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Channel: 落合学(落合道人 Ochiai-Dojin)
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高田農商銀行のピストル強盗事件。

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水車橋.JPG
 秋山清Click!といっしょに住んでいた母親は、着物の仕立てや洗濯が上手だったらしく、人づてに依頼されては生計の足しにしていた。秋山家は、第一文化村内の家Click!を借りて住んでいたので、隣り近所から依頼される仕立ての仕事はほとんどなかっただろう。目白文化村Click!では、大正期から和服ではなく洋装の生活がふつうであり、町内での着物姿は逆にめずらしかったにちがいない。
 仕事がていねいだったらしい秋山清の母親へ、仕立てや洗濯を依頼していた人物の中には、上屋敷(あがりやしき)の宮崎白蓮(柳原白蓮)Click!もいた。ときに、白蓮はわざわざ第一文化村の秋山家を訪ねて挨拶をしている。彼女が、アナーキストの秋山清宅を訪ねるのは奇異に思えるが、当時、夫の宮崎龍介Click!も全国労農大衆党の仕事をしていたので、それほど違和感を感じなかったのだろう。また、白蓮自身も近所の九条武子Click!などの知り合いを訪ねるかたらわ、目白文化村のモダンな街並みを見学しながら、吉屋信子Click!のように散歩したかったのかもしれない。
 そのときの様子を、1986年(昭和61)に筑摩書房から出版された秋山清『昼夜なく―アナキスト詩人の青春―』から引用してみよう。
  
 かくして知人友人は多くなっていったが、食うためにどう働いていたのかがさっぱり思い出せない。丘を下りて、すぐ近い西武電車の中井駅、たびたび書いて来たようにその近くにはかつて黒色戦線社があり、なおこのあたりには知人がいた。同じ文化村のずっと西の方には『解放劇場』以来の八木(秋子)さんがいた。/ある日彼女は母をどこかへ連れて行った。後にきくところでは、西武電車の池袋線に当時在った「あがりやしき」駅の近くにいた歌人の宮崎白蓮(または柳原白蓮)さん宅に母を伴って行った由であった。それから母は白蓮さん宅の、キモノの仕立や洗濯など、引受けることになり、ある日皮膚のきめの細かい、細面貌の人が来て、挨拶したこともあった。あの有名な大正の恋愛事件の主人公だなとすぐわかった。/それから二、三近所の家の人たちともそんな往来があるようだった。この頃のわが家のかまどの煙は多く母のはたらきにかかっていた。
  
 文中にある「西武電車の池袋線」は戦後の呼称であり、当時は武蔵野鉄道Click!上屋敷駅Click!のことだ。「女人藝術」Click!執筆者のひとりだった八木秋子(八木あき)が暮らしていたのは、高群逸枝Click!らがいた「熊本村」の近く、勝巳商店Click!が1940年(昭和15)1月から売り出した目白文化村(通称は第五文化村?Click!)の西側だったと思われる。
 おそらく、秋山清の困窮を知っていた八木秋子が、白蓮を秋山家に紹介したものだろう。ちなみに、しばらくすると八木秋子は、群馬県の陸軍大演習で「武装蜂起」を画策したという特高Click!のデッチ上げにより、1934年(昭和9)秋に逮捕され投獄される。
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 秋山清たち、落合地域に住むアナーキストが行きつけだったのは、下落合の丘を下ったところにある中井駅前の喫茶店「ワゴン」Click!ではなく、上落合を越えて中央線・東中野駅のすぐ近くにあった喫茶店「ラ・モンド」だった。コーヒー1杯が10銭で、新聞を読みながら友人と話すのが楽しみだったらしい。秋山は万昌院功運寺Click!北側の崖下、上高田300番地で「ヤギ牧場」Click!を経営するようになってからも、頻繁に「ラ・モンド」へコーヒーを飲みに通っている。
 1935年(昭和10)11月のある日、秋山はそこで読売新聞の夕刊を見て愕然とする。目白にある高田農商銀行Click!にピストル強盗が押し入り、なにも盗らずに逃亡したという見出しが躍っていたからだ。「非常時下の計画/アナ系の陰謀発覚/銀行ギャングの首魁逮捕」の大見出しで、同年11月6日に起きた銀行強盗事件が報道されていた。ギャングのふたりは、「無政府共産党」に属するアナーキストの相沢尚夫と二見敏夫であり、相沢は逮捕されたが二見は逃亡中と書かれていた。
 高田農商銀行は雑司ヶ谷村の戸長で、のちに高田村村長になった新倉徳三郎Click!らが創立した銀行で、しばらくすると箱根土地の堤康次郎Click!に乗っ取られている経緯はこちらでご紹介している。同行は山手線・目白駅近くではなく、大正期までは高田町でもっとも繁華だった鬼子母神参道の東側、四ッ家通り(目白通り)に面した雑司ヶ谷四ッ家(谷)町Click!310番地(現・雑司ヶ谷2丁目2番地)に開店していた。以下、銀行強盗事件が起きたあとのアナーキスト大量検挙の様子を、1935年(昭和10)11月13日に発行された報知新聞から引用してみよう。
  
 潜行運動暴露しアナ系の総検挙/銀行ギャング逮捕から発覚/市内に同志三百名
 豊島区高田農商銀行を襲つた銀行ギヤング犯人が意外にも当局要視察中のアナキスト相澤尚夫であり、しかもその目的がアナ系組織の結成とわかつたので警視庁特高部では果然緊張、十一日夜は安倍特高部長、毛利同課長以下鳩首協議の上中川、矢野両主任警部を中心に神戸へ出張中の片岡警部補と直通電話で連絡しつゝ特高課員を総動員各署と協力して疾風的に市内に散る三百余名のアナ系人物の総検挙に乗出し、西神田署では神田区神保町一の三六全国労働組合自由連合会本部を襲ひ三田利一(二一)外婦人をまじへて十七名、ギヤング事件の捜査本部に当てられた目白署では五名、杉並署では六名の検挙を初め各署の検挙は徹底して行はれ多数に上つた、
  
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 秋山清は、「無政府共産党」とは思想路線上のちがいから無縁だったが、構成メンバーの何人かとは知り合いだった。だから、この事件後には遅からず、必ず特高が自宅へ検束にやってくることを予期していた。その前に、牧場で飼育しているヤギ15~16頭の世話を誰かに頼み、母親にしばらく帰れないかもしれない事情を説明する必要があった。
 上掲の記事にもあるとおり、東京市内各署の特高係がアナーキストたちの家へ踏みこんで検挙したのは、1935年(昭和10)11月11日の深夜だった。おそらく、秋山清が「ラ・モンド」で事件の記事を目にしたのは11月7日のことであり、その4日後に彼はなんの容疑かは不明のまま特高に連行されている。秋山清は逮捕される直前、4日間の猶予を利用してヤギ牧場の経営委託を、西落合にいる知人(目白文化村時代に知り合った、ヤギを分けてくれた人物だろう)へ依頼しに出かけている。再び、前掲書から引用してみよう。
  
 そこで夕刊の記事を読み、家に帰り、出来ていた夕飯を食べながら、母に話した。/今夜か、明日の朝は来るだろう。だが「無政府共産党」の名で起こったことが事実でも、しかし無関係とはいえない人々が事件を起こしたとすれば来るだろう。何事かは来る。これまでも、留置されたことはままあったのだから、母にそんなくらいならと思わせるために、気軽くそういった。いくらか長いかもしれないが、というと母は「山羊の世話があるからな」といった。それからシャツや股引きの洗濯したのを包んで、手製の寝台の横に置いてから出かけた。/少し遠まわりだが垣根の向うの墓地を通り、乞食村を抜け、妙正寺川を越して山羊のことを頼みに行った。やっぱり十匹ばかり飼って、「オリエンタル写真」の向うに家があり、その人の弟子みたいに山羊を買い覚えたのだ。四、五日くらいになるかもしれんから、と頼んで来た。
  
 11月11日深夜11時に、特高の刑事10人は秋山宅へいきなり土足で踏みこみ、寝ていた秋山清を押さえつけた。やってきたのは杉並署の特高だったが、連行されたのは上高田エリアが管轄の中野署だった。彼はそこで1ヶ月ほど拘留され、「無政府共産党」の銀行強盗事件とは無関係だったことが判明したせいか、あるいは家に残された母親が病気になったからなのかは不明だが、意外に早く釈放されている。
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 秋山清のヤギ牧場は、翌1937年(昭和12)5月までつづいたが、仕事がたいへんなわりには収入が少ないのと、母親が身体をこわしたのとで存続できずに閉業している。牧場をやめると同時に、秋山一家は功運寺墓地の北側から、東洋ファイバー工場の西側にある住宅街へ、つまり同じ上高田の小さな借家へと引っ越している。同年7月より、秋山清は茅場町にあった「材木通信」社へと勤めることになった。

◆写真上:下落合側からヤギ牧場跡へ向かう、稲葉の水車Click!があった水車橋。
◆写真中上上左は、1926年(大正15)作成の「高田町住宅明細図」にみる四ッ家(谷)町の高田農商銀行。上右は、1919年(大正8)に出稿された高田農商銀行の媒体広告。は、アナーキスト大量検挙を報じる1935年(昭和10)11月13日発行の報知新聞。
◆写真中下は、1919年(大正8)に撮影された四ツ家(谷)町通りで黄色矢印が高田農商銀行。は、1925年(大正14)に撮影された同銀行外観。
◆写真下は、高田農商銀行強盗事件を報じる1935年(昭和10)11月7日発行の東京朝日新聞。は、喫茶店「ル・モンド」があったとみられる東中野銀座商店街の現状。


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