東京メトロ東西線の落合駅から西へ250m、歩いて3分ほどのところに正見寺がある。落合地域の外れの同寺に、水茶屋(江戸期の喫茶店)「鍵屋」で働いていた大江戸稀代のアイドルで、看板娘の笠森お仙Click!は眠っている。もっとも、正見寺はもともと江戸の市街地にあって、1909年(明治42)に上高田へ移転してきた。
美人薄幸なんていうけれど、お仙は武家の養女に迎えられ、幕府の御家人と結婚し9人の子どもをもうけて幸福な生活をつづけながら、当時としてはかなり長寿の76歳で没しているようだ。さて、2016年も押し詰まった暮れのオバカ物語は、笠原お仙がとうに結婚し江戸市中で50代の日々をすごしていたころ、江戸郊外の下高田村が舞台だ。時期は1800年(寛政12)ごろ、場所は俳句の句号が杲山楼宗周こと金子直德Click!の自宅にて。
★
「直さん、聞いたかい? 南畝Click!さんが連日、また水茶屋通いだとよ」
「あの人ぁ武家だろ、マジメに勤めりゃいいのにさ。いい歳をして困ったお人だねえ」
「ありゃ、ほとんど病気だわな。これ、読んでるかい?」
「なんだい八兵衛さん、この本は? …なになに、『売飴土平伝』?」
▼
俄かにして一朶の紫雲下り 美人の天上より落ちて 茶店の中に 座するを見る 年は十六七ばかり 髪は紵糸の如く 顔は瓜犀の如し 翆の黛 朱き唇 長き櫛 低き履 雅素の色 脂粉に汚さるゝを嫌ひ 美目の艶 往来を流眄にす 将に去らんとして去り難し 閑に托子の茶を供び 解けんと欲して解けず 寛く博多の帯を結ぶ 腰の細きや楚王の宮様を圧し 衣の着こなしや小町が立姿かと疑う
▲
「一たび顧みれば 人の足を駐め 再び顧みれば 人の腰を抜かす……、ちっ、な~にいってやんだい、ええ? 腰が抜けそうな、いい歳をしたモモンジイがさ」
「いや、直さん。こりゃ南畝さん20歳んときの、お仙追っかけの記なんだけどさ」
「じゃあだんじゃねえや、還暦が近くなって小娘の追っかけしてりゃ世話ねえやな。今度ぁ、どこの水茶屋の小娘に首ったけなんだい?」
「まぁ、そいつぁ置いといて。ところで清風さんが水茶屋を出すの、知ってるかい?」
「なに、珍々亭が? 相変わらず八兵衛さんは、早耳だねえ」
「いんや、直さんが『和佳場の小図絵』Click!の下巻にかかりきりだったから世間知らずなだけ。このあたりの連中(れんじゅ)は、みんな知ってるさ。そこのよ、大ノ山の向こっかわ、溜坂Click!脇の眺めのいいバッケClick!の張り出しだってよ」
「ふ~ん、そいつぁ初耳だな。富士がきれいに見えそうなとこさね」
「そうそう、いま富士山がよく見えるようにてんで、木を伐らしてるとこなんだ。そこで富士でも愛でながら珍々のやつ、句会でも開こうかてえ寸法らしいや」
「そりゃ珍々の清風さん、さすが風流でいいやね。南畝さんとは、大ちがいさな」
「そいでね、珍々亭の茶屋を手伝うてえのが、清風自慢の娘のお藤ちゃんなんだと」
「…お藤? …さぁて、あたしゃ知らないよ。会ったことないなぁ」
「今度18んなるんだけどもね、そりゃあんた、べらぼうなんだな、直さん」
「そんな、箸にも棒にもかからない、オバカ娘なのかい?」
「いやいや、親に似ず、大べらぼうの別嬪なんだな、これが」
「おいおい、八兵衛さんまで南畝のマネかい? 冗談は、馬の尻(けつ)みたいな顔だけにしといてくれろ。まあ、清風のさ、あれよりゃマシてえこったな、へへ」
「あれ? あれたぁ、なんだい?」
「清風のあれさ、モモンガアみてえなおかみさんが見世前に立ちゃ、おっかながってお客が寄りつっかどうか、へへ、心配になるてえもんだわなぁ」
「あの芭蕉翁Click!までがさ、【目にかゝる時や殊更五月ふじ】なんてえ句を詠んでるぐらいだからさ。…今度お目にかかるときは、ことさら若葉の梢がゆれる五月の気持ちがいいおてんとう様の下でね、お藤ちゃん、チュッ…な~んてな」
「ふ~ん、なんだか芭蕉翁にしちゃ、ずいぶんくだけた句詠みだねえ」
「芭蕉先生も、岡惚れしてたんだろうさ」
「…芭蕉翁は、お藤ちゃんが生まれる100年前(めえ)に死んじゃいなかったかい?」
「ま、細かいこたぁいいっこなし。直さん、今度、珍々の句会へいっしょにいこ」
「直さん、どうだい、いった通りだろ? なっ、句会へ出てよかったろうよ?」
「うん、…まあな」
「みんな、お藤ちゃんに見とれてさ、富士山なんか見ちゃいねえのさ」
「八兵衛さん、【ふじを見る国に生れて男たり】は、あんまし直截的すぎて野暮だねえ。だいいち句の品性が台なし、お話んならないきゃぼClick!さだね。…つまらん!」
「おや、直さん、ちょいと不機嫌な大滝秀治Click!さん、入ってるよ」
「誰だいそりゃ? …ねえ、誰?」
「それに杲山って、これ宗周さん、ぜんたいあんたの句じゃぁないか」
「…あ、そっか。ところで、瀾閣の【ふじも今朝浅黄着かえて時鳥】なんてのは?」
「瀾閣さん、ずっと朝からお藤ちゃんの浅黄色の着物に見とれてたもんなぁ。だけどさ、あれ着物見てんじゃないよ、身体の線を見てんだな。助平親父だぜ、ったく」
「マジかいClick!、そりゃ助平だ。八兵衛さんのいうとおりだ、そりゃ許せん! 毛が薄くて、髷も満足に結えねえジジイが詠む句じゃないてんだ」
「じゃ、直さん。この、柳枝の【みな月やふじも肌着の衣かへ】は?」
「へッ、へへへヘヘヘ」
「おや、直さん、気に入ったかい?」
「へへへ、…いんや、野暮で下品で、助平でつまらん! ああいう色ぼけジジイはさ、一度、四ッ家町の源庵先生にオツムでも診てもらやぁいいんだ」
「じゃあ、お藤ちゃんの親父さん、清風の【油浮く小春の凪やふじの色】てえのは?」
「…ヒッ、ヒヒヒヒヒヒ」
「おや、上作かい?」
「いやいや、だいたい実の親父の珍々亭がだ、娘の色気がなんだ、肌に浮く油がどうしたこうしたなんてえ句を詠んでるから、句会の同人にしめしがつかんのだ」
「じゃあさ、直さんこと宗周の【心なき雲さらになしふじの春】はいいのかい?」
「いいねえ、スッキリとすがすがしいねえ。お藤ちゃんにピッタリの句じゃないかねえ。どこかこう、ウキウキして駆けだしたくなるような、春の日の上気したお藤ちゃんなのさ。へへ、そうじゃないかい、ええ?」
「そういうの、自画自賛てんじゃないのかい?」
「なぁに言ってやんだい。助平そうな、三國連太郎Click!みてえな面ぁしてさ」
「誰です、そりゃ? …え、誰?」
「この目白山人の句なんて、見てみろい。【言外の情ありふじに三日の月】なんて、どういう了見だい? ええ? 思わせぶりで、キザで嫌味で、おきゃがれてんだClick!」
「月に三日だけ、どっかで逢引きしようと、お藤ちゃんの情けにすがった句だぁね」
「じゃあだんじゃねえや、お藤ちゃんの身持ちはかたいんだ。まったく、どいつもこいつもお藤ちゃんばっか見て欲情してるから、句に妄想が出て助平でつまらんのだ!」
「…自分のこたぁ、すっかり棚上げさね」
「あん? そっち向いて、誰としゃべってんだい?」
「来年の句会に、期待しましょうや。ええ、直さんよ」
「今年の句会は駒込や葛飾、遠く上総東金なんてとっからも参集して盛大だったねえ」
「で、直さんの気に入った句はあったかい?」
「うん、其鏡の【日の本の誉やふじの初日影】、これなんざいいねえ」
「其鏡さんは、寒いのに正月からお藤ちゃん参りかい。ちょいと、大げさすぎやしないかねえ。日の本じゃなくて、せめて大江戸ぐらいにしといたらねえ」
「こっちの、兆水の【桜さく色より高し雪のふじ】なんてのも、へへ、いいやな」
「確かに、お藤ちゃんの肌ぁ雪のように白いからなあ。それがまた、春の日の薄っすら桜色に染まったお藤ちゃんの頬っぺ、たまらないねえ、ええ、直さんよ?」
「翫之の【こがらしや夕陽をいだくふじの照】も、いいねえ。丘上に立つ、木枯らしで裾元が乱れた5尺6寸の、お藤ちゃんのスラッとした姿らしいやね」
「こいつぁどうだい、直さん? 九園斎の【こがらしや鼻突き合すはたち山】」
「そりゃ、だめだね。こいつぁさ、木枯らしが吹いたてんで寒いふりして、お藤ちゃんに抱きつきやがったんだ。もう少しで、20歳んなったばかりのお藤ちゃんにチュしそうになんとこだった。70(ひちじゅうClick!)にもなる歯抜けジジイがいい歳してさ、牛の尻みてえな面しゃがった九園の助平斎だけは許せねえ」
「止めに入った直さんだって、どさくさまぎれにお藤ちゃんに触ってたじゃないか」
「あたしゃ、そんなことはせん! 八兵衛さんは、目が悪いんじゃないのかい? なんなら、雑司ヶ谷の目医者を紹介するよ。…あんな、女と見れば見境なく抱きつく色狂いのジジイは、座敷牢へでも打(ぶ)ちこんどくか、八丈へでも流しときゃいいんだ!」
「そういう直さんも、あと10年もたたず還暦だてえのに、すっかりお藤ちゃんに入れこんじまったねえ。もはや、南畝さんを笑えねえやな」
「あたしゃ純粋な句詠みだよ、助平で下心だらけの南畝といっしょにしなさんな」
「…そうかなぁ。オレにゃ、どっちもどっちで、いっしょに見えんだけどなぁ」
「それはそうと、お藤ちゃんのいる茶屋が珍々亭じゃ、あんまし可哀そうだ」
「そうそう。だからさ、オレぁさい前から、藤見茶屋がいいんじゃねえかって…」
「お藤ちゃんもいるし、富士もよく見えるから、ま、いいってことにすっかね」
「『和佳場の小図絵』の次はさ、ぜひお藤ちゃんのことを書いてくれろ」
「…そうさな。古今の句を集めた『お藤見ちんちん茶家』なんてのは、どうだい?」
「ちんちん茶家てえのは、まずくないかい? なんだか、両国広小路Click!あたりのいかがわしい見世物小屋か、柳橋Click!の待合みたいな淫靡で下心ありそうなお題さね。ここは素直に、『富士見茶家』でいいんじゃないのかい?」
「まあ、あとでゆっくり考えんとして。…ところで、八兵衛さんよ。あんた、珍々亭の向こっかわにある将軍様の御留山Click!の稲荷を、いつからお藤稲荷Click!なんて絵図に描きこんでんだい? この前、下落合村の衆がきてさ、ここは昔っから東山稲荷だと抗議してったそうじゃぁないか。ついでに、そこの湧水の弁天様Click!も、いつの間にかお藤弁天てなことんなっちまってるって……。村同士のもめごとは願い下げだよ、八兵衛さん」
「だって、稲荷はともかくさ、お藤ちゃんは弁天さんよ」
「そりゃそうだが、あたしたちの書いた本や絵図は、ひょっとすると後世に残るかもしれんじゃないか。勝手に社(やしろ)の名を変えちゃ、具合が悪かろ?」
「なぁに大丈夫だ、直さん。100年あとに珍々亭は残らなくても、お藤ちゃんを残せりゃ御の字さ。…直さん、悪(わり)いな、そこの煙草盆、ちょいと取っつくれ」
「だけどさ、あんたの住む根岸の里の上にある稲荷。あれ、いつから八兵衛稲荷Click!なんて手前(てめえ)の名前で呼ばせてんだい? 冗談じゃないよ、ええ? 後世の人たちが由来を書くのに頭抱えちまうから、いい加減にしときなさいよ」
「そういやぁ、八兵衛稲荷の木花咲耶姫もお藤ちゃん似で、いい女だったろうなぁ…」
「……いっそ、お藤稲荷がふたつんなんなくて、よかったのかもしんねえなぁ」
◆写真上:学習院キャンパスに残る、水茶屋「富士見茶屋(珍々亭)」の遺構。
◆写真中上:上左は、1768年(明和5)ごろに描かれた鈴木晴信『笠森お仙』。上右は、大田南畝(蜀山人)が1769年(明和6)に書いた『売飴土平伝』で挿画は春信。もはや、お仙が天女のように描かれている。下は、笠森お仙が眠る上落合の外れにある正見寺。
◆写真中下:上・中は、富士見茶屋に建立された芭蕉「目にかゝる時や殊更五月富士」の句碑。下は、安藤広重「雑司ヶや不二見茶や」Click!風に下落合を向いて撮影。
◆写真下:上は、バッケの淵にある富士見茶屋遺構の全景。中は、溜池の東側に通っていたとみられる溜坂があったあたりの斜面。下は、明治以降は「血洗池」と呼ばれることが多くなった溜池で江戸期よりもかなり縮小されている。
★文中に登場する俳句と作者は、すべて宗周『富士見茶家』所収のホンモノの作品です。