Image may be NSFW.
Clik here to view.
今年の「夏休みの自由研究」はこれ、十三間通り(新目白通り)の工事について。
★
冒頭の写真は、十三間通りClick!(新目白通り)=放射7号線の工事で消滅してしまう、目白文化村Click!(第二文化村)の道路沿いの一画だ。家の前に、コンクリート製のゴミ箱が設置されているのが懐かしい光景だが、現在、手前に写る街並みはすべてが十三間通りの下になっている。この道路工事で、目白文化村は第一文化村と第二文化村の途中が大きく分断され、ひとつのまとまった共同体としての“街”の維持がむずかしくなった。
1964年(昭和39)2月13日発行の「落合新聞」Click!に掲載された写真の道は、第一文化村側から第二文化村側へと抜ける二間道路の1本で、この道を北上すると神谷邸Click!の“「”字型の曲がり角にさしかかる。画面の中央付近に立っている人物と、電柱の右手あたりが菅瀬邸で、その手前の石垣が林邸から田原邸、手前の左手が斉藤邸でその先が高峰邸という家並みで、下落合3丁目1367番地(現・中落合3丁目)の風景だ。この画面の背後には、外観が洋風で内部がほとんど和室だった鈴木邸Click!が、空襲で焼けるまで建っていたはずだ。
道路右手に写る人物の先には、安倍能成邸Click!の大きめな屋根が見えている。大正期から住んでいた第二文化村の安倍邸Click!敷地(下落合4丁目1655番地)は、この時期になると息子の安倍浩二に譲っており、安倍能成はそこから東へ70~80mほど離れた第二文化村の旧・石川邸敷地(下落合3丁目1367番地)へ新たに家を建てて住んでいた。戦後の新・安倍邸の南隣りには、やはり空襲で焼けてしまったテラスにソテツが目立つ、松下邸Click!の大きな西洋館が建っていた。
目白文化村の真ん中を十三間通りが横切ることについて、当初からいろいろと紛糾したようだ。だが、少子化や高齢化の進行とともにクルマが急減しつづけている現在Click!とは異なり、当時は高度経済成長のさなかでクルマの台数は増えつづけ、住宅街の細い道路まで交通渋滞が起きるような状況だった。したがって、目白文化村の町会はしぶしぶ同意している経緯が透けて見える。落合新聞の1964年(昭和39)2月13日号から、竹田助雄Click!の記事を引用してみよう。
▼
去る人の立場に
文化村一帯は都内二十三区の中でも最も快適な環境をたもっていることで有名である。関東大震災以降、とくに西武鉄道が昭和二年に開通してからこの辺は急速に高燥住宅地として発展し、のどかな住宅街を形成した。したがって三十年四十年と住みなれた人が多い。また文化村という名前はもはや個人の姓名の一部にもなっている。このことを考慮しこれを捨てさることの気持は、現在いきづまっている交通事情を緩和し、残る居住者へ影響する利益も加味して補償問題なども考慮しなければならない、というのが残る多くの人々の良識になっている。
▲
Image may be NSFW.
Clik here to view. Image may be NSFW.
Clik here to view.
Image may be NSFW.
Clik here to view.
Image may be NSFW.
Clik here to view.
さて、落合地域における十三間通りの用地買収および工事は、山手通り(環六)より北西側からスタートしている。以下、落合新聞に掲載された工事進捗の写真とともに、その様子を年代を追って紹介していこう。
まず工事がスタートしたのは、すでに西落合に沿って戦時中から完成していた十三間通りと、目白通りとが交差する地点の南側だった。写真①は1965年(昭和40)4月現在で、目白通りから南下した165mほどの工事が進められている。撮影ポイントは、工事中の道路に入りこみ北西を向いて撮影されたもので、画面をを左右に横切っているのが、目白通りの西端から新青梅街道へと抜ける地点だ。同年春の時点で、西落合の目白通り交差点から下落合駅前までの用地買収は、いまだ50%ほどしか進んでいなかった。
つづいて同年6月には、目白文化村が分断されてしまうため、第一文化村側から第二文化村側の下落合みどり幼稚園Click!(下落合教会Click!)へ通う園児たちのため、また同じエリアから落合第二中学校へと通う生徒たちのために、歩道橋を設置する計画が持ちあがっている。これは、同じ十三間幅(約24m幅)をもっていた環状七号線で、同時期に事故が多発していたからで、道路を渡りきらないうちに歩行者がクルマにはねられる、老人や子どもの事故が急増していた。その交通状況を踏まえ、落合第二中学校と同PTA、のちに落合第一小学校Click!も加え、東京都に歩道橋の設置を申し入れしたものだ。当初は、落合第二中学校の前通りの東側にあたる升豊酒店(現・セブンイレブン)の前に想定されたが、その建設位置をめぐり、のちに東京都と住民側とで対立を生むことになった。
この時期になると、下落合駅前あたりの工事予定地の土地買収が少しずつ進み、あちこちに「用地買収済み」の立て看板が建てられている。写真②は、下落合駅近くの閑静な住宅街で、現在の聖母坂Click!と十三間通りの交差点西側から、東を向いて撮影されたものと思われる。地番は下落合3丁目1119番地あたりで、戦前は西坂Click!の下に陸軍元帥の川村景明邸Click!が建っていたあたりだ。
Image may be NSFW.
Clik here to view.
Image may be NSFW.
Clik here to view.
Image may be NSFW.
Clik here to view.
土地買収で立ち退きを迫られた人たちは、当初、大きな誤解をしていたらしい。道路用地の買収で退去ということは、東京都が土地や家を丸ごと買い取ってくれて、さらに同等の価値をもつ土地と家屋を近くに用意してくれる……という、漠然とした補償計画を想定していたらしい。だが、東京都が買うのはあくまでも土地だけで、上に載っているものは基本的に「どうするかは知らない」なのだ。だから、立ち退きを迫られた住民は、新たに土地を見つけて購入し、そこへ既存の建物や庭を移築するか、新たに家を設計して建てなければならない。しかも、移築や新築の期間はどこかへ仮住まいをしなければならず、生活に大きな支障をきたすことになった。
もちろん、移築費や新築費、仮住まいの経費、転居費用などは東京都へ請求できたのだが、道路計画予定地には戦時中に空襲で焼けた家々も多く、戦後になって建てた築15年ほどの住宅が多かった。したがって、家がボロボロで移築に耐えられず(都が判定したのだろう)、よその土地へ家を新築するケースよりも、既存の住宅を移築するケースが圧倒的に多かったとみられる。用地買収で立ち退きになり、練馬へ転居した元・目白文化村の住民から、落合新聞編集部あてに手紙がとどいている。
▼
こちらは静かなところです。ヒバリも啼いています。でも、ひどく不便です。住めば都で慣れると思いますが、文化村のような便利で、しかも静かなところで、小鳥のくるような処が都会の山の手から消えていくのですね。
▲
1965年(昭和40)11月12日の落合新聞には、目白文化村の邸宅で造園業者が、大きな庭石の移転作業をする様子(写真③)がとらえられている。
1966年(昭和41)の夏ごろ、下落合駅前から山手通りまでの用地買収が、ようやく完了しているようだ。同年11月までに道路用地の立ち退きは完了し、東京都は1968年(昭和43)3月末までに完成する計画を立てている。また、このころになると十三間という幅広い道路沿いに、いち早くビル状の高いマンションを建てる工事も進捗している。写真④は、下落合駅のある側から山手通りのある方角を向き、右へカーブする工事中の十三間通りを撮影したものだ。住所は、下落合3丁目1146番地(現・中落合1丁目)あたりの情景ということになる。
Image may be NSFW.
Clik here to view.
Image may be NSFW.
Clik here to view.
Image may be NSFW.
Clik here to view.
工事中の道路左手には、すでに8階建て(ペントハウス含む)の中落合マンションが建設中で、その前後には白っぽいプレハブの建屋が見えている。いずれも、工事関係者の事務所や宿泊施設だが、中落合マンションの先に見えているのが、東京都が工事用に設置した第一特別街路建設事務所だ。この区間は住民が立ち退いたあと、写真の前方に見えている山を切り崩し、切り通し状に道路を建設しなければならず、山手通りとの交差点下をくぐるアンダーパスも含め、工事リードタイムを非常に要する工事計画が目白押しだった。
<つづく>
◆写真上:十三間通りの工事前、下落合3丁目1367番地界隈の第二文化村は二間道路沿いに建っていた、菅瀬邸(手前)と安倍能成邸(奥)をとらえた写真。
◆写真中上:上左は、1960年(昭和35)の「住宅明細図」にみる冒頭写真の撮影ポイント。上右は1966年(昭和41)の同図にみる撮影ポイントで、左上から道路工事の進捗している様子が採取されている。中は、撮影ポイントから見た二間道路跡の現状。右手の茶色いマンションが、下落合3丁目1367番地の安倍能成邸跡。下は、1982年(昭和57)の住宅明細図にみる撮影ポイント。
◆写真中下:上は、1960年代初めごろの十三間通り(放射7号線)計画平面図。中は、工事がスタートした現在の西落合1丁目と中落合3丁目の境界あたり。下は、消滅してしまった下落合3丁目1146番地界隈(下落合駅前)の住宅街。
◆写真下:上は、庭石を運びだす目白文化村の立ち退き住宅。中は、工事が進捗しはじめた下落合駅前交番前を西に向いて撮影したもので、建設中の中落合マンションがとらえられている。下は上掲写真の現状を撮影したもので、中央の空港管制塔のようなペントハウスを備えた茶色いビルが中落合マンション。
↧
十三間通りの工事あれこれ。(上)
↧