街歩きのメンバーが20人を超えると、かなり大声を出さなければ説明が全員の耳にとどかない。わたしも何度か街歩きのグループへ随行し、街角で説明をさせていただいた経験からの実感だ。クルマの騒音があるような場所や、広めの公園では大声は目(耳)立たないが、静かな住宅街ではかなり遠くまで説明員の声がとどく。参加者たちの会話やざわめきは、生活音にまぎれて気にならないが、やはり静寂な住宅街での説明者の大声は、「何事か?」と耳をそばだててしまうことが多い。
落合地域に限らず、東京じゅうの住宅街ではゾロゾロ歩く街歩きの騒音に、迷惑そうな顔をする地元住民の姿を少なからず見かけている。大通り沿いや商店街では、別に大きな声が響いても気にはならないだろうが、問題は住宅街に入ってからの静寂な道筋だ。わたしも街歩きClick!が好きなので、あちこち歩いて迷惑がられても困る。そこで、これらの課題を解決するために、こんな街歩きのスタイル変革はいかがだろうか?
ウェアラブルデバイスは、すでにビジネスの一部ではあたりまえに使われている、クラウドとオンプレミスの双方に対応した仕組みだ。導入の多い現場は、プラント設備や機器類、配線配管などの保守/点検、物流(調達・配送を問わず)、流通(卸業)などの業務が中心だろうか。ウェアラブルグラスという、いわはメガネ端末を装着すると視野の一部にAR表示やポップアップウィンドウが開かれ、そこに片づけるべき業務の指示が現れる。必要なら、ネットを通じて音声による確認も可能だ。指示にしたがい、ウェアラブルバンドで腕に表示されるキーボード(別にJIS規格キーボードとは限らない)へ、必要な数値や情報、確認チェック事項を入力していくだけで作業が完了する。
熟練した作業員が、遠隔地(ネットで国内-海外でも可能)に設置された運用管理ルーム(あるいはPC端末の前)にひとりいれば、現場要員からもたらされる映像をチェックしつつ適切な指示だしができ、たとえ非熟練者が作業をしても的確にサポートできる。スマホなどモバイル端末でよく使われる、ARマーカーの設置さえもはや不要だ。カメラがとらえた3D画像認識で、瞬時に作業員がどこにいるのか、あるいは正確に当該の建物や設備、機器の前に立っているか、危険なエリアや設備へ近づいてないか……などを、そのつど自動的にチェックしながら業務を進めることができる。
ウェアラブルデバイスのいちばんのメリットは、ハンズフリーということだろう。片手に入力端末や紙の作業指示書を持ちながら、片手で作業をするという従来の手順が一掃される。両手が使えれば、より安全かつスピーディに仕事をこなすことができる。いちいち操作を憶える必要もなく、表示の指示にもとづいて直感的に操作できるのも楽だ。おそらく、銀行のATMの画面表示なみに迷いがなく簡単だろう。腕に表示されるバーチャルキーボードは、そのつど必要なボタンしか現れないので、操作に迷うことがないのだ。また、キーを押すと身体感覚があるので、接触・非接触を確実に認識して入力することができる。さらに、地下鉄ホームなみの騒音下(90db以上といわれる)でも、大声や身ぶり手ぶりで意思疎通を図る必要がなく、スムーズに仕事が進行する……。
上記の特徴は、あくまでも業務におけるウェアラブルデバイスの活用だけれど、これを博物館/美術館めぐりや街歩きに用いたらどうなるだろう。まず、ハンズフリーなので紙資料の持ち歩きは必要がなくなる。ある史跡や作品の前に立てば、自動的にそれを認識して解説文や、関連する図版・写真、今昔地図などを必要に応じて表示させることができる。自身が興味のある対象であれば、より詳しく史跡や作品の解説も参照できる。操作は、腕に表示される「概要」「詳細」「関連図版」「人物」などのボタンを押すだけで、グラス内へ必要な情報がディスプレイされる。
美術館などで見かける、ヘッドホンなどを使った単純な音声ガイダンスとは本質的に異なり、表現できるコンテンツはマルチメディアで豊富だ。解説のミスや説明のし忘れも防止できるし、随行員は安全性やほかの気配りに集中できる。もちろん、肉眼でいろいろ観察したければ、ただウェアラブルグラスを外せばいいだけだ。観光地では、ハンドマイクを使ったガイドの耳障りな騒音も解消されるだろう。
この仕組みを街歩きに活用すれば、資料片手にうつむいて読みこむ必要もなければ、随行員が大声で解説することもないし、スマホやタブレットの情報に気をとられ電柱に衝突することもない。また随行員(リーダー)は必ずしもその街について細部まで知悉している必要もない。道をまちがえそうになったら、リーダーのウェアラブルグラスへ「どこ行こうてんだい、崖から落っこっちまうぜ。そこを右折に決まってらぁな」と音声ガイダンスが伝えられる。w
つまり、グループリーダーさえいれば、たとえその街に詳しい人物がひとりもいなくても、それなりに街歩きができてしまうのだ。でも、やはり詳しい人物がひとりいないと、参加者からの個々の質問には答えられないので、実際には仕事上はラクになったとはいえ、街の歴史や地場の記憶に通じた随行員の付き添いが必要かもしれない。
また、事前に表示されるコンテンツを、街歩きの性格や参加者の興味に従って、自由にカスタマイズしておくのも面白い。「美術」「文学」「建築」「近代史」「自然」「江戸」……などなど、テーマ別にコンテンツをつくり分けることができる。その“現場”に立ち、昔の風景や建物の写真、作品、古地図などを、解説とともに実景に重ねて表示することができるのだ。森林公園で鳥の鳴き声が聞こえたら、その鳥の画像や解説をすぐに表示させることも可能だろう。WiFiアクセスポイントのない地域であれば、クルマかバイクにインフラレス対応の広域中継APを積んでおけばいいだけの話だ。
ひとつ難点があるとすれば、ウェアラブルグラスはメガネと同じなので、製品デザインによっては視野のすみがフレームでさえぎられることだ。つまり、グラス内の表示に気をとられすぎて、クルマの接近には注意が必要だろう。(ただし、スマホをうつむいて見つづけるゲームよりは安全だ) 周囲の音は通常どおり聞こえるので、解説の負荷が低減されたリーダーが気を配れば大丈夫だとは思うが……。もうひとつ、歩いたコースの資料が欲しいという参加者へは、あらかじめ作成しておいた資料データを、PCやスマホ/タブレットなどの端末へ向け自動配信する必要があるだろうか。腕のキーボードに「資料ちょうだい」ボタンを備えていれば、PPTやPDF資料を事前に登録してもらっていたメアドへ、すぐに配信できる仕組みにすれば可能だろう。
以上は、おもに街歩きをする参加者側のメリットを書いたけれど、主催者側のメリットもいろいろと考えられる。随行員の都度による下準備や資料作成の負荷が、大きく軽減されるのもそのひとつだけれど、街歩きを重ねるごとに多種多様なデータが蓄積されていくことだ。参加者がなにに興味を多く持ったのか、どこでどのような操作が行われ、どのようなタイミングで誤操作が発生したのか、どの解説がもっとも読まれているのか、どこで道をまちがえそうになったか、トイレの位置確認はどのあたりが多かったか、参加者からの質問内容にはなにがあったのか…etc.、リアルタイムで蓄積されていくデータの傾向分析を通じて、いろいろなことが見えてくるだろう。それを、次回の街歩きや新たな催しに反映させれば、より的確でスムーズな実施が可能になるにちがいない。
ウェアラブルデバイスへの問い合わせは、すでに博物館や美術館、病院(病院は腕時計や金属バンドは禁止)などからもきていると聞いている。だが、それはあくまでも館内/構内での用途だ。せっかく「ウェアラブル」な仕組みなのだから、屋外で活用してこそ高度な3D画像認識機能も含め、本来の機能を発揮できるのではないかと思うのだ。下落合のあるポイントに立つと、目白文化村Click!や近衛町Click!の街並みがよみがえり、道を歩いていると佐伯祐三Click!の『下落合風景』Click!が描画ポイントで表示される……、そんな日が案外早くやってくるのではないかと思う。道端へ記念プレートや史跡看板を建てるよりも、圧倒的にスピーディかつ低コストで実現することができる。しかも、新たな発見による記述の変更や更新も、一度設置されてしまったプレートとは異なり瞬時に完了する。
ウェアラブルグラスなどのデバイスは、市販の製品を活用できるマルチベンタ―対応で、OSSを含むマルチプラットフォームの環境が望ましい。できれば、クラウドばかりでなくオンプレにも対応して、既存システムを抱える自治体やNPOなどへ導入しやすい環境が望まれる。記念プレートをひとつ建てるのに、地代も含めてひとつ50万円以上かかるとすれば、おそらくその数個ぶんで、ある地域全体をカバーできる「ウェアラブル遠隔街歩き支援システム」ができてしまうだろう。発生するのは、基本的にデバイス費用とアプリケーションだけで、システム基盤への新たなイニシャルコストはほぼ不要と思われる。
◆写真上・中:ウェアラブルグラスの視界内へ、周辺の画像認識によりこのような情報を表示させるのは技術的には可能だが、あくまでもイメージとしてお考えいただきたい。ベースになっている街角写真は、Googleのストリートビューより。
◆写真下:一例として、NECの「ウェアラブル遠隔業務支援システム」サイトClick!より。ウェアラブルグラスは単眼例で、腕のキーボードやボタンは自在にカスタマイズできる。