下落合4丁目2108番地(のち2107番地/現・中井2丁目)に住んだ小説家・船山馨Click!の文章に、「孤客」というワードがある。川西政明Click!も、船山馨の文学について語る書籍に、同様のタイトルをつけている。船山馨の『樹里庵箚記』には、次のような詩ともつぶやきともとれる一文が書きとめられていた。
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われはこの世の孤客なれば
一人何処よりか来りて
束の間の旅に哀歓し
一人何処へか去るのみ
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この詩は、死去する2年前の1979年(昭和54)4月6日に書かれたものだが、すでに船山馨は右目を失明しており、最後の作品となる『茜いろの坂』(1980年)をかろうじて書きつづけている最中だった。
下落合がお好きな方なら、この一文を読まれたとたん、丘上から新宿駅西口の高層ビル群を眺めわたす情景とともに、すぐにも万理村ゆき子Click!の詩、「人はふと知り合い/つかのまの夢見て/やがてただ消えゆくだけなの」(1973年)というフレーズを思い浮かべてしまうのではないだろうか。
深々とした諦めを含み、自身の生を思いきり突き放し、まるで他人事のように右肩の上空からクールかつ客観的に見下ろしているような、強烈な諦念とニヒリスティックな感覚が、どこかネット世界で感じる「孤独感」、あるいは「孤立感」とでもいうべき感覚に重なるものをおぼえた。どの辞書にも載っていないので、どうやら「孤客」は船山馨の造語のようだ。
一昨年あたりから、ブログ(Weblog)の管理画面を眺めていると、新しいブログを起ち上げる増加率が目に見えて鈍っている。ネットメディアのひとつとして定着し、ようやく落ち着いた環境になったのだろうか。この「地域」ブログのカテゴリーでいえば、およそ2,980サイト前後を上下する状況になっている。ブログを通じて、不特定多数の読者に向けなにかを記録したい、表現したい、伝えたい、ないしはアフェリエイトで稼ぎたい人たちが残り、知り合い同士のコミュニケーションは自然にSNSあるいはSMSへと移行していったのだろう。
So-netのみに限れば、ブログをやめてしまった人たちはサイトが閉じられると同時に、訪問先へ足跡を残す「読んだ!」(デフォルトは「nice!」)ボタンのブロガーアイコンが白くなり、X印が表示されることになる。おそらく、ブログをやめてSNSないしはSMSへと移ったか、ネットへの表現自体(や接続)を止めてしまったか、病気で意欲をなくしてしまわれたか、あるいは亡くなった方々なのだろう。ネットの中のバーチャルな空間では、ネット内で知り合った仲間の前から姿を消すことを、物理的な生死の別なく、よく「ネットで死んだ」などと表現された。
現在でもつかわれているかもしれないが、インターネットが普及する以前、いまから25~30年近く前に全盛だったパソコン通信の時代では、よく「ネット落ち」という言葉が流行っていた。当初は、深夜のOLT(オンライントーク=Chat)などで「落ちます」というと、ネットへの接続をやめて「そろそろ寝ます」という意味につかわれていたのだが、その意味が徐々に拡大し、ネットでなにか事故や問題を起こして特定のメディア(sigやフォーラムなど)への訪問をやめてしまった人たちを、「あいつはネット落ちした」などというようになった。
そういう人たちは、ハンドル(ニックネーム)を変えて、新たに別のプロバイダが提供するメディアへアクセスして楽しんでいたのかもしれないが、ネット自体のバーチャルな人間関係が面倒でわずらわしくてイヤになり、そもそも接続をやめてしまった人たちも少なからずいたように思う。そういう人たちのことも含め、おしなべて「ネット落ち」という言葉がつかわれていた。
また、「ネット社会は敗者復活戦のない世界」などともいわれていた。そもそも、ネットに接続する人々の絶対数が少なかったため、どこかである人物の悪い評判が立てば、たちどころにあちこちのメディアから排斥され、二度と同じ立ち位置へはもどれなくなってしまうことを、そのように表現したものだろう。当時は、ネット接続をやめてしまう「ネット落ち」をしても(ネットにつながなくても)、それほど困ることはなかったけれど、現在ではネットにつながないという状況は、まず考えられない。当時、日本で50~100万人といわれていたネット人口は、現在ではおそらく50~100倍近くに増え、ネット世界はほとんど無限の拡がりを見せている。
ネットの世界が拡大すればするほど、リアルな友人・知人とともにバーチャルな仲間も増え、周囲は賑やかで楽しくなるはずなのだが、残念ながらPCやスマホなどデバイスの画面を見ながら、テキストや画像などのデータをアップロードしていると、「孤独感」「孤立感」に近い感覚が深まるのはどうしてなのだろう。SMSやIMなどで、「つながりたいから」「つながっていたいから」という言葉をよく聞くが、それは「孤独感」「孤立感」を怖れた、まさに裏返しの感覚そのものではないか。つまり、「孤独だ」「孤立してる」からこそ、そのような想いにより強くとらわれるのだろう。最近のネットをめぐる事件や事故を見ると、よけいにそのような感触を強くおぼえるのだ。
「連帯を求めて孤立を怖れず」の世代は知らないが、ネット社会の急激な進化は「連帯を求めて孤立を怖れる」時代へとシフトしているような気がしてならない。その「連帯」とは、特に深く落ち着いた人間関係や悲喜こもごものリアルで親しい間柄、同じような世界観や社会観、価値観でつながった友人同士では決してなく、かりそめの「つながり」であり、バーチャルな「友情」であり、また仮想の「恋人」や「家族」だったりするのだろうか。突き詰めれば、ちょうど数年に一度の法事で顔を合わせる、どこの誰だったか思いだせないが見憶えのあるオバサンほどの知己と、大差ない存在感や関係性に限りなく近いといえるのかもしれない。
船山馨は『樹里庵箚記』の中で、つづけてこんなことも書いている。
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(孤客は)キザに云えば「孤独な旅人」とでもなるかもしれないが、凡庸だし、意味も少し違うつもりである。「客」だからである。おなじ死を生活の基底に意識するにしても絶望的、投げやりであるよりは、死と生と等しく自然なものとして、静かに受けとめ、それ故にこそ今を悔いなく全的に生きようとする積極的な思いがあるつもりである。茶のほうではどうであろうか。例えば、静かな夕景、打水に濡れた露地を、見知らぬ一人の客が草庵を訪れて、一服の茶を所望する。庵主が誰と問うこともなく、茶を点てて供すると、客はそれを服し終り、丁重に、しかし短く礼を述べて来たときと同じように静かに何処へともなく立去ってゆく。客と庵主の心に、もし人生の奥深い部分に触れた余韻が漂うとすれば、これを「孤客」の訪れと称していい。(カッコ内引用者註)
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ネットの中の人間関係は、船山馨が前提として書く家族を含めた生身の人間関係ではない。また、躙(にじ)り口をくぐってやってくる、リアルな茶席の客人でもない。あくまでも、テキストや音声・映像を通じた、相手の“体臭”がしないバーチャルな関係でありコミュニケーションだ。だから、「今を悔いなく全的に生きよう」としても、それはデバイスの向こう側に生身の人間がいるにせよ、またAI・IoTの基盤上でアルゴリズムやRPAが受け答えをしているにせよ、どこまでいっても仮想空間での“生(せい)”のまま……ということになる。
仮想空間の「孤独な旅人」は、船山馨にならえばつかの間の言葉を残しつつ、いつ消えてもおかしくない「仮孤客」ということになるだろうか。「みえない関係がみえはじめたとき、かれらは深く訣別している」とは、「仲間外れ」にされた吉本隆明の言葉だが、「弧客」や「ネット落ち」などについて考えていたら、ふいになんの脈絡もなくこの言葉が浮かんできた。まったくまとまりのない文章を書いているけれど、船山馨の随筆を読んでいると、ついネットでの脆いコミュニケーション基盤や人間関係を想い浮かべてしまうのは、なぜなのだろう?
◆写真上:陽射しが冷たく輝く、冬枯れの下落合の森。
◆写真中上:上は、1975年(昭和50)に撮影された下落合の自邸書斎で執筆中の船山馨。下は、下落合4丁目2107番地(現・中井2丁目)の船山馨邸跡。
◆写真中下:上は、1967年(昭和42)ごろに北海道庁前で撮影された船山馨。下は、下落合の丘上からは目立たなくなった富士女子短期大学(現・東京富士大学)の時計塔。
◆写真下:左は、1982年(昭和57)に北海道新聞社から出版された川西政明『孤客―船山馨の人と文学―』。右は、同書所収の船山馨プロフィール。