度」がいつまでたっても低い……などとは思わない。それは、山陰地方の方がサメのことを「ワニ」と呼称しても、京阪神の人が礼をいうとき「おおきに」といったところで、「文化程度」が低いとはまったく思わないのと同様だ。
 池田元太郎が、どこの出身者かは知らぬが、昔の「青信号」に比べ現在の信号機はブルーグリーンの、まるでアオダイショウのようなw、微妙な色合いをしている。「青信号」なのに緑色じゃおかしい……と、きっと池田先生か、彼の本を読んだ誰かが戦後の東京でいいだしたのだろうか?w でも、「安全色」である緑色を完全になくしてしまうわけにはいかないのか、「曖昧」なままどちらとも取れる色合いにしたのかもしれない。
 また、池田はファッション界でブームになる「流行色」にも噛みついている。その文面から推察するに、「商売人」が一国の流行色を決めるのはケシカランといっているようだ。つづけて、同書から引用してみよう。
  
 然るに流行色が商策上、人為的に特定の人に依つて決定せられる場合が少くない。即ち有数な呉服店が協議し、一般の要求を斟酌せず、只管利益上の打算より或る色彩を決定し、而して盛にその色彩の衣服地を製造して、此れが流行色であると広告し宣伝する。かくて人々は自然此の商策に乗せられて何時かそれを以つて流行色と認めて了ふに至るのである。(中略) 其の色彩を使用することが、其の時の社会的事情・社会的気分に調和し、或る満足と安易な精神状態を保ち得るものでなければならない。此の点から考へても一部の者の商策等から流行色が決定せられる様なことではならない。
  
 池田化学工業に隣接する、三越デパートClick!染物工場の開発担当者が聞いたら、「お客様への詳細な市場調査を実施して、お好みの流行色を決めるようにいたしているのでございますが」と、さっそく池田先生に反論するかもしれない。w この本が出されてから15年後、「社会的事情・社会的気分に調和」するよう、軍国主義の「流行色」は国民服のカーキ色と国家的に決められたことで、池田ははたして満足していたのだろうか? また、戦後の中国で主流となった人民服を見て、統一された美しさだと感じただろうか?
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 文化面や生活面において「標準化」に寄り添う、あるいは「標準化」を推進しようとすると、逆に「曖昧」性が生じるという現象……。それは「標準語」を地方・地域の生活言語=方言(もちろん江戸東京地方の方言含む)に無理やり取りこもうとして生じる「曖昧」さや混乱に、どこかとてもよく似た現象のようにも思える。池田元太郎には、日本橋の「すずめ色」Click!というような曖昧模糊とした色彩表現は、きっと欧米に比べ「文化程度」が低い象徴のような、きっと許せない色名だったにちがいない。

◆写真上:田島橋の北側、下落合71番地に建っていた池田化学工業跡の現状。
◆写真中上は、1926年(大正15)に出版された池田元太郎『色彩常識』(丸善)。下左は、1926年(大正15)作成の「下落合事情明細図」に採取された池田化学工業。下右は、1935年(昭和10)作成の「淀橋区詳細図」にみる同社。
◆写真中下は、『色彩常識』より、絵画を日光の下で見た場合(上)と室内灯の下で見た場合(下)の色彩差異。このほか、同書には部分的にカラー印刷が挿入されている。は、1938年(昭和13)作成の「火保図」にみる池田化学工業。
◆写真下は、1936年(昭和11)の空中写真にみる池田化学工業。は、いまや「青」とも「緑」とも表現しづらい信号機の青信号。


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