昨年3月末に買った、当時はクラス最薄・最軽量(2012年7月に発売されたNECのLavieZに、現在はその座を奪われているのだろう)のウルトラブックが、暮れの仕事がいちばん忙しい時期に壊れた。1,000gちょっとのCore i7+4GB+SSD(102GB)を搭載したWindows7マシンで、どこへ出るにも手軽に持ち歩け、処理スピードにもまったく不満はなかったのだが、購入してからわずか8ヶ月でおかしな“ふるまい”を起こす製品は、長いPC生活の中では初めての経験だ。
やっぱり餅は餅屋で、家電系のメーカーではなく、ちゃんとICT専門のベンダー製品にしておけばよかったかな?・・・という思いが、さっそく頭をよぎった。これまで、自作したPC×3台を除き、会社でも家庭でも導入した製品は、大型コンピュータからネットワーク、携帯端末にいたるまですべての事業分野をカバーしている、技術の蓄積が豊富な専門のICTベンダー製品ばかりだった。ところが、このウルトラブックだけはその軽さや機能性、デザインなどに惹かれて、つい例外的に家電系の製品を選んでしまったのだ。導入後、わずか8ヶ月でおかしくなるとは思いもよらなかった。
さっそく、サポートセンターに連絡を入れて修理を依頼した。いまだ1年以内の保証期間中なので、当然、どのような不具合でも無償修理だと思っていたのが、そもそもまちがいのもとだった。今回の症状は、PCがECOモードでスリープ状態になった場合、それを元にもどそうとするとログイン画面にもどらず、また強制的に終了(リブート)しようとするとそれもできない・・・という、使う側にとっては手の打ちようがないものだった。PCはそのまま、スリーブ状態が恒常的につづく状態となる。おそらく、電源プログラムのどこかにバグがある・・・と思われるふるまいだ。
ところが、サポートセンターへ修理を依頼するだけで、ただそれだけで保証期間中に4,200円を請求されるとは思ってもみなかった。しかも、「そのような症状はみられなかった」・・・などというコメントがとどき、ついでに「基板に水をかぶった痕跡があるので、マザーボードを交換したほうがいい」などという“診断”結果がとどいて、じゃあ保証期間中なのだから無償で交換してくれるのかと思ったら、交換には約9万円近くかかるのだそうだ。マザーボード交換は、保証の対象には入っていないという。9万円あれば、DELLあたりで同性能の機種がもう1台買えるじゃんか。(爆!)
ちなみに、わたしはPCにコーヒーを飲ませたことも、水をかけたことも、風呂に浸かりながら極楽PC操作をしたことも、プールでウルトラブックを背負いながら泳いだことも、ましてや雨の中をPC片手に「雨に歌えば」を踊った憶えもない。仕事のデスク上で、あるいは打ち合わせの会議室のテーブル上で使用してきただけで、まったく腑に落ちないのだ。これはいったい、どういうことだろうか? 別の箇所の重大な不具合を、ひそかにリコールしようとしていると勘ぐられてもしかたないだろう。
保証期間中なら、どのような症状でも無償で診てくれる、ごくふつうのICT専門ベンダーの製品を使いなれていたせいか、この家電メーカーの対応にはあっけにとられた・・・というか、つくづく呆れてしまった。いつだったか、このメーカーの製品(なんの家電だったのかは忘れた)について納得ができないので電話を入れた顧客が、いつの間にかクレーマーの常習犯のような扱われ方をされ、そのような印象がマスコミを通じて流布された・・・という出来事があったけれど、これでは別にクレーマー常習犯じゃなくても、文句の電話のひとつやふたつ、かけてやりたくなるのもわかるような気がするのだ。もちろん、保証期間中にもかかわらず部品+作業費+サポート料で約9万円のマザーボード交換などとんでもない、そのまますぐに返送してもらった。
いまのところ、電源まわりのおかしなふるまいは再発していないけれど、いずれまた近いうちに起きるのかもしれない。次に起きたら、まちがいなく早々に廃棄処分にしてやろう。そして、重要なデータは、すべてクラウド上のストレージへ逃がしておこう。やっぱり、次は国内・海外製の別なく、コンピュータ専門のちゃんとしたシステムベンダー製品にもどることにしよう。
もうひとつ、昨年のクリスマスに知人から意外なプレゼントをいただいた。MacOS Xを搭載した、なんとMacBook Proだ。最新のマシンを購入したので、従来の製品を惜しげもなくプレゼントしてくれたわけだけれど、2010年に発売された仕様やデザインともに最新の機種に近い製品だ。
わたしは、Basic→DOS→WindowsないしはLinux(Ubuntu)と使ってきているので、アップル社のMacにはこれまでまったく縁がなかった。アップル社の製品で使っていたのは、学生時代を終えるころからBasicベースのせいぜいAppleⅡcとAppleⅡeぐらいまでで、ちょうど初代Macが発売されるころ、わたしはNECの日本語DOSマシン、8ビット機(PC-8801)あるいは16ビット機(PC-9801)を使用していた。また、1983年(昭和58)には、DOSマシンPC-9800シリーズの上をいくPC-10000(PC-98を凌駕するPC-100と呼ばれていた)が、NECの98開発部隊とはまったく異なる事業部の研究開発で発売され、さっそくそれも会社で購入して使っていた。
1983年(昭和58)の早々に発表され、発売されたPC-100(正式型番はPC-10000)は、いまや伝説化しているけれど、ほとんどすべての操作がマウスだけで完結できる16ビットPCであり、のちに発売されるMacやWindowsのコンセプトを先取りした、世界初の革命的なマシンだったと思う。当時としては超高解像度だった720×512picのディスプレイを、タテにしてもヨコにしても使える仕様で、日本語ワープロを利用するときはタテで、表計算ではヨコというように、MacやWindowsが登場する前夜の、次の時代を見すえた最先端マシンだった。JS-WordやMultiplanなどを標準で搭載し、バンドルされたアプリケーションでほぼふつうの仕事が完結できる性能を備えていた。わたしは、その圧倒的な高解像度からPC-100にグラフィックソフトを入れて使っていた憶えがあるが、仕事をせずに標準添付のロードランナーもずいぶん楽しんだ。
そんなDOS→(PC-100)→WindowsないしはLinuxのわたしに、Macをポンと気前よく贈呈していただけたのは、「Macのほうがすっごくいいよ~」なのか「Mac党になれば楽しいよ」なのか、はたまた「たまには気分を変えてイタズラしてみたら~」なのか、「MacじゃなきゃPCじゃねえ! 人間じゃねえ!」なのかは不明なのだけれどw、マシンを前に「ウ~~ン」・・・と腕組みをしてまった。操作がまったくわからないので、面くらったのだ。コンピュータは、もちろんDOS/WindowsやUNIX/Linuxを問わず汎用機のはずなのだが、こんな言い方ができるとすれば、Macは「パソコン専用機」なのだ。これまでの感覚やカンが、多くの操作で通用しない。クリックボタンがひとつしかないのも、なれてしまえばなんでもないことなのだろうけれど、メニュー表示にいちいち困惑する。
ドキュメント作成系のアプリケーションが入っていないので、クラウドのSaaSでこっそりOfficeを動かそうとしたら、さっそく冷えびえとした画面硬直とともに、「おとつい来やがれてんだ」とはじき出されてしまった。おそらく、クラウド側から「あんた、あたしたちの仲間じゃないよね? なりすましてるよね!」と叱られたのだろう。.NET(ドットネット) FrameworkがMac内に存在しないせいなのだが、さて、Javaあたりで動作するOffice互換のドキュメント作成SaaSあたりが、どこかでサポートされていないだろうか? いまのところ、こたつに入ってみかんを食べながらWeb活用しかできていないのだけれど、それだけではせっかくの高性能マシンがあまりにももったいないのだ。それにしても、Mac OSベースのブラウザSafariを通じて開くさまざまなWebサイトは、Mac搭載のわたしに馴染みのない日本語フォント依存も手伝って、これほど印象やレイアウトがちがって見えるのかぁ・・・と、改めてしみじみ実感している。もうひとつ、いただいといてなんですが、日本語IME(古い表現なら日本語FEP)「ことえり」の使いにくさは、なんとかならないものだろうか?
◆写真上:買って間もないウルトラブック(左)と、いただいたばかりのMacBook Pro(右)。
◆写真中上:保障期間中に修理センターへ送っただけで、4,200円を請求されたウルトラブック。保証対象外のメンテナンス作業や部品交換は保証書にちゃんと書いてあると、「読まないほうが悪い」と言わんばかりの対応だった。まるで、契約書をかざして損害を小さく小さく見積もる損害保険屋さんみたいで、技術に誇りと責任を持つITベンダーの姿はなかった。
◆写真中下:上は、Basicの勉強に使っていたAppleⅡc(左)と、PC操作にイノベーションを起こしたNECのDOSマシンPC-100(右)。下は、いままで縁がなかったモノめずらしいMacBook Pro。
◆写真下:Web閲覧しか使ってもらえないので、ちょっと怒りっぽくなっているMacBook Pro君。