タヌキの森Click!の違法建築(の残骸)が、昨年10月ごろから解体されはじめている。ときおり響く、コンクリートを打(ぶ)ち壊す衝撃音が下落合一帯に響き、まるで戦場の遠い砲声を聞いているようだった。建設途中だった違法建築Click!を解体しているのは、周辺住民からのたび重なる建築基準法違反の指摘にもかかわらず、その声を無視して集合住宅の建設を強行した新日本建設(株)でもなければ、違法建築に「建築確認」を下した新宿区(建築課)ほかの担当部局でもない。
違法建築を建てた業者は、住民説明会で万が一「違法」の裁定が裁判所から出た場合には、建設途上の建物を解体する(録音テープあり)としていたにもかかわらず、いざ違法判決が下りたとたんにまったくシカトして、そのような言質などまるでなかったかのようにふるまい、危険な違法建築を7年間にわたって風化が進み荒れるがままに放置した。また、新宿区からの再三にわたる「是正勧告(解体勧告)」にも従おうとはせず、違法建築はここ数年間でほとんど廃墟と化していた。
そして、最終的には別のディベロッパーへ、違法建築の廃墟ごとタヌキの森を転売し、さっさと下落合から逃げていった。近隣の住民の声や、地域の環境などまったく考慮に入れず、都合が悪くなると尻に帆かけて逃亡していく、絵に描いたような没コンプライアンスで低信頼の建設業者だ。都内の各地へマンションを建てているらしい、千葉のこの業者の名前を改めて銘記しておきたい。最高裁によって違法とされた一連の行為が「ビジネス」だというなら、地域住民の声に耳を傾け周辺の環境に配慮しながら、遵法精神のもとマジメに仕事をしている建設業者が気の毒というものだ。
さて、タヌキの森の違法建築(の残骸廃墟)を解体しているのは、新たに土地を取得した新宿区内の地元にある(株)ブレンディという不動産企業だ。詳細は、「下落合みどりトラスト基金」Click!サイトの当該記事Click!を参照していただきたいが、解体工事Click!は今年の3月末の予定となっている。それから、どのような開発(住宅などの建設)を行なうのかは、いまだハッキリとせずに不明のままだ。周辺住民のみなさんは、開発の方針が決定ししだい住民説明会を求めている。
もともと、違法ではなく適法の建物を建設するのであれば、強くは反対しないといっていた住民の方も当初からおられるので、もし新しい業者がきちんとしたコンプライアンスのもと、正当な計画を立案して住民に提示すれば、そのまま1,000m2以下の建物(集合住宅の場合)が建ってしまう可能性が高い。だが、わたしとしては御留山Click!から野鳥の森、薬王院の森へとつづくグリーンベルトClick!のかなめともいえる地点なので、できれば緑地公園として移植してある樹木ともども残してほしいものだ。
さて、下落合のグリーンベルトに繁る木々からの落ち葉が、今年もわが家へ風に飛ばされ大量に降り注いだ。一昨年は多忙だったので、詳しい放射線同位元素の測定はしなかったけれど、2013年(平成25)の測定値や2014年(平成26)の数字に比べ、数値はどのように変化をしているだろうか。2014年(平成26)の測定では、福島第一原発の事故直後の測定値よりも、かなり高い箇所が南向きのベランダにたまった落ち葉の中に存在していた。これは、地中に沁みこんだ放射性物質を樹木が吸い上げ、枝葉に水分や養分がいきわたる過程で、いわゆる濃縮現象をおこしているのではないかと想定した。
さっそく、家の周辺各所にたまった落ち葉の上や中を線量計で測定してみると、やはり南側のベランダ中央部や排水溝近くに高い数値のポイントがあった。線量計はピークで0.33μSV/h(マイクロシーベルト/時)を記録したが、これは原発事故の直後、2011年8月に測定Click!したおとめ山公園のベンチ周辺、あるいは落合第一小学校沿いの校門前にある植え込みとほぼ同等の数値だ。事故直後にベランダの同ポイントを測定Click!したところ、ピークで0.40μSV/hを記録しているが、2013年2月の測定Click!では0.30μSV/h、2014年1月の測定Click!でも0.30μSV/hとやや低減気味だったのが、0.33μSV/hと再び放射線値が上昇傾向に転じていることになる。
いま、線量計に反応しているのは、事故直後から東京に降り注いだ半減期の長いセシウム(Cs137など)だと思われるが、放射性物質はほんとうにしつこくて頑固で、いくら洗い流して線量を低減しても一時期のことで、1年後にはもとの数値にもどってしまっている。落ち葉に限らず、それが粉状になって風に運ばれる地表の塵埃などにも含まれているのだろう。福島で「除染作業」をした地域は、いったいどのような状態になっているものか、その後の経緯がほとんど報道されていない。
各地に設置された線量計の周囲だけ、除染作業を行なって数値が低減している(ように見せかけている)という、地元住民が吐き棄てるように語る事実に接するにつけ、チェルノブイリ事故の際の旧・ソ連政府が実施してきたリスク管理(WHO準拠の国際基準)の施策に対して、はるかにもとる拙劣な行為が平然と福島で行われているように感じる。お粗末さを通りこして、肌寒さ(戦慄)をおぼえるほどだ。いまだメルトダウンした炉心はどこまで沈下したのか見つからず、まったく事故は終息してはいない。いつから日本は、こんないい加減な国になってしまったものだろうか?
新宿区の原子力資料情報室(CNIC)Click!は、2015年(平成27)8月で近くにある公園の測定Click!をやめてしまっているが、わたしは線量計がとても高価だったのでもったいないのとw、こだわる性格なので測定はやめない。ちなみに、原子力資料情報室の近くにある公園は、ほとんど自然値に近い放射線量にもどっているので測定をやめたのだろう。だが、東京へ雨混じりに降り注いだ放射性物質は均等ではなく、場所によってはいまだ高い数値を示す“ホットスポット”が、事故直後から存在しているのは明らかだ。落合地域は、ホットスポットとまではいかないものの、少なくとも原子力資料情報室のある新宿区の曙橋周辺よりは、樹木が多いせいか数値がいまだしつこく高めだ。
さて、去る2016年はここのサイトの拙ない記事にまつわる、紙メディアの出版が相次いだ年でもあった。『写真で見る新宿区の100年』Click!(郷土出版)はすでにご紹介済みだが、たいへんありがたいことに他にも何冊かが昨年中に出版されている。中でも、やはり落合地域をめぐる文学の分野では尾崎翠Click!の人気がさらに高まりつづけているようで、ここの記事に関連して2冊の本が出版された。
ひとつは、尾崎翠フォーラム実行委員会が編纂・出版した『尾崎翠を読む』第3巻(新発見資料・親族寄稿・論文編)で、このサイトの記事をベースに上落合に住んだ尾崎翠について書かせていただいたものだ。もう1冊はPOMP LAB.(ポンプラボ)から出版された探究誌『点線面』第2号(2016年尾崎翠への旅)で、わたしのサイトを取り上げてくださっている。いずれも、尾崎翠の現時点における最新の捉え方や、21世紀の今日でも古びない彼女の現代的な表現について、さまざまな視点・角度から語られているところが魅力だ。
昨年の暮れは、久しぶりに風邪を引きこんでしまい、めずらしく熱まで出た。仕事の締め切りが正月明け早々だったので、少し無理を重ねたのがマズかったのだろう。いまでも体調が回復せず、体重が3kgほど減って調子がもどらない。毎年、暮れから正月にかけ、このサイトの記事をテーマ別に整理して、個別に取材を重ねながら書き溜めておくのだけれど、今年はストックにあまり余裕がない。もし定期掲載の記事が途切れたら、体調不良でダウン中だということで、気長に待っていただければ幸いだ。
◆写真上:解体工事が進む、タヌキの森の入り口からつづく4m幅路地。違法業者は、この先に8m道路に接するのと同等規模の集合住宅を無理やり建てようとした。
◆写真中上:解体工事中の違法建築(廃墟)で、写真は武田英紀様撮影。
◆写真中下:南向きベランダへ降り注いだ、落ち葉上の放射線測定。中央付近(上)では、2011年の事故直後の落合各地域とあまり変わらない高い数値がカウントされた。
◆写真下:上左は、2016年に尾崎翠フォーラム実行委員会が編纂・出版した『尾崎翠を読む』第3巻(新発見資料・親族寄稿・論文編)。上右は、同年暮れにPOMP LAB.(ポンプラボ)から出版された探究誌『点線面』第2号(2016年尾崎翠への旅)。下は、1930年(昭和5)の生田春月追悼会で撮影された尾崎翠(中央)と、エスペランティストの秋田雨雀Click!(右)に画家で日本プロレタリア美術家同盟(AR)の中央委員長(のち民俗学者)の橋浦泰雄Click!(左)。橋浦は事故か、それとも特高にでも殴られたものか左目に痣ができている。